「戦、争」


予想以上に、搾り出した声は枯れきっていて、そんな様子の姫君にアルキデアは満足気に口端をあげた。


「そうだ。戦争だ」


麗人はベッドから身を起こしそこから下りると、両腕を開き、天井を仰ぎ見る。

「役者、役割、道具に環境。見ろ。総てが揃ってきている!はっ、これではまるで誰かが書いたシナリオの中で踊っている様ではないか。なぁ小娘!」
「誰かって、一体誰がそんな――」
「誰がこのシナリオを書いただと?決まっておろう。我々の地を荒さんと算段を企てている、異界の“何者か”だ。そうして、それを何もせずに傍観しているのが、全知全能と謂れの高いアギタなのだよ」

言ったところで、しかし、尚も実感のないティナは、眉間に皺を寄せてアルキデアの言葉一つ一つを噛み締めていく。

「何だ。姫君は無神論者の上、反戦論者で在らせられたか?いいか。何一つ理由も無しに、何度も何度もこの魔族の地に異形が来る筈が無いではないか」

ちらりと、ソルディスを見やりながら、続ける。

「――前言撤回をしよう。先程はそこの領主殿に任せると言ったが、このままではソルディスは一生だんまりを決め込むであろうからな。それでは少々哀れというもの。この私が、歪みと貴様の関係も教えてやるとしよう」
「アルキデア」
「邪魔立てするなよソルディス。この世に異形がやってくる限り、この娘が関しているという事実は決して変えられない真理なのだ。小娘が幾ら幼少の記憶を無くしていようがいまいが、ソルディス、貴様が如何に過去を闇の中へ葬り去ろうが、異界のものは確実に的を目指してやってくるのだ」
「的?」
「そう、的だ。それこそが――アギタが世界の各地に数多く遺したと言われる“聖物”」
「“聖物”……」
「そう、奴等はそれを狙ってやってくる。いいか。よく聞け。貴様はこの戦争において、脆弱な駒でありながら最も重要な鍵なのだよ」
「……………あの?」

「つまりだな、」


ずいっ、と腰を曲げティナを正面から見つめると、






「貴様は、創造主アギタの聖物――“紅の一涙”なのだ。ティナ・ジェノファリス」




――時が止まった。




緋色の双眸は瞬きを止め、咽喉は砂漠の如く干上がっている。
アルキデアさん。
そう名を呼ぼうとしても、ティナの息は急くばかりで空に溶けてく。
ソルディス。
その名を呼ぼうとしても、ティナの心臓は何かに急かされる様鼓動をうって彼女の胸を苦しめていく。


(貴様が幾ら幼少の記憶を無くしていようがいまいが、)

そうだ。

本当は、もっと、何かを聞かなくてはいけないのだ。
本当は、もっと、何かを思い出さなくてはいけないのだ。

それでも――ティナは、何一つ、口に出せない。何一つ、思い出せない。



「さて、」


焦点の合わない姫君の瞳に目線を合わせたまま、北の魔人は続けた。



「私が言いたいことは今の一言に全部詰まったぞ。どうする?――ソルディス」


「――それって、」


代わりに答えたのは、やっと吐息を整えたティナだった。


「私が鍵って――私が、アギタの聖物って、それって、」

聞かなきゃ。どうしても、一つだけ確認しなくちゃ。



「それは、今から起こる戦争の原因が」
「そう。貴様にある、と言うことだ」



――何だ、喋れるじゃあないか。
ふぅん、と感慨深く言うと、背を伸ばして今度こそソルディスを見た。

「ほら見ろ。ほんの数分もかからん。お前はこの事実をこの小娘に隠すために、幾許の時間を無駄にしてきた?」
「……」
「まただんまりか。しかしもう無駄だぞ。核心は、私がたった今告げた」


トン。

ティナの肩を軽く突いて、ソルディスが立つ方へ押しやったアルキデアは首を鳴らすと、さぁて。とだけ呟き、

「今日の来訪は、北方の異形出現率を纏めたものを渡して、ついでにこの小娘の処遇について考える事が目的だったが――」

口端を上げて、艶やかに笑う。

「その様子では、貴様が守る――の一点張りだろうな」

後ろに追いやられたティナの体を、いつの間にか抱きとめていたソルディスは、軽くアルキデアを睨む。

「嗚呼止めろ、今は喧嘩の気分じゃあないんだ。そうだな……どちらかと言うと、」


眠い。


ふわぁと欠伸をして、アルキデアは背伸びを一回。


「飽きた、眠い。帰る」


未だ唖然としているティナを横目に、そんな事を悪びれも無く言い放つ。

嵐の様な存在とは、彼のような男の事を指すのだろう。


言うだけ言い残すと、北方領主アルキデア・コークシスはソルディスに耳打ちをして、颯爽と部屋を出て行った。

見送りも要らず、ロドメが用意しかけていた茶も口にせず。



――そうして静まり返った部屋の中には。
話に取り残された姫君と、部屋の主。二人。













「――……戦争、って」


沈黙を破ったのは、俯いていた姫君だった。


「どうして、黙ってたの」
「お前には」
「関係無くないじゃない!!」
「……」

最早、関係無いで済ませる訳にはいかなくなってしまったのだ。
少なくとも、ソルディスの伴侶として此処に居る以上。
そして、アルキデアから、あの様な言葉と、世界の有様を告げられた以上は。

「ソルディスが私に教えてない事いっぱいあるって知ってる。別に、それでも良かった。ソルディスにも話したくない事の一つや二つあるんだって、それは今でも思ってるから。――でも、今回は別。異形と戦争?何で戦争が起こるかすら、まだはっきり飲み込めて無い、私自身が原因で?もしかしたら、また、大怪我しちゃうかもしれないのに。もしかしたら、また――」


また、私のせいで、誰かが傷付くかもしれないのに。
また、ソルディスが目の前から消えちゃうかもしれないのに。

ソルディスを失ったあの日々。
その、古くない記憶に緩められた涙腺は、ティナの視界を滲ませた。

分からない。いきなりの事を告げられて、何をどう考えたら良いかすら分からない。


「やだ……やだな、泣いて、困らせたいわけじゃあ、ないのに」
「――」
「いつもみたいに、馬鹿だからって笑っていたいんだけれど」
「ティナ」
「これじゃあ、ほんと、どうしよう、も、な――」

唇を噛み締めた途端、ぽたりと、涙が床に零れた。

同時に、何も言わぬソルディスの片手がティナに伸ばされ、背を向けていた彼女の小さな体は簡単に引き寄せられる。
背中に感じる体温。
目を覆うようにして回された掌。

「ソル、」
「お前に、話すつもりは無かった」
「……」
「余計な事を話して混乱させる様な真似は性に合わない」

ソルディス、と呼ぼうとして、今度はその口を掌で覆われた。

「話さなくて済む事は、話さないままで良い。そう思ってきた。……今も、そう思っている」
「……」
「――ただ、何もかもを話さずに全てを済ます事は、不可能になってきた様だな」


旋毛に落とされる口付け。開放される、唇。


「一部だ」

ソルディスは言う。

「今起こっている事の、一部だけお前に話そう」
「ソルディス、でも」
「もしも話さざるを得ない時が来たら、――その時は、お前に全てを教える」


だから――その時まで、待て。


壊れ物を扱うように回された腕に、ティナは続ける筈の言葉を留めた。

ソルディスは、やっぱり全部知ってるんだ。
やっぱり、私の何か――アルキデアは聖物と言っていた――が、この世界の異変に関わっているんだ。


何だろう。
私の、何か。
何?
手足?心臓?それともこの、緋色の眼球?

嘘だ。だったら、私は小さいときから、もっと異形に遭っているはずなんだ。
私は、単なる、小さい国に生まれた人間で。
この歳になるまで、魔族と関わりなんて全然無くて。
異形との戦争に関わる要素なんて、一つも無くて。





――本当に?――







「――……痛っ、」
「ティナ?」
「ん、……なんか、大事なこと、忘れてる気がして――思い出そうとしたら、」
「やめておけ」
「ちょっと、頭が痛くなっただけで……ソル?」
「やめろ」

頭を抱え込むように抱かれて、もう一度、旋毛に唇が降る。

「横になれ」
「横にって、まだ昼間よ?それに、話聞かせてくれるって」
「良いから黙って言うことを聞け」

言って、ティナを横抱きにすると、自らのベッドに横たえる。
まるでガラス細工を扱うように。
冷たい手のひらを彼女の額にあてがうと、ティナは、短く息を吐いた。

「ねぇ。寝ながらでも良いから、何か、話して」

私と、歪の関係のことを。

「……」
「お願い。ソル」


頼りなく揺れるも、確りとした意思を持った瞳。

ソルディスはベッドサイドに座り、深い溜息一つ吐く。

ティナの体にシーツをかけ、暫し黙ると、ようやく重いその口を動かした。





------------------------------------------







異変が現れたのは、何もここ最近の事じゃあない。 数年前、一度だけ、異常に大きな歪みが現れたことがある。


それは、ティナも良く知っている、あの獣寄らずの河原のほとり。


魔獣も寄らず、殆どの人間も寄らぬ、一部の者しか知らない彼の場所で、大きな歪みが起きたのだと。

現れたのは、異界の者。
何を求めてか、一体何を望んで歪みを作ったか。

異界の者は――偶然その場に居た人間の殆どを、赤子の如く捻り殺した。


若しその場に居たのがアギタに信心深い者であったなら、斯様な惨劇は起きなかったのかも知れない。
ただ、その時、其処に居た多くの者は。

“アギタを信じず、それを否定する、人間”だった。

創造主、アギタ。
その存在を信じるか否か。

たったそれだけの事で(異界の者にとっては、それが全てだったのかも知れない)、其処にいた者の生死は別れた。

異界から此方へやってきたそれは――アギタの“紅の一涙”を求めて、世界から世界を渡り彷徨う者だったのだ。


異界の者は言う。
――この“小娘”からは、アギタの匂いが非常に濃く感じられる。
嗚呼、だが未だ熟していない。
時期が来れば“紅の一涙”はもっと強く香り立つ。

その時を待ち、もう一度この世界を切り裂こう。
この世界の“印”を貰い、再びこの世界へ舞い戻ろう。

幾千幾万の者が逝こうと我等は構わぬ。

ただ、熟れた聖物が手に入るのなら、それだけが望みなのだ――




――そうして、異界の者は去った。
生臭い血の跡と、束の間の猶予を残して。




後に周囲の者が辿り着いたその河原には、雨晒しにされた幾つかの無惨な遺体、




そして、唯一の生還者――惨劇の河原に横たわった、傷だらけの一人の少女。


























「ここまで言えば」
「――」
「お前も、分かるだろう」
「ソル、……何、言って」

ギシリとベッドが鳴る。
起き上がろうとしたその身を制し、視線を逸らさず、その口は言う。




「たった一人生き残ったのは――お前だ、ティナ」







→NEXT


Copy Right (C) 2004 - @KIERKEGAARD−IZUMO.  All Right Reserved.