小娘、お前は知っているか。

お前を取り巻くこの世界を。
お前が堕ちたこの世界を。

(そして何より、お前の隣に居るその男が、真実を語ろうとしない本当の訳を。)







----------------------------------------





そらが泣いた。
うみとなった。

その様子をみて、貴方は笑った。


――覆い尽くす闇の中では、己の造りし玩具が見えぬ。

だから一つ あかりをともした。
あかりをともすと、闇もまた恋しくなった。

暫し、あかりがともる時を。
暫し、闇が包み込む時を。



闇の中に飛び火したあかりは、つき、と呼ばれた。


貴方はそれに満足した。
戯れに、同じ世界を、一つ一つ、また一つ。
決して飽きないその行為に、貴方は無邪気に没頭した。


玩具は、貴方を“アギタ”と崇める。


その姿を見たとする預言者は言う。


彼の御人、身形は筆舌に尽し難き御姿なり。
双眸はあかりをともしたように明るく、それでいてどこまでも暗い。
背から伸びるあまかける六つの翼は、銀糸で紡いだやうな美しさ。

人の形を成す時あらば、空に漂う風とも成り得し。
彼の者こそ、我等が世界の創造主なりと。


アギタは笑う。
アギタは欺く。
アギタは、この世の全てを造り替える。

飽きたら造り、飽きたら壊し、興味が無ければそのまま放る。

そんな主は、一度だけ。たった一度だけ、笑いながら涙をながした。
それは流るる血であったのか。
紅の一雫は何処までも、何処までも深い、世界の谷へ落ちた。


何故かは知らぬ。
アギタ自身ですら、知らぬ。

――解せぬ。

ただ一言だけそう言って、それきりアギタは世界を造る事をやめた。
諦観者。一番上から、己の造った玩具を眺めるのみ。

果て、落ちた涙の雫は何処か。
そんなものには興味も在らず。
アギタはそのまま、そらの上のまた上のそらに、永遠に座り続けた。

神は未だ、天上にて。ただ傍観者として黙り続ける。





----------------------------------------------------







「原因は、其れだ」
「は?」

唐突に途切れた流れに、ティナは間の抜けた声を出す。

「だから、全ての元凶が其処にあると言っているのだ――」

麗人は、目を細めて背を屈めると、頭上に「わかりません」と台詞を漂わせる、のほほんとした姫君と目を合わせた。

「いいか?――この世界に、歪みが現れ、そこから異常の物が侵入する。斬っても裂いても燃やし尽くしてやっても次から次へと歪みは起こる。私もセルシュも貴様の夫も、日々その様な下らぬ事に手を焼いている訳だ」
「セルシュ?誰ですか?」
「お前はそれすら知らんのか。まさか其処から話すのか?詰まらん、何の得にもならん話は、其処に突っ立っている真黒な領主殿に聞いてやれ」

ティナが視線を上げると、ソルディスは、一言「南方領主の名前だ」とだけ呟いた。

――何だろう。
――何故だろう。
ティナは根拠の無い不安をソルディスに抱いた。

先刻までは、この赤い魔人を気嫌ってティナから無理矢理引き離そうとしていた男が、今はただの傍観者の様に隣に立つだけ。単に聞き知った話に入りたくないのか、それとも何か理由があるのか。それすらもティナには判断が出来なかった。

「――セルシュさんとアルキデアさんは、ソルディスみたいに、“歪み”が出る度に異世界からの侵入者を倒している訳ですよね。それは、理解してます。一応……私も、見た事も襲われた事もありましたから。アレは、今までに見た事も無い様な、言葉に出来ない様な怖さがあって――あの異世界の生き物は、」

ティナにとって異形の者達との邂逅は、お世辞にも良い思い出とは言えない。
あの時、自分が其処に居たから。あの時、其処に歪みが突如現れたから。
彼女は、心臓が引き裂かれる様な想いを強いられる結果になったのだ。
(でも、あの事件が無かったら、ソルディスに告白なんて出来なかったけれど……うん)
思い直してティナは頷く。

「恋のきっかけを作ってくれました」
「発想の天才だな。流石、お前の嫁だ」
「聞き流せ。阿呆の発想だ」

ソルディスが眉間を押さえる。

「その“歪み”と、今アルキデアさんが暗唱してくれた“新神文書”の一文に、一体どういう関係が?」
「貴様の耳は飾りか!」

ティナの耳を軽く抓った。

「そうか、貴様のだらけきった体は、創造神の駄作にして駄作。粘土細工にして、壊れかけの玩具なのだな?いいや、我々崇高な魔族に与えられた愛玩用の人形としか最早思えん!――ほれ、痛いか!痛かろう?こんな無駄に柔い体を持て余して。全く、王室とやらが聞いて呆れる!」
「いはいれふ!あるひれあはん、はらしてくらはい!!」
「ふはははは!聞こえん!全く聞こえんぞ!伸びきった頬では何も喋れまい!」

喋れないのはお前のせいだと、漸く旦那様の静止が入る。
柔いティナの頬を、ぎゅうっと引っ張っていたアルキデアの両手を振り解かせて、ソルディスは傍にあった煙管を取り出し火を灯した。

「はあ。貴様は未だに煙管を使うか、古風な男だ」
「紙巻は口に合わん」
「東方の葉が悪いのだ。北方の其れはもう病み付きになる程の逸品だぞ。今度大量に送ってやる」

必要ない。言ってソルディスは煙を吐く。

「今時の女共は、葉巻やら煙管なぞ時代遅れと笑っているぞ。あの氷結熱帯女すら私の国から大量に買い取りだ」
「セルシュか」
「そうだ。あの女、やはり侮れん。相場が上がる前に目を付けて格安で持っていかれた。おかげで北方の懐は寒波の極みだ」
「セルシュさんって、女性なんですか?」
「おお!飾りの耳が機能回復か!良かったな小娘、泥人形とならずに済んだぞ!――そうだ、貴様は目にした事すら無いか。セルシュは南方領主を名乗る実に腹の立つ女でな。アレは最早、熱帯に救う越冬生物だ。暑苦しい領地に生まれた癖に、見た目も中身も氷塊の如きだ。私が少しでもからかうと冷気を放つがコレも実に奇怪で面白い。南方の女が、だぞ!暑さに慣れているのなら火の一つでも使えば良かろうに、態々氷や水流の属性魔術を好むのだ!これ以上に理解不能で阿呆らしい事があるか!?しかも、本気で殺る気で来るのだあの馬鹿は!加減と言うものを知らん。嗚呼、思い出すだけで、何時如何様に仕返ししてやろうかと体が疼く!」
「氷とか水って……北国に暮らすアルキデアさんの得意技なんじゃ」
「馬鹿を言うな。ただでさえ寒い土地に住みながら何故寒い魔術を使わねばならん」
「え?だって。本の中では、氷の魔女が住む魔窟は氷塊地獄で、見た目も攻撃もそれはもう氷、氷の連続で――」
「貴様の情報源は全て絵巻か!聞いたかソルディス!この女、子供向けの絵巻を全て真実と思い込んでいるぞ!もしここで貴様の得意な魔術は卑猥な魔術だと吹き込めばこの女は全て鵜呑みにしてしまうぞ!それ程にまで頭が緩い!」
「ひ!ひ、ひわいな魔術!?」
「そら見ろ、即効で信じたぞ」

やはり馬鹿だ。
アルキデアはティナを見下して盛大に貶す。
それ以前に、お前も何故寒地に生まれながら氷の魔術を使わないのだと、誰か彼を詰問すべきだ。

「まあいい、話が逸れたな。それでだ、鳥頭」
「とりあたま……」
「貴様の知能なぞ、黄色い生まれたての養鶏と同等だ。それに関して異論は認めん。――その鳥頭で、先ほどの私の話を聞いて尚、何一つ感想も疑問も意見すらも無いのかお前は」
「“歪み”と“新神文書”に、関連性がある―ーそれは――」

アギタは、世界を造る。
アギタは飽きたら世界を壊す。
時には、ぐちゃぐちゃになっても放っておく。
ただ、それは古来の話で――そうだ、その神さまは、今は、何もしないで、ただ傍観しているだけなのだ。

「ん、と……アギタが、壊れかけている私達の世界を見殺しにしようとしているって事しか分かりません。疑問点とかいきなり言われると……そもそも、新神文書に書いてある事が一字一句正確で事実なのかどうか、それすら私にはよく解らないので……私は“創造主アギタ”を直接見てませんし。でも……もし、そのアギタが今も天上で、ぼーっと傍観しているっていう記述が嘘だったら、もしかしたらアギタは私達の世界が飽きて、わざと歪みを作って壊そうとしているのかも。――あ、もしかしてアタリですか!」
「ふむ……貴様、疎いのか聡いのかどちらかにしろ」
「((そんな事言われても))」
「アギタが事実存在して、その上本気でこの世界を壊そうと思えば、手っ取り早い方法があるだろうが馬鹿者」
「どんな?」
「細かな歪みを地味に叩き入れる必要等ない、己の力でこの世界を名の通り“破壊”すればいいのだ。そちらの方が簡単に決まっている」
「そっか。うーん、それじゃあ……」

ティナは首を傾げた。

「うーん、思いつかない――っていうか。どうしてさっきから私アルキデアさんに意地悪な質問ばかりされているんですか」
「貴様の無知具合に腹が立つからだ」
「もう!……そんな風に言って頂かなくても、私は私でソルディスから後でちゃんとゆっくり、」

はた、と。ティナの言葉が止まった。

にぃ、と、アルキデアの唇が弧を描く。

「さて如何した、小娘」
「……ソルディス?」

ティナは煙管を吹かす男を見た。
ここまで完全なる第三者に徹しているソルディスは珍しく……というか、最早無形重要記念品のクラスに入る。

「ソルディス、何で、黙っているの?」
「……」
「何で、アルキデアさんが私に“歪み”の話をするの?ソルディスも知っている話なんでしょ。どうして、私には話そうとしないの?」
「漸く気付いたな、小娘」

アルキデアは、勝手知ったるソルディスの部屋、と、彼のベッドに腰を下ろして横になった。

「気付くのが遅すぎる。が、気付いただけ褒めてやろう。――そうだ。この男は、お前の夫でありこの領地の領主であり、何よりこの世界に起きている“歪み”という異変を誰よりも知り得ているのにも関わらず(――そしてそれが、小娘、貴様にとっても決して無関係では無いにも関わらず――)貴様には何一つ話そうとしてこなかったのだよ」

それが、一番おかしな点だと思わないか?

アルキデアはソルディスを見、なぁ、と一言。

「過保護過ぎるのも善し悪しだな。おかげで貴様の嫁は魔族の地に住みながら、人間の中でも最低クラスの鳥頭だ」
「お前には関係無い事だ」
「関係ある。北方にも、南方にも歪みが出ている限り。それと、歪みの発生エリアが、人間の住む区域には一切発生せずに我々魔族の生息する場に限られている、という大変不快で興味深い事実が分かっている限りな」
「どういう……事、ですか……」
「異世界の何者かが“意図的に”我々魔族の土地へ侵入を試みている――そう考えるのが自然であろうな」
「待って、でも――クロムセリアから聞いた話じゃ、“歪み”っていうのは、偶然に偶然が重なって、隣り合う世界同士の壁が脆くなった時に――」
「阿呆か。壁とか屏というモノは、老朽でのみ破壊に至るものか?違うだろうが。仮に頭のおかしな奴が力任せに殴り込めば、壁でも屏でも簡単にヒビが入る」
「それじゃあ、」

「そうだ、まぁ十中八九、これらは意図的に発生する歪みなのだ。セルシュの奴も異論は無いと言っていたから確かだろうな。」

ともかく、と麗人は続ける。

「これで、2つだけ確かな事が解ったであろう?」

1つ。異世界の何者かが、意図的に我々魔族へ接触する為に歪みを発生させているという事実。
2つ。それらの事を、何故か不審を抱く程に、ソルディスが貴様に何一つ話そうとしないこと。

「以上だ」

さらりと言ってのけたアルキデアは、首をコキリと鳴らすと、ティナを見て笑う。

「何れも、貴様が我々魔族にとって如何に小さな存在であろうが知っておくべきだと思って話した。それだけだ。新神文書に関する疑問やら、貴様と歪みの関係なんぞ、込み入った面倒な話が知りたければ後はそこの沈黙領主に聞いて回れ。後は私の知った事では無い上に、そろそろ喋るのも疲れた」

それに、それから先は、貴様にはどうしようも無いからな。
言って彼は、ぼふんと枕を抱いて遊びながら、続けた。

「おい。そこの煙管男。そろそろ今日の本題に入るぞ。場を変えるか?それとも――丁度良い。このちんちくりんにも聞かせるか。どうせ歪みの話だ、私はどちらでも構わん」

「本題って何ですか!もうそこまで言ったら教えて下さい」
「お前は部屋に篭もって、本でも読んでいろ」
「どうして?私には、どうにも出来ない事なんでしょ?だったら、聞くだけでも――」
「何も出来ないなら無駄な知識を入れる必要は無い。聞くだけお前は杞憂するだけだ」
「でも……!」
「おい、ソルディス」

アルキデアが口を挟んだ。

「何だ」
「前々から聞こうと思っていた。貴様はこの小娘に一体何を遠慮しているのだ?」
「遠慮?――馬鹿馬鹿しい。俺は、単純思考の塊りに余計な知識を与えない様にしているだけだ」
「それを遠慮と言うんだ、愚か者」

先が見えない二人の話に挟まれて、ティナは何の事を言っているのか分からず混乱する。

「ああもう!これじゃ夜も眠れませんってば!とにかく、単純思考で鳥頭の私でも誤解無く理解出来る様に少しでも良いから、説明してくださいお願いします!」

簡潔に?

口角を歪めたアルキデアに、嫌な予感を感じたソルディスが何か言おうとした直後。


「――まぁ。近々、魔族と異形の間で、大きな戦争が起きるだろう。それだけの話だ」


……戦争?

遠い昔に聞いた言葉の様に、実感の湧かぬその言葉の意味を理解した時。
ティナの目線は最早、ソルディスしか捕らえていなかった。

相変わらず、不機嫌で無表情で、此方を向かぬソルディスを。



→NEXT


Copy Right (C) 2004 - @KIERKEGAARD−IZUMO.  All Right Reserved.