目を覚ました時、外はまだ暗かった。
雨降りの夕方とも見紛うように、外はうっすらと青みがかっている。

鳥の声はまだ聞こえない。
階下から朝の支度をする音が少し聞こえるだけ。
そんな中で、私は緋色の双眸をぱちくりさせながら、静かなまどろみを迎えた。

「ん――……」

沈み込むように柔らかいベッドの上で、シーツの海を泳ぐように背伸びをすると、背まで伸びたブロンドが共にシーツで波をうつ。
ふかふかのベッドの上でゆったりとした目覚めを迎え、後は誰かが自分を呼びに来るまで待っていて――
そんなのんびりとした目覚め。それはなんていう至福の時間。
何の事は無い、こんな朝の数分を過ごせているだけでも、私は十分幸せなのだ。

こうして、まったりとした朝を“幸せ”と感じるようになったのは、一体いつからだっだろうか。

そんな事を思い出そうとしても、寝惚けた頭はハッキリしない。
曖昧な思考のまま、さらにその曖昧さを明確にしようと頭は模索する。
全くもって意味の無い事ではある。
必死に泥水を泥と水に分けようとしているようなもの。
それは、いじればいじるほどぐちゃぐちゃになるものなのに。

ふと、咽喉が乾いている事に気がついて体を起こした。枕元の棚の上にある水差しを手に取りグラスに注ぐ。
――掌に伝わる水の冷たさが気持ち良い。
両手でグラスを包みながら、ゆっくり口に水を注いだ。
水分に飢えた咽喉元につぅと流れる水。
砂漠にまいた水滴の如くあっさりと体は水分を受け入れる。
そうして、こくりと水を飲みながら、私は冴えてきた頭を回転させ始めた。



普通の目覚め。
普通の朝食。 普通に水を飲む瞬間。

そんな“普通”の事を、一体私は、あとどれ位していられるのだろう、と。

この城の中で、“この国の為”に、果たして残った時間で一体何が出来るのだろう、と。


(――もうすぐにでも、私はここから居なくなるのに。)


そんな事を思い出すだけで、具合は悪くなる一方で。
実際のところ、胃が痛んだり。偏頭痛を起こしたり。
食が進まなかったり、職務怠慢で回りの人から忠告を受けやすくなったり。
現状、私の身には様々な弊害が起こっている。

『――断じて私に責任は無い!』

……はずだと思っている。

生涯身を粉にして国に遣え、寝食を共にする家臣を愛し、笑顔は絶やさず、敬礼はしっかり腕を胸元まで挙げて…なんていう細かい決まりから、規則、貴族としての嗜みまで完璧を志し一心不乱に努力を重ねてきた私には、けして責任はないはずなのである!

それでは、本日に至る惨事は誰に責任が?
やり場のない悲しさは、誰にぶつけるべきなのか?
答える者は一人も居ない。慰めの言葉は慰めにもならない状況。
『人間至る所青山あり』――異国の偉人が言った言葉らしいが、当の本人とすれば圧力以外の何物でもない。



――コンコン、と。
不意に、部屋の中にノックの音が響いた。

「ティナ様。起きていらっしゃいますか」

不意の声に、頭の中が、一層さえた。

「どうぞ」

寝巻きを整えながらそう答えると、十数メートル先の扉が、ギィと音を立ててゆっくりと開いた。
開いた扉の向こうには、初老の男性が、しっかりとした面持ちで立っている。
最近はその黒髪に、白い物が混じってきたと思う。
厳しくて、恐くて、いつも難しい顔をしていて――そんな、以前の印象とうってかわって、今では私の右腕として欠かす事の出来ない存在。

「お早うございます、ティナ様」

彼は胸に手を掲げて敬礼をすると、失礼しますと呟いて部屋に一歩入った。
カステル・ジニア。我が国が誇る敏腕大臣。
その彼が、侍女の如く私の部屋へ直々にやってきた。

「もう朝食?」
「いいえ。ですが、残り暫くの間、私が毎朝ご挨拶に伺うと仰いましたでしょう」

(……あぁ、)

「そうだった――」

昨日今日に、彼と交わしたはずの約束が、まるで昔の事のように懐かしい。
彼は私の方を向いたまま何も言わない。私もまた、黙って無言。

そうして朝は、貴重な朝は、どんどん過ぎては終えていく。
私は、その無情な時の流れに、ただこの身を任せて流されてゆくのみなのである。








『聖レィセリオス』。

たくさんの国が密集する中央地帯とは随分と離れた、深い森のそばにポツリとある国。

ハッキリ言うと、小さい。大した軍事力も政治力も無い。
他国と和平協定を結ぶ必要も、領土規定を結ぶ必要も無い。
故に、衝突すらも起こらない訳で。
静かで穏やかな国。私の愛する、聖なる国。

そういう私は、この国の女王ティナ・クリスティーン。18歳。

周りから見れば蛙に手足の生えたおたまじゃくし宛らの未熟さ溢れる小娘。
それでも私は、れっきとした国家最高権力者。

先に言っておけば、父や母、兄、その他諸々親族は居ない。
話せば長くなってしまうので、事情は取り敢えず省く。
とにもかくにも私には親族、一族と言う者達が一切存在しない。

つまり、ごくごく自然の流れで、現在、国家権力は私に託されている。

とはいえ既に話したとおり、非常に小さな国だから、大した権力という物も無いというのが実状で。
幸い、ここには王女を上手く丸め込んで国を乗っ取ろう等とする卑しい臣下も抵抗勢力もいなくって。

山あり谷あり苦労して、国を託されて早2年。
当時16歳程度の小娘を、よくここまで見守ってくれたと心から思う(臣下の忠実さに対する賞賛は、本当に筆舌し尽くすに難い!)。

そんなこんな、なんとか軋轢も相克も無く安泰した2年間を過ごしてきた私。
だけれども、ここにきて急に人生の転機が訪れる!

それは、世間一般でいう、「お見合い」というもの。(「お見合い」という華のある言語を選び遣っていいものなのかはさて置いて)
とにもかくにも、齢18。
そんな私にもとうとう、婚姻に関する話が舞い込んできたのである。

結婚願望が無いわけじゃ無い。
むしろ、女王であれなんであれ、私も憧れ溢れる10代の女性であって。結婚には憧れがあって夢でもある。子供だって嫌いじゃないし、夫婦円満、助け合って小さな国を切り盛りしていく――それはきっと、女王としても女性としても、最高の幸せだと思う。



しかし。その相手が人間ではないと聞けば、話が別であるのは――各々方も重々承知であろう。






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