「星は、お前を映す鏡となる」

だから、あれを愛せ。


その言葉は、彼が記憶している、唯一父親らしいものであったかもしれない。

毎晩の様に窓から見えた満天の星はただそこにあるだけ、何十年も何十年も、自分にとっては無感動なものでしかあり得ない。そう信じて疑わなかった自分に投げかけられた言葉に、その時青年は確かに耳を疑った。

――お前が憎しみを持って見つめれば、あれはただの撒き散らされた屑塵となり、
愛をもって見つめていれば、あれは幾千もの目が眩むような珠玉になり得る。

いよいよ青年は顔を顰める。
(だから、“愛をもって見つめろ”と?)隣に立つ父親の目を見つめて、彼は思った。(ふざけている)


双星の伝承に従って、躊躇せずに己の息子の存在を、一つ消した。
目の前のものに惑わされて、あの人を簡単に捨てた。
それは、他でも無いお前だろう。


青年は、確かに男の事を憎んでいた。

(口を閉ざせ。一人の者すら愛せぬ男が、星を愛せなどと馬鹿げた事を二度と言うな)


(嗚呼、きっと、全てあの女の所為なのだ)


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とってもね。
とってもとってもとっても、とっても特別なお客様なの。

五回も念を押されたらその威圧で、流石の姫君も少し仰け反る。

勉強は終わった。昼の食事も。
今は廊下で、顔見知りの下男と世間話。
希望であれば午後には詩歌の手解きでも致しましょうと言う下男のお誘いに乗るか否か迷いながら、ティナは「特別な来客」とやらに完全に気を捕られていた。


とっても特別なお客様が今日来るの。
特別というのは身分とかそういうものじゃなくて――ええ、確かに彼が“大層なご身分の人”である事に変わりはないわ。
でもね、ティナ。それとこれとは今回関係が無いものなのよ。
ソルディスがゆっくり話したい大事なお話があるから、ティナとか他の人に合わせなくていいって言うの。
だからティナ、今日は挨拶とかはいらないのよ。
お部屋で一人休んでいてもいいだろうし、庭で木の実を拾い集めるのも楽しいでしょう。
ねぇ、だからお願い。今日はあまり、廊下を歩き回らないで。

朝、顔を合わせれば口一番。
あまりにも真剣かつ必死な義姉のその眼差しに、ティナは無言で何度も首を縦に振った。


貴族で、そんな特別なお客さんで、ソルディスが1対1で真剣なお話をする相手って。
そんな人今まで居ない。会っていない。

ひょっとして、城下の愛人?
ニルの必死さを思えば、確かにそれもあり得なくはない話だ。

ソルディスは確かに側室を持たない。だからと言って、城外では別の話だ。多分。
彼が望まなくたって、彼に惹かれる女性は恐らく後を絶たないだろうし、東方は、質の良い美人が昔から多いらしいし(ガーネット談)。正妻には冷たくたって、一夜限りの愛人とか恋人とか、そういうのにすっかりハマる男性も多いらしいし?

(ああ、ひょっとしたらアリシアさんかも)

最後はそこに辿り着く。


「分かった。私、今日はお部屋で本でも読んでるわ。読みたかった本がいっぱい見つかったの――」

そうは言ったものの、やはり気になる。
一度、愛人だとかアリシアだとか、そういったイメージが浮かんでしまえばどんどん不安は募るのみ。

どんな人かな、愛人って。
肖像画の人みたいに、落ち着いた美人の女性?
アリシアさんみたいな、家庭的で穏やかな女性?
ううん、やっぱりアリシアさん本人かも。
着飾ったセトの手を引っ張って、グロチウスがこっそり城内へ招き入れて――
アリシアさんの長い髪に指を絡めて、子供の相手はもう飽きた、なんて耳元で囁いて。
ソルディス、って見つめるアリシアさんの頬に唇を寄せながら、今だけはネイビスと呼べ、なんて低い声で甘い誘惑。
下男下女がセトの相手をしてる間に、繰り広げられる大人の世界。甘い甘い昼下がり。
(あ、ちょっとドキドキする。)

ティナは、喋り続ける下男の言葉は右から左で、自分の妄想に耽り続けた。



「ティナ」

意識を引き戻されたのは、脳内でセトがアリシアの不在にとうとう愚図り始めたころ。
目をやれば、ソルディスが不機嫌そうにこちらを見てる。というより、あれはもう睨んでいる。

慌てた下男が自分の仕事に戻ると言って廊下を去って、ティナは此方へ来たソルディスをふっと見上げた。

「罪な人ね……っ」
「何の話だ」

あくまでも、もしもの話。

「廊下をうろうろするなとニルに言われなかったか?」
「今から書庫で本でも選んで、部屋でゆっくり読むところ」
「あの男を連れて書庫へ散歩か」

あの男、とはさっきの下男だ。
身に覚えが無い話に、ティナは首を傾げる。

「なんであの人が出て来るの」
「実に興味深そうな視線を送っていた」
「私が?」
「お前が」

ああ、それはきっと、「見つめてたのは彼じゃなくて、昼下がりのいけない逢瀬よ」。
ソルディスには何の事だかさっぱりだ。

必要以上の会話を下男とするな、なんて訳の分からない法律を勝手に決めてる領主様に、ティナはまだ妄想冷めぬ熱い視線を送りながら、

「じゃあ、今日は信じて待ってる事にする」

とこちらも勝手に期待をする。
だって、昨日もちゃんとぎゅっとしてもらいながら寝たんだもの。

「さっきから何の話だ」
「あ、猫をぎゅっとした後にすぐ他の猫をぎゅっとするのは簡単か……でもそれ言ったらキリが無いし」

女性が全員猫だとすれば、この城の中は猫だらけだ。

「猫だっていつ引っ掻くか分からないし」
「――成る程。引っ掻く猫とは、お前の事か?」

ティナの頬に手を添えながら、耳元で、「確かに昨夜は良く爪を立てられた」

ひぃ!と顔を赤くする姫君を満足そうに見下ろして、

「お望みなら、今からでも戯れさせてやるが」
「そんな事は望んでません!」
「遠慮はするな。部屋は幾らでも空いている」
「あ、空き部屋があっても、書庫の奥とかで襲うくせに……!」

あー、コホン。

咳払いに二人が振り向くと、にっこりと微笑みながらニルがそこに立っていた。

「昼間っから猥談も良いけれど、領主様。そろそろお客様がお見えになるわよ」

舌打のようなものが聞えたのは気のせいにしたい。
ティナは顔を真っ赤にしながら、そそくさと小走りにその場を去った。

いざ、向かうは書庫。
知性と理性の溢れる場所へ!








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とは言ったものの、どうしたものか。
気になるものはやはり気になる。

空き部屋ならいっぱいあるって。ソルディス、ちょっとした自滅発言。
それ、若くて可愛い下女にも言ってるのって聞けばよかったと少し後悔。

ああ、今頃秘密の空き部屋には、アリシアさんとソルディスが二人きり……
ロドメさんはセトの相手に付きっ切り。

じゃあ私は夢の世界に逃げてみようと選び抜いたのは、魔族に伝わる昔話で、すっごく薄っぺらな物を数冊ばかり。姫様は、随分と空想がお好きなよう。
ソルディスに見られたら、また馬鹿だの幼稚だの言われそう、でも彼は今頃大事なお客様が来ていて忙しいもの、ティナは自室へ足を進めた。

薄いといっても、大した力も無く小柄なティナには、大判の絵本を運ぶのは一苦労。
よいしょ、と、部屋の扉を開ける前に一度本を持ち直して、重たい扉を開け――

ようとした、その瞬間。部屋の奥に物音を聞く。

ソルディス?
いいや、ソルディスは今頃お客さんとお話中だ。

じゃあ、ロドメさんとか下男とか?
けれども聞えた物音は、なにやら雑用とは違った音だ。

つまり、窓を雑に開ける音と、それに混じった……微かな歌声。


ソルディスが何かの病気で突然歌を歌いだしたり、気を抜いた下男下女が楽しげに歌ってる。
なんて想像も楽しいけれど、何だかそれとは様子が違う。直感的にティナは思った。


恐る恐る、扉を開ける。


本来なら、ソルディスが居る筈の、城主の部屋。
その部屋の最奥、窓の縁に優雅に腰を掛けて、晴れ渡る空を見つめていた、その人。


燃える様な赤の髪に、ボトルグリーンの見慣れぬ正装。

ティナは初めて、その男を見た。
そして、思う。彼の姿を、美しいと。








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