私は、はアイリス・ミシェラと申します。
いえいえ、その様な、高貴な身では御座いません。
所謂雑用だとか、下女だとか、メイドであるとか――そう言えば、先日ご主人様に、メイド以外を名乗るなと言われたばかりでありました。
ともかく、その様な何処にでもいるような、こんな深夜に燭台を片手に冷えた城内をひたりひたりと歩いているだけの、しがないメイドで御座います。

見回りでは御座いません。
それは下男の役目であります。

意地汚く腹を空かせて彷徨っているわけでも御座いません。
晩御飯は、休憩の折にしっかり取らせて頂きました。


さて、なぜ私が、メイドの私が、深夜一人で歩き回らなければならないかを申し上げますと――


……うっかり通り過ぎるところでした。


とと、と後ろに二歩ほど逆戻り。


荘厳な扉の前に立ち、ふぅ、とため息ひとつ。


ノックを、1、2、ゆっくりと。


「――入れ」


許可を下す、艶やかな声が聞こえました。


「失礼致します」

燭台を左手に持ち替え、やや重いその扉を開けます。



「ご要望通り、真夜中にお尋ねしました――アルキデア様」









一千一夜物語







さて、そろそろ口調を砕いても良いだろうか。
なぜこうも皆が寝静まっているであろう時間帯に、私一人が己の主人の部屋に突っ立っているかというと、何故もなにも総てこの主人たる北方領主のご命令だからである。
理由は簡単明白。

“夜は皆が寝静まって退屈だから”。


それはそうだろう。
朝早く起きて主人の身の回りの世話をし、昼から夜まで働きまわって、結局床に就くのはこの時間帯だ。
つまり、だ。
主人の命令でなければ、私もいち早く眠りに就きたいのだこの偏屈領主が。
あ、駄目だ。地が出てしまった。

「アルキデア様」
「どうしたアイリ」
「……眠いのですが」
「昼間働くから眠いのだ。私はさっき起きたばかりだ。眠くない。それどころか目が冴えた」
「昼間働くのはメイドの役目なので」
「ならばメイドなどやめてしまえ」
「良いのですか」
「良いわけ無かろうこの馬鹿め」

どっちですか。
等と、文句を言える筈も無く。

「灯ならある、燭台を置いてさっさと此方へ来い」
「仰せのままに」

嗚呼、今日は何が望みなのだろう。
思いながら、メイドの正装たるスカートを揺らし、ベッドに横たわったままのアルキデア様の傍へ近寄る。
――燃えるような赤い髪。
普段とは違う、湯浴み用の真っ白なローブ。
男性には勿体無い程に溢れる色気。
そんな主人の傍らまで近づくと、一気に右腕を引っ張られた。


「痛いです」
「痛ければ貴様も寝転べ」
「そんな畏れ多い」
「などとは、微塵も思っていないのだろう?」

口端をにやりと上げて。
更に強く腕は引かれる。
バランスを崩し、私は、アルキデア様の上に覆い被さる様に。

「――大胆だな。欲求不満か」
「それはアルキデア様では御座いませんか?」
「笑わせる」

退けようと体を持ち上げると、今度は腰に腕が回った。
何がしたいのだこの気まぐれ領主は。

「セクハラです」
「セクハラなものか。……来い」
「わっ、」

ばふん、とアルキデア様の胸に顔を突っ伏す。

間抜けにも、主人に玩具の如く抱きしめられている状態だ。

「……私はぬいぐるみではありませんが」
「知っている。ぬいぐるみの方が何百倍も可愛げがあろう」
「それでしたら離して下さい。大声を出しますよ」
「貴様の大声で今更駆けつけてくる下男下女など居るものか」

そう、悲しいかな。今更私の間の抜けた声で主人の部屋へ駆けつける同業者など、とうにいる筈が無いのだ。

「……慣れとは恐ろしいですね」
「恐ろしいなァ。初対面で私の顔に見惚れてた貴様が、よもや抱きしめられても眉一つ動かさぬ女になろうとはなぁ」
「見惚れていたのではなく緊張していただけです。そこ、間違えない様にして下さい……っと」

アルキデア様がぐるりと横に体勢を変えたため、私はアルキデア様と向かい合うように転がった。

「……私は」
「……」
「私は、よく無表情だとか言われますが」
「誰かに、そう虐めを受けているのか?名前を教えろ。殺してきてやる」
「違いますって……そうじゃなくて、私が言いたいのは、今も顔に出ないだけで相当緊張しているという事なのです」
「緊張?」
「ええ」
「今、貴様がか?」
「ええ」
「……」

ふ、と空気が漏れる音が聞こえ、

「ふっ……、は、はは、ははははははは!!」

夜中とは思えない声量で笑い出した。

ああ、もうやだ。誰かが早くどうにかしないと。

「そうか、そうだったな!!貴様はまだ男慣れせぬ処女だったな!」
「ええそうですとも思い出しましたアルキデア様あなた初対面の私に第一声が“処女か?”でしたね」
「そうだったか?そうだったな。いやはや失礼した、処女に対して緊張するだのしないだのと」
「いちいち処女を強調しないで頂けますか」
「そういう貴様も使っているではないか、処女殿」

処女殿って何だろう。

そんな馬鹿なことを考えていると、いつの間にか、アルキデア様が黙りこくった。
この方は突然何でもない事で笑い出したかと思うと、何でもない事で急にだんまりを決め込んだりするから性質が悪い。
いや、つかめないと言うべきだろうか。
特に、つかまなければいけない理由も無いのだけれど、急に黙られたら黙られたでどこか不気味なものがある。
それは、食事の最中であったり。それは、公務の最中であったり。
とにもかくにも、タイミング、というものが無いのだこの領主殿は。


「……」
「……アルキデア様」
「……何だ」

畏れ多くも、主人の背中へ己も手を伸ばしてみた。


「怖い夢でも、見たのですか」


言ってみたものの、返事は無かった。
代わりに、腰と背中に回された手に力が入った。

失礼を承知で、領主様の背中を、ポン、ポン、とリズム良く叩く。

さっきの大笑いが嘘であるかのように、アルキデア様は、私を抱きしめたまま何もせず、背中のリズムに呼吸を合わせている。

「――貴様は、」

静かなトーンが、胸から響く。

「貴様は、この城を去らないのだな」
「去って欲しいのですか」
「さぁな」
「去れと言われれば、即刻去りますが」

言えば、抱きしめる腕に力が入る。


「――アルキデア様が望む限り、私はずっと、貴方のメイドでありますので」

背中を叩く手を休めずそう言うと、小さく、そうか。と返事が返された。


「貴様は、私を哀れむか?」
「哀れみません」
「何故だ」
「理由がありませんので」
「理由なら山ほどあろう」
「山ほどあるのですか」
「そうだ。他人が私を哀れむ理由など、北方山脈よりも高く積っているだろう?例えば、そうだな――」

いきなり、頬を抓られて

「貴様を雇っている事とか」
「……それは哀れな事なのですか」
「冗談だ。気を悪くするな」
「これくらいで気を悪くしていたら、貴方のメイドは勤まりません」
「貴様もメイドが板についてきたな」
「でなければ、やっていられませんので」
「貴様は、此処へ来た時から何一つとして変わっていないな」
「哀れんでますか?」
「感心しているのだ」
「アルキデア様、私は――」

貴方の事を哀れみもしません。
恐怖も致しません。
嘗ての貴方の事を侮蔑も致しません。
私は、何一つ変わりません。
今までもそしてこれからも。
ですから、


「貴方が眠れないと仰るのであれば、いつ、何時でもお付き合い致します」


ただ、私は、望まれる限り、こうして貴方の傍らにおりますゆえ。

そう伝えれば、

「――はっ、」


小さく笑うと、アルキデア様は私を解放し、


「人は私を変人と笑うが――貴様もなかなかの変人だな。アイリ」

仰向けになって、スッキリしたように咽喉で笑い続けた。









……コレですか?

コレが、私とアルキデア様の、何も変わらぬ日常の一コマで御座います。
ええ、そうです。日常です。
初めて目の当たりにされるお方は、この奇妙な領主とメイドの間柄に、驚かれぬ様。

是非とも、お願い申し上げたく。








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