「王は、お前を高く評価していらっしゃるそうだ」

平凡な昼食の時間。
そんな噂を親友から聞いても、彼は一向に嬉しい顔をしなかった。
寧ろ、黒の双眸を向かいに座る友に向け、眉を顰めて、口にサラダを運んでいたフォークの動きをちょっと止めただけ。それも束の間の事であって、次の瞬間には男は何事も無かったように黙々と食事を再開する始末である。しかし、

「うん、どうやら嬉しそうだな」

親友はそう言って笑う。

「……俺の何処をどう見てそう思うんだ」
「お前が嬉しいなら何よりだよ」
「面白い程の勘違いだ」

眉間に皺を寄せている彼に向かって、実に屈託無い笑顔で微笑む親友は悪びれも無く続けた。

「王が考えていらっしゃる特別兵員――お前は確実に名簿入りだろうな」
「馬鹿言え。特別兵員とは、詰る所、“魔族に対する防衛策”とやらだろう――ナスリカの奥地に巣食う魔族、それを実際見た者が何処に居る?」
「過去の紛争で、レィセリオスと一戦交えたそうじゃあないか」
「何百年前の伝説だと思っている。大方、暇な誰かが作った御伽噺だ」
「なら婚姻の伝承は」
「近隣の魔族の領主に、王族を差し出すというアレか?城に受け継がれ続けている、いつ何時造られたかも分からないような襤褸の契約書を王は懸念してらっしゃるが、アレも冗談の類だろうさ」

彼は興味なさ気に言い終えると、綺麗に食べ終えた皿にフォークを置いた。

「ともかく、俺は特別兵員とやらは眼中に無い。最も、名簿入りそれ自体が俺の剣の腕を上げるというなら話は別だが」

「流石だなぁ」友人は苦笑した。「お前はまさに剣と血の間に生まれた申し子だよ――、」



その言葉に、やはり嬉しそうな顔はせず。

青年は若かった。

脇目も振らず真っ直ぐに、そうやって進む事しかまだ知らない。
それを愚かというべきなのか――自分自身でも分からない程。











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「……糞っ、」

投げた小石は水面を痛々しく弾くだけで、それ自体が彼の鬱憤を晴らす訳ではない。

草叢の上、咲き乱れる月下零の中、青年は剣を野に置いて河原をじっと見つめている。
彼が平生こうしてぼうっと考える事と言えば、自らの剣技と自ら従順する国家の事。

――争いの無い平和な都市国家、聖レィセリオス。
確かに大国から大きく離れ、大した資源も資金も無い、弱小といえば弱小な国家。
魔が巣食うと言われる森を隣人とし、実際魔獣やら何やらの所為と思えなくもない被害も度々見られる……田舎の極みと言える土地だ。

しかし青年はこの国が好きだった。

平穏な土地、笑いの耐えない城下の民。
これ以上何を望む事があるというのだろう。

五年前自分が兵に志願したのも、自分が暮らしているこの国を守りたかったからだ。
例え親が居なくとも、自分を温かく見守ってくれたこの国を。

「私がこの国を故郷とする人間だという証拠は、何処にもありません」その言葉に、王は笑った。「お前がこの国を愛しているのならば、偽り無くレィセリオスの住人だよ」

王は、穏やかな方だ。
その笑顔も、物事の考え方も進め方も。

王妃は強固な方だ。
考え方も、その心の中さえも。

彼は、最近になって強く現れる王妃の頑なな性格に心悩ませていた。

「眼に見えぬ神物を崇める等、恐怖以外の何物でもありません。だからこそ、願わくはこの国から神学を排除せん事を」――彼女はここ数年其ればかりを主張している。

(……アギタ、か、)

新神文書に記される、全知全能の創生神アギタ。
それを信仰し崇める人々に対し、王妃は極端な拒否と否定の姿勢を続けている。

民がアギタを信じているからと言って、王権にとって何も被害は無いのではないか――王は常々そう言って宥めているものの、王妃は珍しく彼の言葉を聞き入れようとせず首を横に振るばかり。

新神文書それ自体は、レィセリオスの国民ほぼ全員が知るところであり、そのうち、アギタを生きる糧とし信仰し続ける民はちょうど五割ほどにあたるだろうか。過度のアギタ信仰を行い、まやかしや呪術の類にまで手を出す民はその内の一割程度で、しかし其れほどまでに広がったアギタへの崇拝を、王妃は一体どのようにして排除せんと目論んでいるのかと――、

(よもや、民を殲滅させんとしているのでは無いだろうな――)

彼はそこまで考えて頭を振った。

(馬鹿な、王妃に限ってそんな事するものか!)

己に問いかけては叱咤の日々。
緩く整えた黒髪を掻き毟りながら何度も何度も考える。
自分はその剣の腕を王に見初められ、大事を起こさなければ順調に城の官となれる道を進みつつある。
王妃の問題は、城の問題。城の問題は、官の問題。
この事態を、黙って何も考えもせずに見送っていられる身分では無い事は自分でも重々承知している。

だからこそ、彼は先日、思い切って王と王妃に見え直に意見を交えてみたのだ。
一介の兵士が王妃の政策に直接物を申すなど、ある程度は王に認められている彼であったからこそ出来た行動であろう。結果、それは、王妃の揺ぎ無い意思によって悉く切り捨てられたのであるが――


(俺に、力が不足しているからだ、)


その言葉ばかりが頭の中で繰り返される。
自分がもっと功績を挙げ、自他共に認める剣士となり国家を支える人間となれば、王妃だって自分の言葉をもっと重く受け止め尊重してくださる筈なのだ。それなのに、幾度と無く重ねる鍛錬の日々に関わらずその剣の腕も何もかもが思い通りに上達しない。

「……剣と血の申し子か、」

親友の言った言葉が思い出される。

剣なら体の一部のように肌身離さず握ってきた。
王が、多少一目置いてくださるほど、その腕が上達するほど。

「だが、まだ足りない」

もう一度石を握り川辺に投げる。やはり石は、聊か流れの速い水に飲まれ、不恰好な飛沫をあげるだけだった。

「糞、……っ」

更に一つ、石を手にして放り投げようとした、その瞬間、


(――!)

咄嗟に全身が粟立った。


とてつもなく異様な気配、それに気付き彼は剣を抜き構えると、即座に後ろを振り返った。

若者の、鋭い視線、隙の無いその構え。
それらは全て、自らの背後に現れた“何か”に対して向けられている。
彼は息を整え、彼の一時の休息を阻み突如現れた大きな気配――その方向を黙って睨んだ。

……本来、人気のないナスリカの森の川辺である。

野獣が出る頻度が少なくある程度開けた場所だからこそ、自分ひとりしか知らぬ隠れた休息の場にしていたのだが――

今のは明らかに、獣の気配などでは無い。
ましてや、人間の放つ闘気や殺気の類でも無い。

だがしかし何物かが発するその“意識”は、紛れも無く彼に向けて放たれていた。

(――……一体、)

柄を握る腕に汗が滲む。
何だ、この奇妙な感じは。
恐怖?畏怖?いいや、これは、今の今まで体験した事の無い感情。
知らずのうちに乱れそうになる呼吸のリズムを整えながら、彼は、自分を落ち着かせるため一度大きく息を吸う。

――出て来い。

その鬱蒼とした森に潜む、得体の知れぬ何かよ。
若しも口を利き自ら姿を表す意思があるなら、臆する事無く出てくるが良い――

ざわり、強い風に森が騒いだ。

男の見つめる中、暫くして、その生い茂る木々の中から、此方に歩み寄る何かが。



「……魔気に中てられない人間は、久しぶりだ」


聞えてきた低い声に、彼は眼を細めた。

人間、だと思った。
その出で立ち、顔立ち、背格好――城下の貴族か、異国の王族か。

しかし、綺麗に整えられた、自分と同じ黒色の髪、自分と同じ暗黒の双眸。
見に纏う漆黒の包衣は、現れた人物の全てを暗示しているようで、彼は思わず息を呑んだ。

「……何者だ」
「それは此方が尋ねたい」

若い男の言葉を何事無くかわし、一歩、また一歩。
その男は、剣を構える彼に近付いていく。

微かに震える剣を握るその腕を一瞥し、男は眼を細める。

「剣士か」
「如何にも」
「俺を斬るか」
「無駄な殺生や諍いはしない。得体の知れぬ気配に警戒しただけだ」
「“している”んだろう?」

無表情とは裏腹に口調は嘲笑うよう、男は緩慢な動きで自らの腰からも剣を抜いた。異様な光を放ち、世の万物を切り裂くかの如き黒剣は、それを携える主の為に生まれたといえる様な長剣。その切先を向けられた彼は、思わず怯みを覚えずには居られなかった。
しかし、

「……是非、手合わせ願いたい」

震える咽喉で、呟くように彼は言った。
若さゆえの無謀。明らかに、自分があの長剣に切り裂かれる姿が想像できると言うのに――幾ら剣の名手と言われていても、それは同僚達の中で抜きん出ているというだけの話で、この目の前に立ち尽くす闇を持つ男には敵いそう無いという事は、嫌と言う程本能で感じているはずなのに――

それらを打ち消す全ては、やはり彼の若から湧き起こる衝動だった。


「……良い眼だ、」男は言う。「良いだろう。久しぶりに、人間を斬るのも悪くない」

笑えない言葉に、青年は手に力を込めた。

「――名を」
「名は自分から名乗るものだ」

言うが早いか、男が視界から消えた。

(――!)

青年は咄嗟にその地を蹴り横に走る。
途端、目の前を霞め制服を刻む刃先。

微かに食い込んだ剣の痛みに、鮮やかに肉が裂けるこの感覚。

熱い、そう思う暇も無く彼は刃を避けるよう地を転げた。

――何なんだ、この動きは!

視界から消える程素早い動き、人間とは思えぬ太刀筋。
一体何処のどいつだ、こんな腕がたつ貴族など、見たことも聞いた事も――

「余所見をするな」
「…!…くっ……」

声に振り向いた途端、男と青年の刃がぶつかり合う。
キィン……とした金属音に続く鈍い衝撃。

ぎり、と、双方の力が――それは決して互角ではなかったが――引けを取らず押し合っている。青年は、明らかに余裕を持ち口端に笑みを浮かべる目の前の男を睨みあげた。

「良い腕だ。悪くは無い――が」

一層強まった押しに、思わず剣を弾かれそうになるのを耐える。

「やはり人間は人間だ」
「……!」

赤子の手を捻るとはこの事か。
若き彼の剣は思うよりも簡単に、男の剣によって遠くへ弾かれた。
奥歯を噛締め、剣を追おうとした青年の首下に、即時鋭く当てられる黒剣の先。
彼は、背筋に冷たい汗を感じる。

「――」

互いが互いから視線を外そうとしなかった。
とどめを刺すなら、いつでも刺せ。
そう言わんばかりに真っ直ぐな視線は、細められた闇の双眸に捕らえられて、

「若いな」そう、笑われた。「まだ、殺すには惜しい」

ただの戯れ、気まぐれだと、男は長剣を鞘に収めた。
撫で付けた黒髪は、黒い双眸は、自分と同じ色のはずなのに、どこか底知れぬ畏怖を湛えていて――
青年は男を警戒したまま呼吸を整え立ち上がり、弾かれた己の剣を拾い上げる。
刃が欠けていないことに安心し、彼はようやく一息ついた。

「……貴方の様な使い手は、初めてだ」青年は言う。「追い討ちだ、よりによって」

(よりによって、自分がこんなに滅入っているこの一時に)
そんな自嘲するような青年の呟きに、男は眼を細めて嘲り返した。

「弱さを嘆く暇があるなら鍛錬を積め」

それは、至極当然の事かもしれないけれど、

「鍛錬なら、血の滲むほど」
「一日二日で結果が出るか」
「――幼少の折から、続けている」
「だが、見たところまだ齢二十かそこらだろう」
「如何にも」

青年は顔を顰めた。「しかし、貴方もそう離れていないはずだ」、言葉に、

「見た目に惑わされるな。本質を見ろ」
「なら貴方の本質とは」
「――お前には、俺が人間に見えるのか?」

意味ありげな言葉に青年は押し黙った。

そんな訳、あるか。

異様な程に強力な威圧感、瞳から滲み出る得も言われぬ闇の色。
人間業とは思え無い程の剣捌き――

この人は、一体、

「貴方の、名を」
「自分から名乗れと言った筈だ」

再び繰り返された言葉に、今度こそ青年は、

「カステル・ジニア。聖レィセリオス王宮に属する、一等剣士」
「一等剣士か。成る程、」

男は納得したように呟いた。
しかし、青年は、

「――ソルディス・ジェノファリス。ナスリカの奥地に住まう、東方魔族の領主」


そう言った所で、果たして納得出来ただろうか。






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