「藪から熊とはこの事ね」
「姫様、藪から棒かと思われます」


急がし忙しと、王室に似合わぬ風景が辺り一面に広がっていた。

ベッドの上には散乱した服の山。山。山。
それほど高価な服ではないにしろ、あまりにもずさんな放り出し方である。
せっせとその山の中から必要な服を選び出しているのは、我らが平和の国、レィセリオスの女王ティナ様。

一方、共に寝具に座し、こちらも散乱した宝石少々と装飾品の類をせっせと分別をしているのはニキィ・アスタル――ティナと同年のメイドである。
赤茶色の髪を肩まで切り揃ええ、その青い双眸を不安げにティナへ向けた彼女は、ティナ専属の侍女。
父が城の重役となっているので、彼女もまた幼い頃からクリスティーン家にメイドとして仕える身であった。

朝の着替えに、食後の勉強の付き添い、菓子を啄ばむ折のお喋り相手、夜に身を湯に浸からせる時のお世話、終身の折の身の整え――その殆どが、ニキィの仕事となっていた。

「混乱して馬鹿になってるのよ、ニキィ」

深夜。ティナ・クリスティーン王女は疲労困憊していた。
それもその筈。魔族へ嫁ぐ日程が、急遽“明日に”と変更されたのだ。

「先方が、嫁ぎ出の日を早めろと仰ってきましたので」などという一大速報を突然持ちこまれたのだから、慌てないはずも無い。
寝る間も惜しみ、こうしてティナは、ニキィと共に、明日の出発に向けての準備をちゃくちゃくと進めているのだ。二人とも、寝巻きのままで。


「ただでさえ、魔族なんていうめっきり謎の生き物の所に嫁ぎに行くのに。それなのによ。それに加えて嫁ぎ出の日まで早まるなんて信じられない。明日よ明日!どれだけ私と急いで結婚したいワケ?」
「ですから深夜に及んでお手伝いさせていただいているではありませんか」
「うん、ありがとう。本当に助かるわニキィ」

ティナはどんどん服をカゴの右へ左へ飛ばす。
それを見つめているメイドはベッドの上の宝石類を指で退屈そうに分別し続けた。

今日は、レィセリオスで過ごす最後の夜。城で過ごす、最後の夜。
ティナは、親友でもあるニキィと二人で居たかったというのが本音で、この時間を幸せに思った。
王族貴族、振るまい躾と言われ続け何かと抑制されてきた2年間であったから、ティナが詰まらせた神経を解して友達調子で接する事ができたのは、唯一このニキィ・アスタルという少女だけであったのだ。
「宝石類は本当に置いていかれるので?」
「多分荷物になるだろうし、殆どがお母様のお下がりだしね。自分が買ってもらって気に入ったのを一つ二つ持って行けば気が済むものよ」

勿体無い、と、普段あまり笑う表情を見せないニキィが微笑んだ。

ティナは、本当に宝石類に疎い。(数年前に偽物のアレストダイヤを見せて「凄い!」と驚かれた時は、ニキィ自身のほうが驚いた物だ)

ともすれば、城下の庶民の娘とさして大差ない――そんなティナの人格が、ニキィは好きだった。
反面、ティナが急に嫁ぎに出ると聞いた時のショックと言ったら言いようが無い。

婚姻の話すら突然だった上に、その親愛なる姫君の婚姻者が、人にあらず!
事実、ニキィは今もまだ心の準備ができていなかった。幾分ティナよりも、この娘の方が激動の流れに対応出来ないようである。

「大丈夫よ。アナスタシアも連れて行くし、何が無くてもあの子が居れば平気だもの」

ティナはそう笑った。(アナスタシアは、彼女が馬舎で飼っている、拾った雌白馬の名前である。)

「姫様、向こう方へ嫁ぎ出た後は、たまにはこちらに帰って来てくださいね。アナスタシアと共に、」

不意にニキィが呟いた。
寂しさと、それから名残惜しさをこの上無く含んだ喋り方で。
ティナは下を俯きながら喋るニキィの頭にぽんと小さな掌を添えながら、寂しそうに微笑んだ。

「そうね、それが許されるなら、帰って来たい。でも、それが許されるかどうかは――あちらとの都合の兼ね合いが、」
「――ティナ様!」

バン、と扉を開く音に言葉が途切れる。
勝って知ったる姫の部屋と、慌てて入ってきたのはカステル・ジニア。

ところ構わず飛び入ってきたカステルは、息を切らすと同じに、部屋の光景に突如数秒固まった。
無理もない。歳若い乙女の寝巻き姿(二人分)のみならず、下着に下着、散乱の最中。

咄嗟に顔を赤らめ口で何やら弁解をもごもごと言いながら、彼は二,三歩後ずさりをした。

「いや……ご衣類の整頓中でしたか、これは、失礼を、…」
「あら。カステルが私の下着の山に反応してる。若いわー!」
「臣下にあるまじき反応ですね!」
「姫様!!アスタル!!」
「ああ、そんな、怒らないで……あー、面白い。で、どうしたの?そんな飛び入るように」

笑いすぎたせいで涙目の目じりを指で拭いながら、ティナは、顔を真っ赤にしながらも何かを言いたそうなカステルに問い掛けた。

「先方からこのようなものが」

咳払いをしたカステルは、手元に握っていた少し大きめの封筒を、ティナに差し出す。

「先程、速達で届きました」
「先方?――ああ、私の旦那様?」

半ばやけを含んだ引きつった表情でティナは封筒を受け取る。

彼女の頭の中には、最早、理想の旦那像などと言うものは存在しなかった。
あるのは、体中毛むくじゃらで牙をむき服と呼べる服も着ていない、まさに猛獣とも呼び名を付けれるような形相の魔族様のイメージのみ。
ここまで衝撃続きなら、あとはもうどうにでもなれといった状態。
どんとこい魔族。どんとこい毛むくじゃら。
ティナはむしろ、この状況を楽しまねば!とすら思うようになってきていた。

「開けて良いの?」
「どうぞ」

カステル・ジニアはいつのまにか何時も通りの落ちついた様子になり、ティナの問いに一言一言きりと返す。

「何でしょう」
「何だろうね…明日出発だというのに……こんな夜中に」

横から呟くニキィ。
ティナは膝元の下着の山をぱんぱんと床に払い落としながら、ぱきっと蝋封を割った。
金具を何とか外して紐止めも解き、中に弦紐で結ばれた用紙を取り出す。
入っていたのは、ゆうに十数枚はあるだろう羊皮紙の束。
それほどびっしりと書きこみがあったわけではなかったが、ティナは紐解いたそれを訝しげな表情で目を通し始めた。

先ほどまで盛りあがっていた部屋は、一転、静かな雰囲気へと変貌。

そんな中で、ティナは特技の斜読みを駆使し、ざぁっと大まかな内容を確認する。
2年も権力者になっていれば、これくらいの慣れは出てくるものなのだな―――と、カステルは一人感心していた。実際、殆どの文章はティナの頭に入っていないが。


「何か、あちらでの礼儀やら生活様式やらが細かく丁寧に書かれてる」ティナは呟く。「魔族って夜中生活しているイメージがあったけど、おとぎ話の中だけだったのかしら」


ていうか、家とかあるんだ。巣だと思ってた。

あえてそんな感想は言わず。
はらりはらりと紙を捲って行くティナ。黙々と目を通していた彼女は、ふとその手と視線の流れを一点に止めた。


「ぇ……え!?」

やぶける!といわんばかりの力で用紙を掴み驚きを隠さず叫ぶティナ。
いきなり真ん丸くなった瞳。紅潮する頬。
何やら、彼女の動揺を誘う要項でも書かれていたらしい。

「カステル見てこれ!」
「姫様、お言葉が乱れてきてます。きちんとなさるようあれほど――」
「それどころじゃないの!ここ!」

ベッドから飛びあがり数メートル先に立っていたカステルに飛びつくように訴えるティナ。
身長が低い姫様にとまどう臣下は、部屋の乱雑さと姫の興奮に半ば呆れる。
驚いた彼は焦りながらも、ティナが必死に指をさす用紙の先に視線を落とした。

どうやら題目からして、その紙には向こう先の一族その他が記載されていたらしかった。
そして、目を凝らしたカステルの目に飛び込んできたのは。


『城主一名、親族七名、執事一名、メイド23人、


               コック40人、掃除人17人、―――――妾56人、………』



たちまちカステルの表情が険しくなる。


「!…これは……っ」
「いくらなんでも多すぎるわよ!!」

ティナが顔を上げた。


「コックが40人もいるなんて!」


――姫様、驚くところが違います。
心のなかで、表情乏しいメイドは気が滅入った声をだした。







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