馬車から降りた途端、冷たい風が頬を撫ぜた。
ひんやりとしているだけではない。どこか気味の悪い空気を含んだ風。



いつのまにか私はナスリカを数時間突き進み――あっさりと魔族の城に着いていた。
失態ながら、森に入ってすぐに居眠りをしてしまったらしい(……数時間の睡眠が「居眠り」と呼べるかどうかは別として)。

ロドメさんに優しく呼び起こされた時には、既に真夜中。
寝ぼけ眼で馬車から覗き見た風景は、(当然であるが)全く見知らぬ土地のもので、思わず体が強張る。
どこまでも鬱蒼と茂る森、森、森――こんなに生い茂った森の中、途中で魔獣なんていうものが襲いかかってこなかったのだろうかと聞こうとも思ったけれど、ロドメさんの笑顔を見ると何事も無かったようだ。

とにもかくにも。私は心の準備をろくにしないまま、こうして新居地まで着いてしまったわけである。


ロドメさんに促され、重い荷物を必死に寄せ抱き馬車を降りた。
暗闇の中、降り立ったのは手入れのしてある芝生の上。柔らかめに敷いてあって、何とも感触が心地良い。

暗闇にあまり目も慣れない中、今来た道を振り向けば、大きくて立派な門が見えた。
はっきり見えないが、門の両端に何か生き物のモニュメントも置かれているようだ。
門の向こうは先ほどまで飽きるほど見ていた木々。鬱蒼としたナスリカの木々である。いつ見ても、それはやはり恐ろしい。何が飛び出すか分からないような、深く暗い森。風にざわめく巨大な集合体。


嗚呼、ようやくここまで来てしまった。
てんやわんやの末、私は、ついに魔族が住まう城の囲内に入ってしまったのだ――そう思って、門と反対の方に目を遣る。

途端。私は、思わず息を詰まらせた。

空の半月、満天の星星。その照らし出す光で良く分かる。
灰色の、無機質な石で固められた荘厳な城壁。大きさは、私の国のものよりも、裕に2倍以上はあるだろう。
見渡せば、広広と広がる庭園、広場。敷地面積はあまりに大きい。

そして何よりも、この月照らす地上に聳え立つ、この圧倒的迫力!
まるで生物の存在を感じさせない――夜だという所為もあろう、けれども、これは異様過ぎる。

気迫の余り、唾を飲みこんだ。抱えた荷物がずるりと落ちそうになったが、咄嗟に手で抑える。
ともすれば言葉を持たぬ巨大な、意思のあるモノにも見える城。レィセリオスと正反対の印象を持つ城。

(今日から私は、ここに暮らすんだ)
そう思えば、城の外見如きで凄んでなんかいられない。きっとこれから苦労が待っているだろう。
そう、私は、人質として――国の貴重な取引品として、ここへやってきたのだ。
だったらしっかり自分の意思で、城へ向かって歩いていかないと……とは、思うのだけれど。

正直、いきなりこんな城を目の前にして、上手く足を進められるはずもない。

そんな私をさておき、ロドメさんは燭台を手に持って、
「姫様、此方の愛馬は、馬舎へ連れてせます」
「あ、はい」

とあやふやな返事をする私を不思議そうに見ながら、ロドメさんはいきなり片手でランプの金具部分を叩き、高い音をたてた。

「姫様の御馬をお連れしなさい」

……誰に言ってるんだろう。
そう思っていると、突如ロドメさんの後方から、ぬぅっと何かが現れる。

ぎゃっと流石に一時驚いたが、良く見ると、それは黒い包衣を体にぐるりと巻いた誰か。
顔は勿論、黒い包衣以外の何も見えはしないが、とりあえず人の形をしているあたりホッとする。
その人は、黙ったままアナスタシアの手綱を引いて、彼女を誘導した。
雌馬だから丁寧に…と言おうとしたが、あまりにその人物が異様だったので、結局声はかけれず仕舞だった。
やがて、草を踏み進める音と共に、謎の人物とアナスタシアは暗闇に姿を消して行った。

……大丈夫かな。明日の食卓にアナスタシアが出て来たりして……。
などと暗闇に消えた愛馬を心配する私を見て、再びにっこり微笑んだロドメさん。
何もかも見透かしたように、安心なさって下さいと呟くと、私の抱えていた荷物をひょいと簡単に取り上げ、此方ですと案内をしてくれた。

「荷物、重くありませんか」
「いいえいいえ、ちっとも。平気ですとも」

見掛けに寄らず力持ちなのかもしれない。
あ、というよりも、この人魔族だったっけ。

「姫様は」

ロドメさんが歩みを進めながら呟いた。

「姫様は……いえ、姫様に限りません。私達魔族は人間の事を事細かに知っているのに、貴方方人間は魔族の存在を未だに空想上の存在、はたまた神話の存在、そういうものにしか捉えていらっしゃらない」
「――」
「私が人間と変わらぬ姿をしていて、驚きなさったでしょう」
「はい、正直言うと」

ロドメさんは優しく笑った。

「良いのです。今はまだ――――それでこそ、意味がある。さて。今から中へご案内致します。もう真夜中ですし、皆就寝なさっている時間ですが、流石に今日ばかりは起きていらっしゃるでしょう」


あの、その割りには外から見て、中真っ暗なんですけど。
心で思いながら、大きな玄関扉の先に二人して立つ。

ロドメさんに促されるまま、私はその扉をくぐった。
くぐってから暫くして、ずぅん、と扉が閉まる沈んだ音が後ろから聞こえ、それにすら、ビクッと反応してしまう。よっぽど臆病な性分が現れていて情けない。


ランプと窓から入る月明かりで、城内は少しだけ明るかった。
人間の城と指して変わりない装飾、シャンデリア、絨毯、玄関の大広間から各階へ続く大きな階段――それにステンドグラス。 天井までは暗くて良く見えないが、やはり私の国の城よりも、何もかもが一回り広く大きな城である。

ただ……どこをどう見渡しても、「出迎え」、という雰囲気ではないのだ。
というより、私達二人以外誰もいない。人が、いない。
しぃんと静まる城内。ぽつりと一つだけ明るいランプの火。

「えっと……」

たじろぐ私を余所に、

「お疲れでしょうから早く就寝をなさって頂きたいものですが、その前に旦那様に到着のご報告をしなければなりませんね」

と、のほほんマイペースのロドメさん。
階段を昇るよう言われ、黙って正面に構える大きな階段を足元に気を付けながら昇る。


しばらく階段を昇り、角を曲がれば、そこから長い長い廊下が始まる。
やけに広く、やけに長い。夜と言うこともあり廊下の終りが見えなく、進むのが怖いほどだ。左手には一連した窓、窓、窓。月明かりのおかげで足元ははっきり見えた。右側は、全て何かの部屋に続く扉。

ロドメさんは何も言わず足を進め、私はそれに着いて行く。キョロキョロしながら廊下を進む私は、傍から見れば迷子のようだろう。


「こちらで御座います」

急にロドメさんがある一室の前で立ち止まった。私もそろって隣に立つ。
今までの扉と違い、扉に銀色と黒の装飾が目立つ部屋。

ここが、私の婚約者である……えぇと……ソ、……


――なんだっけ。


「旦那様」

必死に記憶を辿る私の横で、静かにロドメさんが声をかけた。

「旦那様、姫様がいらっしゃいました」

……。しーん……
どう言う訳だろう。物音一つ部屋の中からしない。
ロドメさんはしつこく声をかけようとはせず、じぃっと黙って立っている。

「あの、居ない、とか?」
「ふぅむ……ご就寝なさいましたかな」

――寝た!?
嫁がわざわざ夜中に馬車で何時間もかけて危険な道を必死に来たと言うのに!?
何と言う薄情な、何と言う無情な!

「……まるで鬼ね」
「誰が鬼だ」
「きゃあっ!!」

突然といえばあまりにも突然。
背後から振りかかった声に私は腰を抜かした。大袈裟な音と共に腰を打ち付け、顔を顰める。

扉に背を凭れる形で座りこんでしまった私を、おやおやと変わらぬ笑顔で見下ろすロドメさん。

そして、もう一人、無表情で私を見下ろしているのは、先程の声の主。

歳の頃なら二十代、そこそこだろうか。身長はカステルよりも大きい。180、190くらいあるかもしれない。

印象は――とにかく黒い。
黒い頭髪を後方に撫でつけいて、その双眸もやはり漆黒。肌はやや青白く見えなくもないが、月明かりの所為かもしれない。
服装も、やはり黒。夜だからだと思う、ゆったりとしたシャツを着ている。

ふと手にしている物をちらりと見てみると、畳まれた黒い包衣が……
あ、もしかして、彼は。

「アナスタシアを連れていった従者さん?」
「違う」

ずばりと的中したかと思ったが、あっさり否定され冷たい一瞥を得る。
正直、この人……怖いです。

「無事お連れ致しました、旦那様」
「ご苦労だった」

そう労いながらもロドメさんに黒い包衣を預ける男性(ロドメさん、両手がふさがっているのに…)。





………旦那。


「旦那――!?」


腰を抜かしたまま喚く私に、やはり彼は冷たい視線しか寄越さなかった。





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