<寄来る争端 6>





「……成る程、ね」


電波のチリチリ鳴る音と、機械が稼動する不気味な低音が響いた。
部屋は暗い。何せ、ここは地下。扉にはROCKの四文字、男は、一人そこに篭る。

五番街、街頭人支部の地下深く、暗鬱な空気の漂うその部屋に、一人横たわるのはシンディア。
冷光を漏らしながら不気味な音を立て、幾本ものコードを垂れ下げる、頭部に装着した其れは、ナーヴ・システムへ彼の脳を繋げる為の通行路たる転化装置。珍しくも電気信号の海を泳ぎ渡る事に没頭する青年は、ふっと溜息をついた。

「これは……確かに、見過ごせないな」

舌打ちをしながらその端整な顔を歪め、彼は毒気づいた。


何かが、一歩一歩と、彼らの元へ忍び寄る。









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「……いつまで、こうしてんの?」



ハルナは、空を見上げながら呟いた。
執着というよりは、最早甘えの領域だろう。
トリス・アーノルドは、咽返るほどの血の匂いを纏いながら、ハルナ・アカツキの体に己の重みを預けている。
その姿は、恋人に対する恋慕というより母親に対して愛情を請う其れに近い。

少し癖があって、柔らかい、猫毛。
ハルナがちょっと視線をやれば、インディゴのそれは彼女の頬を擽っている。
首にかかる吐息、伝わる、心臓の鼓動、肺の起伏。
彼は生きている。
痛覚という、生物にとって不可欠な感覚を失って尚、彼は生きてここに居る。
いいや、生かされているのか。
蜃気楼という、この、腐敗した街に。
この街を支配する、祗庵という組織によって。

ランドルフィンに、殺されているのか、生かされているのか、分からない、(しかし彼はその事を考えようともしないだろう)。



ハルナはトリスの肩を見つめた。

好きなんだ、そう言われても、そんな事を言われた事は初めてだから、どうしたら良いかとか何て返事を返せばいいかとかそんな事は一つも分からないし頭に何にも浮かばない。
彼に対する、この感情は何だろう。

嫌悪、憎悪、悪寒、慈愛、憐憫、同情、母性本能、同族嫌悪……


考えても分からない。
色んな物が、入り混じった。

痛みを無くして人間から遠ざかっていくこの男を、ハルナは、受け入れるか、跳ね除けるか、それを迫られている。

この男を。
自分と同じ、薬によって体を蝕まれ、街の為に生きて街の為に死んでゆくであろうこの男を。
それは彼の望んだことでは無かっただろう。
恐らく、彼の意思じゃなくて、それらは全て祗庵の意思。

街を守るためなら多少の犠牲は厭わない、そうと決めた祇庵の意思と、それに従う――八番街を統べる隊長たるあの男の手によって。


「トリス」

ハルナは、彼の名を呼んだ。

一瞬、反応したように、彼の乱れた吐息が肩にかかる。
ああ、それは、暖かい。
(彼は、生きている)


「……トリス…」

もう一度呼ぶ。
だが、返事は無い。


「……おーい」
「――……」
「トーリースー」


あのね、正直言って、男の体は重いのよ。

ハルナはちょっと呆れながら、そっと、そっと静かに、空いた右手を彼の頭に置いてみた。
ふわっと柔らかい猫毛は、見た目よりも細く柔らかくて、それが以外に心地よくて、ハルナはそのまま掌で撫ぜてみる。

どうせ、痛みを感じない男だから。
つねったって、引っかいたって、何をしたって無駄だろうから、だから、こうしてるだけなんだから――

理由をつけて、そのままトリスの頭を撫でる。

流血の左手は痛かった。
トリスの熱は、熱かった。
彼の体が、重かった。

彼の体は重かったけれど、それをしっかり支えている自分に驚いた。


遠くでは、嗚呼、葬儀屋達だろう奇怪なほど高い笑い声と断末魔が共に聞える。
それらを背景に置きながら、二人は、壁に凭れる様に其処に居た。


ハルナは、髪を撫ぜていた手で、ぽん、とトリスの背を叩いて、


「トリス、あのね――」


言おうとした、その時。



――ドゥン!!



耳に入ったその破壊音に、目を見開いて、ハルナは空を見た。

彼らの上には、降り落ちる土ぼこりと、コンクリの塊、硝子の破片と――二つの影。


ビクっとしたハルナの体に反応して、トリスもそこで身を起こした。


思ったより、降って来るそれは危なくて、トリスは咄嗟にハルナの体を自分の下にやってコンクリの雨から庇った。

石が地を打つ音と、地を抉る音。硝子の欠片が散らばる音。
視界を遮られたハルナはトリスの腕の中で、其れを耳に入れるしかなかった。

一体、どんだけ葬儀屋、暴れてるのよ、

頭の中でそう思いながら、音が収まった後、トリスを見上げる。


ちょっと、貴方、大丈夫――

彼の身に手を伸ばそうとしたハルナは、そのまま、トリスの後ろに広がる光景に目を見開いた。
思わずトリスの身をぐっと押して、駆け出そうと体を起し、そんなハルナに顔を顰めながら振り向くトリスは、しかしながら彼もまたその路地に広がる光景に声をあげる。


「アンル!?」
「隊長!」


対峙する二人の男。

双方の、負傷、流血。
互いに逸らそうとしない力ある双眸。

それらの光景は、尋常では無かった。

「ちょ、アンル……それ、ガンダ・ローサに……」

――いいや違う。
言ってから、二人の瞳の色でハルナは気付いた。

彼らは街頭人同士で互いに傷つけ合い、そして、互いの死を望んでいるのだ。

両手から血を流すアンルと、腹部から流血するヴァルトロメア。
たが二人の顔に苦痛は無い。
衰弱も、疲労も、何もかもが彼らには無かった。


アンルは、手に、力を込め、ヴァルトロメアは血を十分に吸った筈のナイフを再び相手に差し向けた。

一触即発、どちらが、再び地を蹴るか――


瞬時皆が息を止め、二人が空を切ろうと、砂利を踏みしめた、瞬間、



「ストォォーップ!!!」


ハッと、目の前で何かが割れた様に、目を丸くしてビクッと動きを止めるアンル。
ふっと、足を留めるヴァルトロメア。

思っても居なかった制止にきょとんとするアンルの元に、ヅカヅカと歩み寄って食って掛かるのは、他でも無い、ハルナ・アカツキその子である。

「ちょっとちょっとちょっと、この糞忙しい事態にに何してんのよ!何がどうなって街頭人同士、無駄に血ィ流し合って殺し合ってるってワケ!?」
「――ハルナさん」

ちょっと落ち着いて、アンルはそう言いながらハルナの両肩に手を置いて距離を取る。

「ね、落ち着いて、ハルナさん。これには深いワケがありまして」
「深いも浅いもどっちでもいい!あのね、今ね、遥々八番街から来た葬儀屋さんがガンダ・ローサをズッタズタのめっちゃめちゃに殺しまわって、ご丁寧にそれを本土に曝そうとしているのっ!知ってる?OK?これって結構ヤバイわけよ、分かる?分かるわよねアンル・オゼット!」
「分かります分かります」
「分かってたら、意味の分からない殺し合いは今すぐ止めて――」
「葬儀屋さんがやってる事も分かりますし、ハルナさんの気持ちも分かります。でもね、」

瞬間、アンルの菖蒲色の瞳が暗沌とした。
それに、ハルナは恐怖する。一瞬で。

ヴァルトロメアを見やる彼の瞳は、正常ではない。

執着、憎悪、郷愁、愛着。
全てを混ぜ込めて貼り付けたら、あるいは、この様になるのかもしれない。


ハルナは、アンルの視線の先、ヴァルトロメアを見た。

久しく見える八番街の隊長は、相も変わらず端整で、作り物の様に整ったその顔を、苦痛に歪める事もせず、ふっと口端に微笑みだけを浮かべて立っている。


「予想外の邪魔が入った」
「そうだね」

アンルはハルナの頭に手を置いて、「仕方ないよ。この子は、全てが予想外だから」、諦めの様に肩を竦める。

ヴァルトロメアは腹部から流れる血を、掌で拭って、

「腕は、鈍ってない」
「君もね。全く、相変わらず手加減ってものが無いよ」
「そうか?最近、ガンダ・ローサの始末は可愛い隊員に任せきりだ」

言って、ヴァルトロメアは、此方を見つめるトリスを見た。

「――それで。お前は、何をしている?」
「……」
「お前達には、ガンダ・ローサの排除を命じた。お前はここで何をしていた?」
「……大事な用事」

トリスは、肩と腕に刺さった硝子を抜きながら拗ねるように言った。
ハルナを庇った時に刺さったのだけれど、幸か不幸か彼には痛覚というものがない。だから、実に雑にそれらを抜いた。

仕事を放って女を口説いて、望んでもいない怪我をする。
全く、仕方の無い、隊員を持ったものだ、

ヴァルトロメアは呆れながら、トリスの腕についた傷口をそっと撫ぜた。
隊長は――ヴァルは、お腹大丈夫?
トリスは彼の傷口を触れ返すが、思ったより深く開いたそれに顔を顰める。
心配そうに顔を顰めたトリスを宥めながら、ヴァルトロメアは、

「アンル、どうする。このまま続けるか?」
「今日はもう、やめておくよ。このままこの子を放っておいたら、そちらの隊員さんに善からぬ事をされそうだからね」

まるで、先程までの抱擁を見ていたかのように、アンルは意地悪く笑ってハルナを見た。

トリスは、げ、残念、詰まんねぇのと文句を垂れながら溜息をつく。
全くやる気の無い部下を嗜めながら、ヴァルトロメアはアンルに背を向けた。

二人の間に、冷たく、傷口に痛む風が吹く。


「ヴァル」
「――街は動き出した。もう、誰にも止められない」


アンルは黙った。
そして、ヴァルトロメアの隣で、ぼぅっと立っている葬儀屋を見た。

(嗚呼、そうだ)
(僕はもう、其処には居ない)
(君の隣に居るのは、もう、僕でも、ソノラでも無いんだったね)

思って、アンルは、ただ彼を見つめていた。
音も静かに、五番街の陰鬱な路地の奥へ消えていく、八番街の隊長。


トリスは、その後を追うように――少しだけハルナを振り向いて、手をひらりと振って、彼もまた、男に継いで消えて行った。


アンルと、ハルナがその空間に残される。

あの二人が残していった物といえば、瓦礫と、血の匂いと、得も言われぬ不穏感のみで、ハルナは肩の力が抜けた様にふぅっと溜息をついて、ふと、左手の痛みを思い出した。
気付いたアンルが、そっとハルナの腕を握る。

「痛っ――」
「もしかしたら、これ、傷残るかもしれませんよ」
「ん、確かにね」

(これから、この傷口見る度にきっと俺の事、)
トリスの声が蘇る。
気が付けば、何もかもがあの男の思い通り望み通りになってる気がして、ハルナはムスっと顔を顰めた。

「――もう、どうだって良いわよ――」

傷が残ったって、トリスが何をして来たって……もう、きっと、引き返せない。
何かもう、本当に、止められない感じよね、
ヴァルトロメアの言葉を思い出して、そして、ハルナはアンルをふと見上げて問いかける。「貴方達……顔見知りだったの?」

問われても、アンルは苦笑して肩を竦めるだけだった。
だから、ハルナはそれ以上追求しない。きっと聞いたって、無駄に終わる。

ハルナは徒労の溜息をつきながら辺りを見回した。


散乱する瓦礫の下には、絶命したガンダ・ローサの三死体。
遠くに聞えるのは、笑い声と断末魔。


「これは……このままじゃ、済まないわよ。蜃気楼も、ガンダ・ローサも」


きっと、葬儀屋達の享楽は、街に飛火し、間もなく本土のガンダ・ローサにだって届くだろう。
狂った街の狂った者が奏でる歌は、暫し病む気配も無い。
喧騒に続く喧騒、取り返しの付かない祭りの跡。
暗雲立ち込める行く先を思い、ハルナはアンルに寄り掛かった。




戦いに継ぐ戦いに、体は疲れているのだけれども。
街に訪れる雨雲は、当分去ってはくれないようだ。







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