私は、自身の与り知らぬところで、婚姻を結んでいる――


それは、数日前に、他でもないこの愛する臣下からさらりと告げられた事実だった。

しかも、相手は隣国の王子様でも、遥か彼方遠国の王子様でも無い。
更に言えば――相手は見ず知らずの他人どころか――人間すらないと言うのだ!

世では「存在していながら存在してはいけない」とされている者達。
人間の敵であり、一目見れば生きて帰れぬと伝説に伝えられる者達。


――すなわち、『魔族』。

空想上の生き物と結婚しろ!?そんな話って本当にある!?
なんて、私がパニックに陥ったのは言うまでも無い。
馬やら虫やらと結婚しろと言われたほうが、まだ現実味があると言うもの。

ちなみに、私の両親は夫婦共々れっきとした人間だ。
気性穏やかで、おっとりとした性格の父上。
厳しく、しっかりものだった母上。
そしてその間に生まれた、優しい兄。

いつかは兄がこの国を引き継いで、民を守って行ってくれるんだろうと。
そして私は、何処かの見知らぬ王族に嫁いで、穏やかに暮らしていくのだろうと。

ずっと、ずっと、そう思っていた。

そんな父上や母上、兄上がいなくなってしまったこの状況でも、この先どこかの王族と養子を組み、夫婦二人でこの国を支えていくのだろうと。

ずっと、ずっと、そう思っていた。


それが、突如明かされた「魔族との結婚」。


少なくとも15歳から結婚が認められているこの国において、婚姻自体はとりたてて不思議のない話ではある。
うん、まぁ、……婚姻事態、は。

記憶にまだ浅い、とある夕食の折。
重い口で“それ”を伝えてきたカステル・ジニア。彼の口から、次から次へと飛び出す「魔族との婚約話」を、私はずぅっと呆けた頭で聞いていた。


“魔族”。

大抵の人間とってそれは作り話の中の生き物に過ぎないもの。
人間にとって魔族は、神話の中の神様とか、妖怪とか、そういう類と同じである存在。

そんな魔族について、唯一具体的な記述があるのが、『新神文書』という書本である。
この新神文書、実際には誰が書いたかは明らかになっていない。
この本を崇拝する奇妙な宗教もあるけれど、普通は絵本や何かで中身を知ったり、歴史の授業でうっすら習ったりという程度の本である。

かくいう私も勉学の時間に「うっすらと」習って、魔族ってこういうのなんだ・・・と思った程度。


だから、私は今も、魔族が実在するとは到底信じられない。
あんなに堅物で真面目で武芸・政治一筋のカステル・ジニアが真顔で話した所で、実感なんて湧いて来ない訳で。


――ただ、簡単に笑って済ます、ということが出来ない理由も確かにあるのだ。
作り物のはずの「魔族」に対する被害届が、実際に国内各地で報告されているというその事実である。

いわく。「森に遊びに行った娘が、魔族に攫われるのをみた」。
いわく。「野草観察に行った若者たちが、魔獣に食い殺されたところで発見された」。
エトセトラ・エトセトラ…。


そういう、魔族に対してあやふやな危機感を持つ土地に国を位置しながら、追い討ちをかけるようにもたらされた……婚、約…話。
(正直言って、「自殺をしにいけ」と言っているようなものでしょう!)


勿論承諾しなくても良い婚約なら、とっくにはっきり無理と言っている。
でも、私には行かなければいけない理由がちゃんと存在するのだ。
私が魔族に身を捧げなければいけない理由はただ一つ。

それは「国を守るため」。

交換条件と言うべきだろうか。

「人質として価値ある一人を差し出しますので、どうかどうか、聖レィセリオスの国民に危害は与えないでください!」という―――
古いと言えば古い、しかしありがちな約束。

それは例えるなら、猛獣の檻に放りこまれたウサギ。
空腹真っ只中に差し出されたステーキ。
どうか死なないで、無事でいて下さいという方が無理な話。

確かにここで「嫌だ」と首を振れば、私は他の真っ当な人間と婚姻を結び、一時の穏やかな生活を手に入れられるかもしれない。しかしすぐさま、私は元より国民さえもが魔に怯え、恐れおののき、その生活を壊滅させられる事態に追い込まれかねない。


魔族を、契約書を、夢物語だと一笑して、国を滅びに招いていくか。
カステルを信じ、契約書をもとにして、国の安寧を守っていくか。


事を告げられ、混乱の上に出された答えは、たった一つ。



「分かりました。身を犠牲にしてこそ王族です」



――そう言った私は、果たして上手く笑顔を作れていただろうか。





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