行って来る―― 一時の別れを告げる、その短い言葉と裏腹に、頬を撫ぜる優しい手。 もしかしたら、これが最後になるかもしれない、そんな思いに駆られ、彼女は咄嗟に彼の袖を掴んだ。 不安気な少女の瞳と視線を絡めて、彼は、もう一度優しくその頬に手を添えた。 また、必ずここへ戻ってくる。 そう言われて漸く手を離した彼女に背を向けて、男は、扉の向こうへ消えていく。 (貴方で無ければ、) 少女は思った。 (私は、こんな想いを、永久に知る事はきっと無かった) 緋色の瞳をそっと閉じる。 同時に聞えた扉の閉まる低い音は。それは、彼女の不安な心を、また少しだけ駆り立てた。 暗闇に浮かぶ炎は、蹲る様な“それ”を照らして、実にその部屋は奇怪である。 奇怪だったが、落ち着いた。それが逆に不気味だった。 男は――ソルディスは、部屋に踏み込むと、足を進め、それの前に立った。 幾本もの蝋燭と緻密に描かれた惑わしの陣に囲まれた、それは、身を包むゆったりとしたローブの中で少し動いたかと思うと、皺枯れた乾いた笑いを漏らしてようやく顔を上げた。 ソルディスを見上げた彼女は、ナン・ラン。 もはや性別すら分からぬ程老いたその身で今尚、高等魔術を操る東方魔族の長老。 「久しぶりじゃ。若き領主」 「――生憎だが、記憶が無い」 彼女は笑い、目を細めながら、己の前を指差した。 そこに座れ、というその意図に、ソルディスは素直に従う。 「お変わりになりましたのう、若様」 「何が」 「全てじゃ。全てお変わりになった。あの時、妾が予言した通りじゃ」 ソルディスは、枯れ枝の様な指で、手元の石を弄ぶ老婆を見つめた。 「姫様は元気かの?」 「姫……ティナの事か」 「――あの娘は、貴方様の運命を大きく揺るがす」 そう申しました筈じゃ、 ナンは一層愉快そうに口端を歪めた。 ――さて、その話は後回しじゃ。 まずは、貴方様の記憶を戻さなくてはなるまいて。 ナンは、ソルディスの額に、そっと指先を当てた。 「貴方様に今から施すこの術は、嘗て禁忌とされたものじゃ。相当の覚悟が必要と知っておいでか」 「リスクも代償も、全て姉上から聞いた」 「ならば最早、これ以上の忠告は必要ありませぬ」 指先から、僅かな刺激が頭に伝わる。 ソルディスは眉を顰めながら、段々と、皺枯れた彼女の声が、ぼやけていくのを感じた。 頭の中に、白濁の白墨を流されているようだった。徐々に、思考が鈍くなる。 遠のく意識の中で、ソルディスは、そっと目を閉じた。 暗闇の向こう、老婆の声が耳に届く。 「それにしても、貴方様は不思議なお人じゃ。何よりも――」 何よりも、嘗て忌々しき日々の記憶をお捨てになりたいと願っていたのは、貴方様であったのに。 それを聞いたソルディスは、暫し黙った。 何も無い、真っ暗な記憶。 彼は、誰の言葉も、誰の温もりも覚えてはいない。 自分が嘗て喜んだ事も、悲しんだ事も、怒りを覚えた事も、何もかもが。何もかもが、空白。 彼には、その空白が何処か心地よかった。だから、過去の自分に執着もしなかった。 失われた記憶にどこか安堵している自分に気付いていた。 ならば、何も思い出さなくても良いと思っていたのだ。本当は。 あの夜、風吹く丘で少女は彼に言った。己の婚約者は死んだのだと。 その人は、過去の記憶に苛まれ、笑顔を失い、心の平穏すらも得られずそのまま姿を消してしまったと。 何よりも、そんな苦しむ最愛の者に、何も出来なかった自分は一体、彼にとって何の価値があったのかと、己を責める様に少女は語った。 そうして、自分を束縛する過去の呪縛から抜け出して、何もかもから解放されたはずの彼は、再びその絡みつく渦の中に身を投じようとしている。他人が見たら嘲るであろう。自殺行為だ。今望んでいる、この行為は。 「気を違えたんだろうな、俺は――」 そうだ、きっと気を違えているのだ。彼は、その原因を考えた。 考えようとして、ふと、思い当たる事があったような気がしたけれども、思考が最早朦朧としていて、明確な答えに辿り着く前に、意識を手放さずにはいられなかった。 老婆の両手が自分の額に添えられたのを自覚して、その後、ソルディスは、暗闇に落ちた。 力が抜けるその瞬間、意識の奥で、淡いブロンドが見えた気がしたけれど、それが何を意味するのか、考える時間は、彼に許されてはいなかったのだ。 カタカタカタ、カタカタカタ、カタカタカタ、カタカタカタ。 「煩い」 言われてグロチウスの動きが止まった。 落ち着きが無い彼がさっきから揺すっていた足先は、所在無さげに床を踏む。 「仕方ないわ、ニル姉。グロっちも不安なのよね」 言うのは、彼の髪をずーっと弄りまわしている姫君ティナ。三編みだけは止めて下さいと必死な視線を無視し続けている彼女は、グロチウスの黒い長髪を黙々と結い上げている。 ロドメが淹れてくれたお茶を飲みながら、ティナを始め、ニル、クロムセリア、ちゃっかり人型のグロチウスの計四人は、食堂に集って、屋敷の主人の目覚めを待っていた。 ナン・ランの術式が終わり、まだ眠りから覚めぬ脱力した領主様を双子の弟君が馬車まで運んで城まで帰り、自室に寝かせ、城医のルーク等を呼んで看病に当たらせてから早数時間が経つ。 外は暗がりが支配し、晩餐の準備が始まっているけれども、誰も彼もが食事を取っている気分ではない。 だってここには城主が居ない。体に負荷の掛かる術だけに、このまま永遠にソルディスの目が覚めなければ、完全に術式失敗――記憶の回復どころか、魂までもが永久に葬り去られる事になる。 (お願いだから、目を覚まして) ティナはそう願いつつ、グロチウスの髪を編む。 知ってる?聖レィセリオスには、願いを込めながら三色の糸を編みこんで、腕に飾る習慣があるの。 その糸が切れるとき、編んだ人の願いが叶うっていうおまじないなのよ。 それは千切れるまでこの髪を編むって事ですかというグロチウスの疑問は無視である。 紅茶もろくに咽喉を通らぬ程積もり積もった不安を掻き消す為にも、ティナはグロチウスの髪を弄り回す他時間を潰す方法が見つからない。 そんなティナの淡いブロンドを撫でるクロムセリアは、茶を啜りながら目を細めて、落ち着きの無い姫君を見守っていた。兄に見られたら一睨みで殺されそうな状況ではあるけれども、恐らく、彼も内心落ち着いていられる訳も無く。 誰も彼もが冷静を装ってはいるけれども、実の所は緊張の連続だ。 一時間ごとに響く大時計の鐘の音も恐怖に感じる程に屋敷の中の空気が張り詰める。 暫くして、また、ニルが一口紅茶を啜ったその時。 廊下の奥から、足音が聞えた。 パタパタと可愛らしいその音を立てて食堂にやってきたのは、ルークの愛妻ガーネット。 「皆、来て。ソルディスが目を覚ましたわ」 四人が、一斉に席を立った。 扉を開ければ、水差しを持ちながら椅子に座るルークと。その向こうに、ベッドから上半身だけ起しているソルディスが見えた。表情は無い。目を開けてはいるけれど、感情の色が見えなかった。その人形の様な彼の様子は、ティナに躊躇いを強いた。ニルとグロチウスは停まる事無く部屋に入り、クロムセリアは、不安げなティナの手をそっと引いて、部屋の中へ導き入れる。 「――ソルディス、貴方」 駆け寄ったニルが肩を掴もうとする。けれども、「わ、待って待って。起きたばかりだから、刺激に気をつけなきゃ」ルークは手を振って強引な動きを制した。「まだ、ぼぅっとしてるみたいだからね、ソルディスは」 城医は、にこにこしながらソルディスの顔を覗き込む。 人懐こいルークの表情にも、ソルディスは、眉一つ動かさず。 ――もしかして、失敗か? グロチウスは不安げに、ソルディスの傍らにしゃがみ込んだ。 「はい、ソルディス君。僕の名前、覚えているかな?」 「……」 「あれ?もしかして、僕の事分からない?それは困ったなぁ。小さい頃から君が大好きで大好きでたまらなかった大親友の」 「脳が腐った阿呆城医」 あ、それが言えれば問題ないね! アハハと笑うルークに溜息をつきながら、ニルは力が抜けた様にがっくり肩を落とした。 「びっくりさせないで――成功していたのね。記憶の回復は」 「もう完璧。ナン・ランも流石だけど、耐えたソルディスも流石だね」 「後遺症は」 「肉体的な問題は無いよ。敢えて言うなら軽い頭痛が残ってるくらい」 「良かった。もう、全て完璧に思い出したの?」 「残念ながら、そのようだ」 嗚呼、懐かしきその皮肉な笑い。 安堵したよう、主の手元にそっと跪くグロチウス。 気を抜けばふっと馬の姿に戻ってしまいそうな彼の頭をぽんぽん撫でてやりながら――ソルディスは、奥の光景に目を細めた。 視線の先には、此方の様子をそっと伺うようにオドオドとクロムセリアの影に隠れた、ブロンドの姫君。 何か言いたげに、でも、何も言ってこないどころか此方へ近付こうともしない彼女に、ソルディスは、顔を顰める。ティナがちょっとビクっとしながら、それでも思い切って、(ソルディス、)そう彼の名を口にしようと息を呑んだ、その時。 「――誰だ?」 その瞬間の、ティナの表情と言ったら! 顔面蒼白。見ていたグロチウスも驚き慌てるくらい(それはまるで断崖絶壁の頂上からトンと肩を押されたかの如く)衝撃のあまり顔を真っ蒼に染めて眩暈を起した姫君の様子に、流石のソルディスも溜息をついて、 「冗談だ……ティナ」 次の瞬間、病み上がりのダルい体に包帯の束が面白いほど襲い掛かった。 「酷い!!馬鹿!最低!最悪!意地悪!極悪領主ーっ!!」 叫びながら、ルークの医療道具を次から次へとソルディスへ投げる。 わーティナそれ全部弁償だよと笑いながら、ルークはギャラリー全員の背を押して、領主の部屋を後にした。流石の専属城医であっても、夫婦仲の治療だけは専門外だ。幼馴染と言えども、そこまで面倒は見てられない。 二人きりになった後も、まだまだ暫く喚くティナ。 ひとしきり詰って、はぁ、と肩で息をしながら涙目でソルディスを睨んだ。 気は済んだかと呆れたように此方を見るソルディスが、そんな平然としたソルディスが、とても憎らしくて腹立たしくて許せなくて、もっともっと怒ってやりたくて、ティナは、唇を引き結んだ。 「信じられないっ!こんな時まで、酷い嘘ばかりついて、私の事からかって……!ソルディスなんて、私、」 “大嫌い!” そう言ってやろうとしたけれど咽喉をついて出て来なかった。 ソルディスと視線を合わせた途端(それが、例え嘘であっても、)彼を否定する言葉が、それ以上咽喉を超えて出てこなかった。 ――代わりに出てきたのは、涙だ。 一筋毀れてしまえば、後はもう堰を切った様にぼろぼろと零れ落ちる雫。 それを、驚きながらも必死に手の甲で拭うティナの名を、小さく呼ぶソルディス。 子供の様に肩を震わす彼女の細い腕を、ソルディスは、静かに引いた。 途端、力が抜けたよう、導かれるまま彼に抱きつく姫君。 その小さく柔らかく暖かい彼女の体を、ソルディスは、淡いブロンドをそっと撫ぜながら、抱きしめる。 ――ソルディス、 ガウンに涙を押し付けて、その篭った声で彼を呼ぶ。 ソルディス、ソルディス。 ぎゅっと、彼の背に手を回しながら何度も呼ぶ。 顔を上げないまま、ティナは、何度もその人の名前を呼んだ。 「ソルディス、ねぇ、」 「……何だ」 「ほ、んとに、私のこと、思い出した?」 「思い出した」 「本当に?本当に、私との事全部覚えてる?」 「ああ」 「初めてお城に来た日の事とか」 「ああ」 「私が、ソルディスに怒られた事とか」 「ああ」 「私と河原に散歩に行った事とか、お揃いの指輪を造った事とか、いっぱい私と話した事とか、」 「――ティナ、」 そっと顔を上げさせた。 泣き腫らした様に元から赤い彼女の瞳から、涙がまだ溢れていて、濡れた頬は林檎みたいに赤く染まっていて、その様子は幼いけれども何よりも愛らしく――ソルディスは、ティナの額に唇を寄せながら、 「全部覚えている。お前が阿呆面をしながら夜中廊下を徘徊した事も、部屋にあった家宝を割った事も、よくドレスの裾を踏んで転んでいた事も、度々寝相が悪くて夜中に俺を起こした事も――」 言葉に詰まるティナの耳元でふっと笑って。 「それから……俺に、恋慕を告白した事も」 ぎゃあと叫んで飛び退きそうなティナの腕をぎゅっと掴んで、ソルディスは意地悪く口端を歪めて、 「ああ、まだ足りないか。他にもそうだな、結婚初夜に俺の舌を噛んだ事や、耳が一番弱い事や、よく指を噛んで声を押し殺した所為で俺に叱られていた事や、」 「待って!ストップ!もう良い十分!!」 「それから――小屋の中では、随分良い声をあげていた事も」 言って、ソルディスはティナを抱きすくめたまま、首筋に口付けをした。 小さく声をあげながら、ティナは顔を真っ赤にさせて、 「や、ソ、ソルディス待って!ソルは、病み上がりなんだし……それにニル姉やクロムセリアもまだ心配していて、色々お話が、あって、きっとまだ廊下に」 「クロムか……そう言えば、あいつには聞く事があったな」 ティナの耳元を啄ばみながら、ソルディスは眉を顰めて、「アリシア・セレステの家では随分好き勝手やってくれていた様だ」 好き勝手? はて、と思い出すように視線を泳がせたティナだけれど、直に思い当たる節があって、慌てて彼女は首を振った。 「あ、あのね。違うの、クロムセリアは、混乱していた私を助けてくれたっていうか、ある意味救世主って感じで」 「優しい救世主様となら、一晩同じ寝床で寝るのか?」 「だから、あれは誤解なの!」 もう、変な所だけ記憶が良いんだから! ティナは困り果てながら、 「ソルが記憶ない間、クロムがお仕事してくれていたのよ。ソルの記憶が無いからって、私に何かしてきた訳じゃ無かったし。ニル姉も、私の心配ばかりしてくれて、グロチウスだって、すごくソルディスの事心配していて、私の面倒も見てくれて――」 「グロチウスか。そういえば、あいつも好き勝手やってくれたな」 「だから違うんだってばー!」 記憶は正確だけど、ややこしい! ティナは溜息をついて、涙の止まった瞳で彼を見上げながら、 「皆、ソルディスの事心配していたんだから。だから、ソルはすっごい大事に思われてるんだなって、私思ったの。さっきだって、皆、お茶もろくに咽喉に通らないくらい緊張しててね、私はずっとグロチウスの髪弄ってて」 奇妙な三網があったのはその所為かと思い出しながら、ソルディスはティナの言葉に黙って耳を傾ける。 「本当に、心配したんだから。もし、無事記憶が戻っても……ソルディスが、元に戻ったこと後悔したり、辛くなったりしないかなって思ってて」それにね、とティナは続けた。「私の所為で怪我をして、こんな事になっちゃって……もし、もしも、アリシアさんの家に戻りたくなったりしたら、どうしようって、」 本当はずっと、それが一番恐かった、 そう告白するティナの頬に再び口付けを落として――見上げたティナの、唇を。ソルディスは、薄く開くその唇を優しく塞いだ。 ティナは一瞬息を詰まらせて、柔らかいその感触に身を任せる。 もしかしたら、二度と触れる事が叶わなかったかもしれないその唇は、懐かしいほどに強引だけれど、どこか労わるように彼女のそれを優しく啄ばむ。 きゅっと目を閉じてドキドキする気持ちを抑えつつ、ティナが薄く瞼を上げると、ソルディスの首に掛かるチェーンが目に入った。あ、二人でお揃いの指輪。ティナがそのチェーンを指先でなぞるのに気が付いて、ソルディスはそっと唇を解放した。 「どうした」 「ん、何でもない……ずっとつけていてくれたんだな、って思って」 ティナは嬉しそうに笑った。 「凄いのね、ソルディスは。私、全然気付かなかった。一緒に寝るときは外してるし、指輪なんてくだらないって素っ気無いから、私が一人ではめて喜んでいるだけだと思ってた」 「気付かないお前が鈍感なだけだ」 「そうね、“ネイビス”が教えてくれなきゃ一生気付かなかったかもしれない。全部この指輪のおかげね。指輪のおかげで、ソルディスも私と夫婦だって気が付いて、だから、お城に戻ってきてくれて――」 ソルディスの胸に頭を預けながら言葉を続けるティナだったが、不意に、彼が沈黙し始めた事に気付いて顔をあげる。あげた視線の先には、ものすごく訝しげな領主様のお顔があって、ティナはぱちくりと瞬きをする。 「私、何か変なこと言った?」 ティナの疑問には答えずに、突然ソルディスはティナの頬をきゅっと抓った。 「いたた!い、痛いソルディス!い、一体何なの?」 「痛覚は正常だな……鈍感なのは、読心だけか」 ソルディスはティナの頬をもう一度抓る。 「いたいーっ!」 「お前は、俺が何の為に城に戻ったのか理解していない様だ」 「え?何って、お城には仕事がいっぱいあるし、私と結婚しちゃってるし、やむを得ず記憶……いたたたた!痛い、だから痛いって!ソルディス、暴力反対ーっ」 涙目のティナの頬を漸く解放して、ソルディスは不機嫌そうに溜息をついた。 頬を擦りながらティナは彼の顔を覗き込むけれど、やはり機嫌が悪い事に変わりは無いらしい。 ティナはうーんと悩みながら、はっと思い出した事があった様で、ソルディスのガウンを突きながら「そうだ。ねぇ、ソルディス」、控えめに声をかけた。 「あのね、私、今回の事で色々学んだの」 「一体何を」 「私、今まで、ちゃんと自分の気持ちを伝えようとして来なかったんだなって」 目を逸らさず、じっと此方を見上げる視線に、ソルディスは黙る。 「ソルディスは仕方ないかも知れないの。ソルは、ほら、無口だし。ね。思ったこと、何でもかんでも喋る人じゃないし。でも、私はそれじゃ駄目なの。私は、思ったこととか気付いた事は、全部、ソルディスに話しなきゃって。そうしないと、私はきっとすぐ不安になるから」 あの時想いを告げた相手は、ソルディスじゃなくて、ネイビスだった。 だから、私は、もう一度――しっかりと、自分の気持ちを伝えておきたい。 「私、ソルディスが大好き」 ティナはしっかりそう言った。 「意地悪するソルも、叱ってくるソルも、冷たいソルも、ぎゅってしてくれるソルも、全部――私、ちゃんと、大好き」 迷惑? そう首を傾げるティナに、ソルディスは暫し黙りこくってから、「……勝手にしろ」、そう素っ気無く言い放った。 その言葉に、ティナは満足げににっこり微笑んで、 「良かった!じゃあ、私、待ってる」 「……何を」 「いつかソルディスが、私に“愛してる”って言ってくれる日」 (ティナそれは有り得ないって!!) 廊下から、盛大に噴出す城医の笑い声。 瞬時に領主が投げつけた薬箱は、扉にぶつかって彼らの明るい笑いを消し去る。 「――ティナ、」 「良いの、今言って欲しいっていうわけじゃないの。これから一緒に暮らしていて、もしソルディスが私の事好きになってくれたり、“愛してる”って思ってくれたら、その時一回だけでも言ってくれれば、それだけで良いの」 何度も繰り返して言えば良いという訳じゃない。 言葉だけが繰り返されても、中身が空っぽだったら、それ以上空しい事は無いだろうから。 ティナはソルディスの胸元にぎゅっと抱きついてクスクス笑った。 「あー、楽しみ。ソルは、いつ言ってくれるんだろう」 「――そうだな、」 言われて、ソルディスは、彼女の頭を撫でながら、窓の外を見た。 「死ぬ前に、一度くらいは言ってやる」 (ああ、すっかり元のソルディスだ!) そう思って、ティナは満足そうにもう一度笑った。 (ねぇ、ソルディス。今日は絶対一緒に寝ようね。) (腕枕して、私のこと、ぎゅっと抱きしめて離さないでね。) ソルディスは無言で、暖かいティナの体を抱き寄せた。 庭の木は夏の緑に別れを告げ、飴色の葉を揺らし始める。 東方にも、漸く秋がやって来た。 |