夢って、多分、「見るもの」だ。

手に届かぬものであるけれども、その遠さに比例して、得も言われぬ憧れを抱く。
夢って、だからこそ良いんだと、だからこそ価値があるんだと、誰かがテレビで言ってた気がする。
うん、確かに、そう思う。
欲しい欲しい、叶えたい叶えたいと餓えているくらいが丁度いいんだ、最近になってそう思うようになってきた。

――それでも。
いくら、夢の定義を其れにしたって、一年のうち一日くらいは、夢を現実に変えてみたって、それくらいは良いと思う。
泣きそうなくらい、そう思う。
思うだけで、思うたびに、目の奥は熱くなって胸の奥はぎゅうっと痛む。
こんなにも贅沢な願い事を、儚い夢を、叶えてくれるなら――嗚呼、きっと、自分はどれだけの犠牲を払ったって構わない。

神様、上様、仏様。
見知らぬ土地の偉人達よ、お願いだから、私の願いを一度聞いて下さい。

聞いてくれたら、それこそきっと、白い雪が降り注ぐあの聖夜。大きすぎた幸福のあまり、イルミネーション照り輝く街路樹の傍でこの私めは即死します。












          
物 語







「ティナ、願いすぎ」

友人の呟きに、彼女は、はっと意識を現世に引き摺り戻した。
ぱちっと瞬きをすれば、溜息まじりにこちらを見つめる親友ガーネットの呆れ顔。
イチゴ味の飴玉を舐めながら、癖のあるふわりとした髪の毛を指に絡める彼女は、遠く彼方を眺めながらぽーっと想いを馳せる学友に向かって指に唇を当てながら、うーんと唸った。

「ねぇ、ティナ」私、思うのだけれど。「24日のクリスマス・イヴに恋人と甘い一日を過ごすのって、別に、現実離れしてないわよ」
「してるの!私にとっては!」

くぅ、と泣きそうになりながらティナは頭を抱えて項垂れた。
哀れ、ティナ・クリスティーン18歳。
高等学校に通う彼女は、今日も今日とて放課後のまったりとした時間を、勉強ではなく親友とのお喋りに費やしている。

「24日と言えば、恋人達の甘い夜、クリスマス。クリスマス・イヴって言ったら、国家デート公認記念日の様なものでしょう?彼氏がいるティナが一日くらい勉強も何もしないで彼氏と二人で過ごしたって、誰も罰を与えようなんて思わないわ」
「違うの、ガーネット」

ティナは首を振りながら机に突っ伏す。「私が恐れているのは、そういう、自分が一日遊び呆ける事に対する自責の念じゃなくて――……彼が、クリスマス・イヴに二人で過ごす時間を割いてくれるかっていう事なの」

「――ティナったら!」

ガーネットは笑った。

「ティナは、何処までとことんそのマイナス思考を極めるつもり?貴方の思考って、本当、崖っぷちの急斜面ね……まぁ、それは言いとして。良い?いくら、女性に冷たい・厳しい・妥協しないの最悪三拍子が揃ったあの冷酷男だとしたって、24日の一晩に、仕事を入れるような野暮なことは絶対にしないわよ」


そう、ティナには、恋人がいる。

それは、同じ学校に通う、成績良好・性格温厚・運動神経抜群のクラス皆の王子様――なんていう、ありふれた少女漫画の様なお話ではなく。

はぁ、とティナは溜息をつく。
ふっと視線を横に流し、橙に滲む夕暮れの風景を、教室の窓越しに目を細めて見つめ、……

はっ、と、目を見開いた。

校門近くに停まる、一台の車。
夕暮れの中でも分かる、銀のコルベット。

(……まさか!)

ティナは慌てて、スクールバッグの中を漁った。
ベビーピンクの可愛らしい携帯電話。

マナーモードにしたまんまのその画面を見れば、はっきり点滅している不在着信のアイコンが。

「ごめん、ガーネット!また明日!」

あれが、これで、あれだから。
腕を振ってコンマ単位の瞬間ジェスチャーを繰り広げながらティナは教室を駆け出した。

ひらひら手を振り彼女の背を送るガーネットは――ああ、成る程。あれがこれでアレなのね、と納得したように校門を見てクスっと笑った。




「……はぁ…っ…は、……っ、」

全力疾走、陸上部すらも振り返るほどの速さで校舎の二階から校門までを一気に駆け抜けたティナは、ずり落ちそうなスクールバックを肩に掛け直しながら、その車の前まで小走りで近寄った。

運転席には、誰も居ない。

ティナは、あれ、と思いながら、ふっと体の力を抜いて――

「遅い」
「――ひゃあ!」

突然かけられた声に、ビクっと体を震わせた。
馬鹿げた声を出すな、と、後ろに居た彼は、顔を顰める。

「ご、……ごめん、あの、携帯、着信――私、授業、あの、数学、音、消してて、それで、全然、」
「言葉が謎だ。とにかく、乗れ」
「あ、ご、ごめん――……ソルディス、」

ティナは、はぁ、と息を吐いた。

ソルディス・ジェノファリス。
彼こそが、彼女の恋人(兼絶対権力を誇るご主人様)たる存在の男。

高い背に、黒の髪と鋭い双眸。
社会人であるが故に身に纏うスーツと、撫で付けた髪は、あのそっちの筋の方ですかと誤解を招きそうなほど貫禄を出していて、実際ティナは過去に何度も同級生から「ティナ、早めにそっちの道の人とは縁を切りなよ」とあらぬ誤解と説教を頂いた事がある。

ティナは助手席に腰を下ろし、ベルトを締めながら、恋人の横顔を見た。

元は彼女の家庭教師であった彼とは、出会ってから既に数年経つ。
だから、彼の人となりなんて一通り分かっているから、今更改まった態度をとる事は無いけれども、恋人として付き合ってからは、まだ一年も満ちていない。だから、ティナは、ソルディスと“恋人らしく”接するのが、大分苦手だったし、意識すればするほど彼に怪訝な顔をされそうで、もう気分はまるで迷路の中の鼠だった。

「……あの、ね、」

動き出した車の中から遠ざかる校舎を見つめ、ティナが言った。

「さ、寒いね」
「冬だからな」

何、この会話。

ティナはもう一度、あのね、と言った。

「ソルディス、今週は、忙しいの?」
「笑えるほど忙しい。年末は地獄だ」
「そっか……」

そうだよね、と、笑顔で隠した苦い気持ち。

「ガーネットがね、」ティナは続けた。「あのね、ガーネット、ほら、ソルディスの会社の、ルークさんと付き合ってる――彼女がね、……」

(彼女ね。今度の日曜日に、クリスマス・イヴの日に、ルークさんとデートするんだって。)
(イルミネーションが光る大通りで買い物をして、夕食を食べて、その後、ルークさんの家に行くんだって。月曜日は、絶対学校休んでやる、サボってやるって笑ってた。ね、面白いよね、ガーネットらしい。)

――ねぇ、ソルディス、


「……彼女がね、……今度、……――一緒に、動物園、行こうって」

チケットくれたんだ、と言って、そのまま、窓の外を見た。同じ学校の女子生徒と男子生徒が、二人で、コンビニに入ってるのを、ぼぅっと眺めるティナに、ソルディスは、そうかと呟いて、赤信号の手前でブレーキを踏む。

「ルークの奴も忙しい。おかげで毎日馬鹿げた小言を聞かされる」
「それでも、ガーネットには昼間メール打ってるみたい。今日もあの子、にこにこしながら授業中こっそりメール返してたっけ」

思い出し笑いをするティナと逆に、あの阿呆がと冷たいソルディス。

「ソルディスもお昼にメールで連絡くれれば、私、ちゃんと時間通り外で待っていたのに」
「偶々暇が出来たから寄っただけだ」

素っ気無い彼に、ティナは、心の中で降参した。
学校帰り会社帰りの日常のデート(と呼べるのか分からない送り迎え)一つ取っても、彼は、こんなに、愛想が無い。この人には、世間一般の恋人同士の公式が何一つあてはまらない、そんな気がして、こんなんじゃあクリスマス・イヴの話なんて死んでも切り出せないなぁとティナは諦めた。

そんな世間の下らない馬鹿騒ぎに態々付き合うとでも思ったか?、なんてリアルな台詞が頭を流れる。

そりゃあ、下らないかも知れないけれど。
24日って言ったて、それは言わば単なる日曜日で、だったら態々外に繰り出して疲れるよりも、家でのんびりテレビでも見ながらゴロゴロしてたほうが疲れない――かも知れないけれど。

(だから、夢、なんだ)


結局その日家に着くまで、クリスマスという単語と24という数字は、彼女の口から音となって発せられることは無かった。











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「おい、貴様」

呼び止められた声に、彼は一瞬視線を横に送ったが、その端に見慣れた人物を確認するや否や、視線を伏せて、読んでいた書類をまた捲りはじめた。

「私を、無視か。いい度胸だな、若社長殿」
「机に乗るな」

バサバサと落ちる書類を鬱陶しそうに見送りながら、彼は――ソルディスは、社長室に堂々と乗り込んで図々しくもデスクの上に腰を置いた無作法な男を見上げた。

「いつ帰ってきた。海外で、放蕩をしていたんじゃなかったのか、アルキデア」
「つい先日戻ったばかりだ。久しぶりに、貴様の面が見たくなってな」

学生時代からの知人、アルキデア・コークシス。
笑う肩に続いて、赤糸が揺れる。

「それはそうと、帰ってきた途端にこの有様だ。この国はやはりどこもかしこも馬鹿ばかりだな。果たして貴様もその馬鹿の一味なのかと、是非ともお尋ねしたいところだが」
「一体何の話だ」
「空港を出た途端、街中が、週末に向けて、聖夜の祭り騒ぎだ」

クリスマスだよ、ソルディス。私も祭りは好きだが――
と、そこまで言って、彼は唸る。

「どこもかしこも、赤、緑、赤、緑、赤と緑のツーカラーで埋め尽くされて、愉快なデジャヴ。何処へ行っても私は街中の視線の的だ」

その赤い髪と、そのボトルグリーンのスーツを見たら、街中の誰もが、聖夜を満喫する愉快な男に見えるだろう。
お前が悪いとソルディスは言って、咥えた煙草に火をつけた。
――祭り、か。
言って目を細める彼に、アルキデアは、楽しそうな視線を下ろす。

「何だ、もしや貴様も今週末は祭りに没頭でもするか」
「年末に向けて仕事の山が待っている」
「それでは、今年のクリスマス・イヴもお前は仕事の鬼だな。あのちんちくりんが泣き腫らすのが目に見える――ああ、確か、ティナと言ったか」

笑って続けた。

「泣いて喚いて、たった一日の夜くらいどうして時間を裂けないのかと騒ぎ立てるあの女の顔を是非とも一度見てみたい」
「無いな。無駄な期待だ」

煙を吐くソルディスに、はてそうかなとアルキデアは首を傾げる。

「あの年頃の女というものは、無駄に夢と期待を抱くものだ。ささやかな夢一つ叶えてくれない男などやはり嫌だと泣き出すのがオチだと私は思うぞ」

そら、そんな哀れな貴様にプレゼントだ。

投げるように寄越されたその紙切れに、ソルディスは顔を顰めた。

「何だこれは」
「裏通りのホテル街のチラシだ。さっき歩いていたら渡された」
「……」

夢も期待もクソも無い。

「なぁ社長殿。これでも私は、なかなか驚いているのだよ、あの小娘に。昔から女に対してはあんなに扱いが酷いお前が、あのティナという女に出会った途端に暗い噂がぷっつり消え、煙草の量はめっきり減り、酒付き合いは悪くなった。一人の女に縛られる楽しみなどは微塵も理解する事が出来んが――だが、断言しよう。今、あの女に棄てられたら、お前は死ぬ」

ソルディスはぎゅっと灰皿に煙草を押し付けて、「棄てられる?棄てる、の間違いだろう」

「365あるうちの一日たりとも自分の為に時間を裂かぬ恋人など、今の女は簡単に見切りをつけるぞ。あの女、それほど遊びに慣れているとは思えんが……若しくは、その寂しさに入り込んで横からしゃしゃり出る男が現れるか、だな」

言いたいことだけ喋り尽くして、アルキデアは机から腰を上げた。

それでは、多忙な社長殿。
日曜日まであと数日、せいぜい小娘の為に悩むが良い!





残された社長室には、紫煙と、男。不機嫌そうな溜息が空気に溶けた。








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(――結局、何も言えなかったなぁ。)


スカートのホックを留めながら、部屋のカレンダーを見つめ、ティナは溜息をついた。
赤い、休日色に染まった24の字を見ると、ああそうだ今日はクリスマス・イヴなのだと思うのだけれど、心は跳ねるどころか意気消沈、ぐったりと項垂れた様で、それでもティナはパジャマを着て寝込む気にもならず、お気に入りのスカートとニットを着込んで(それはまるで、恋人に会いに行く乙女の様に)姿見に自分を映して、手櫛で髪を整えた。

ちょっと、いつもより濃くアイラインを引いて、睫毛も可愛らしくカールさせて、淡い桜色の唇にグロスを塗ってみれば――ほら、今すぐにでも街に遊びに出かけられる。

ティナはテーブルの上に置いていた携帯電話を取って、ぱかりと開いた。
画面に浮かび上がる時刻はもうすぐ午後の5時で、外は、半分夕闇に浸蝕されている。
メールは、無い。着信も、無い。
当たり前なのだけれど、やっぱりどこかで何かを期待している自分が居て、飽きもせず落胆を繰り返す。

(ソルディス、今日も、夜までお仕事かな。)

ティナは、携帯を手で弄って、そうして、10分くらいが経って――

ぱたんと一度閉じた携帯をまた開ける。


それを、何回繰り返しただろうか。

ベッドに座って、ごろごろして、一度は携帯を投げ出してみたけれど――

ティナはガバっと体を起こすと、携帯を握り締めて、一人でうーんと唸りながら、ソルディスの電話番号を検索する。

「……」

神様。
今日くらい、許して下さい。
(許してくれますよね、これくらい――これくらいは、させてください!)


震えそうな指で、彼女は、コールを鳴らす。


「――俺だ」
「ぎゃ!」

予想外のワンコール。
思わず叫んだティナに眉を顰める彼の姿が、電話越しにでもはっきり見えた。

「あ、あの」
「何だ」
「……ティナです」
「知っている」

だから、何だと聞いているんだ。

ティナはぎゅうっとクッションを握り締めて、どきどきする心臓を抑えるのに必死になりながら、

「あの、ね……今日、24日……だよね」
「そうだ」
「――……クリスマス、なんだって」
「……」

伝聞口調。途切れる言葉。
ティナは、俯きながら、呟いた。

(だからね、)

「――あ、」
「……」
「――……あ……、」

会いたい、の一言が。
束の間、息を飲むほんの一瞬だけを要する、その言葉が。

――どうしても、言えない。

「何だ」
「――……あ、い……」

ティナは、目を伏せた。


「……あ…………あ、い、……し……てる、」


――沈黙。

言って数秒、すぐにティナの顔から火が吹いた。

「う、うううう嘘!嘘だからね、今の無し!ドッキリ!ドッキリ電話!これ、間違い電話!」
「――ティナ」
「き、切りますもう切ります、仕事の邪魔してゴメンなさい!」
「ティナ、家から出ろ」

家?

切りかけた電話越しに言われた言葉に、ティナは首を傾げながら、「だって、もう、外は暗くて――」言いながら見た外の風景に、言葉を消した。

暗闇の下に見えたのは。
紛れもない、銀のコルベット。

(――嗚呼、神様!!)

ティナは携帯を握り締めたまま、バン、と部屋の扉を押し開けて駆け出した。

嘘、嘘だ。

ティナは息を切らしながら外へ出て、靴の踵を踏み潰しながら慌ててその車に駆け寄った。

「ソルディス……!」

リアルタイムのティナの声に被って、車の傍に立つソルディスが握った携帯から、彼女の割れた声が漏れる。

「――な、何で、……嘘、だって、仕事……って……、」
「終わらせた」

あっさり言いやる彼に、ティナは、肩で息をしながら駆け寄った。

「きょ、今日、……あの、クリスマス、イヴ、で」
「知っている。下らん祭りだ」

冷たい言葉に、ティナの言葉は詰まる。

「態々休日に、混雑した街中に行くのも疲れるし、時間もかかる。翌日は仕事だから遊びに耽る訳にもいかず、心地は悪い」
「……」
「つまりは、面倒だという事だ――……だが、」

ソルディスは、俯きかけたティナの前髪を指でそっと撫でながら、続けた。

「お前がずっと横に居るのなら、それも、考え物だ」

――ソルディス、

何か言おうとした彼女の、低い背に合わせて屈んで、ソルディスは、ティナの髪を梳いてた指を彼女の顎にそっと添えて――静かに、口付けた。

ぎゅっと、瞑った瞼。
何度繰り返したって、恋人の戯れに慣れない少女は、ソルディスのコートを握りながら、息を止めて、その束の間の暖かさを感じた。

唇を離して、ちょっと距離を取ると――そこには、訝しげなソルディスの顔。

「あの……?」
「化粧をしているな。誰かに、会いに行くつもりだったのか?」
「ち、違う!その、ソルディスが……もしかしたら奇跡に近い確立で、早く仕事が終わって電話くれる、かも、しれないって、思って……でも、電話来ないし、だからって一人で部屋に居るのも滅入るから、夜になっても電話が来なかったら、一人で遊びに行こうって思っていたの」

別に、他の人と約束してた訳じゃないから!と必死に言うティナは、ふと思い返して、

「ソルディスこそ、いつからここに?もしかして朝からずーっと私の電話を待ってここに居たんじゃ」
「人を犯罪者扱いするな」

明日の分まで纏めて仕事を終わらせる為にさっきまでずっと社長室に篭っていて、終わったらすぐに会社を出てさっきここに着いたんだ、お前に電話しようとしたら丁度そっちから電話がかかってきたのだと、そこまで言われて、(あ、だからワンコールか)とティナは納得した。

「じゃあ、もしかして今日は、これから、一緒に」
「不満か?」

(不満なんてある訳ありませんってば!)

ティナは首を振りながら、猛ダッシュで家へ戻るとコートとバッグを掴み取って、玄関を閉め、うきうきしながら促されるまま助手席に乗り込んだ。

「ね、ね。どこに行く?どこに行くの?」
「お前はどこに行きたいんだ」
「えっとね、一緒にご飯食べて、イルミネーション見て――あ、丘の公園も良いな。でも、カップル多いだろうし……大通りをのんびり歩くのも良いかも!後は、ソルディスに任せよっかな」

鼻歌でも歌いだしそうな勢いではしゃぐ助手席のティナに、ソルディスは、ポケットから取り出したものを、投げて渡す。

「あら、これ、何――」

見て、固まる。

「ひゃあ!な、何これ……ソル!」
「アルキデアが俺に寄越した」

ピンク色の紙面に印刷される、チープなホテルのチープな名前。載っている部屋は、どれもこれも、アレな感じで、明らかにこれはお子様立ち入り禁止の世界。今にも投げ捨てたい程恥ずかしいその紙を、ティナは震える手で握って、顔を真っ赤にしながらソルディスを見た。

「お前と楽しんで来い、だと」
「(アルキデアさん……!)」

何なんだあの人は!
うろたえるティナを横目に、ソルディスは、ふっと笑って、「後は俺に任せる、だったな」呟いた。
任せて頂けるとは、有難い。
その言葉に硬直するティナ。
(いや、別に、恋人同士だからそういうところでそういう事をするのは悪いことじゃないし嫌なことでも無い訳だけれど……!でも!)
絶対あの人は私の混乱する姿を思い浮かべてソルディスに寄越したんだ!
思って、閉口するティナの耳元で、ソルディスは、

「心配するな。月曜の仕事は終わらせてある、一晩多少の無茶はしても支障は無い」
「わ、わわ私は!学校が、」
「一日くらい休め」

まぁ、休みたくなくても、休むことになると思うが――

言葉を聞いてティナは眩暈を覚える。

ああ、神様。
これってきっとアレですね。遠まわしな罰ですね。(きっと、贅沢なんだ、私は。)


まだ顔の熱と頬の赤が取れない少女を楽しげに見つめながらエンジンをかけるソルディスが、何だかんだで、一番祭りを楽しんで得した様に思えるのは、きっと彼女の思い過ごしなんかじゃない。
先月から連絡しなきゃ入れないようなレストランの予約がちゃんと取れている事も、人気があるホテルの一室が用意されている事も、それを知ったら、彼女の思いはきっと確信に変わっていく。


まだ何も知らぬティナは、それでも、アクセルを踏む前もう一度、深く優しく彼女の唇を塞いだこの男がこの日自分の隣に居る事が奇跡の様だとちょっと思って泣きそうになり、気付かれぬように、ほんの少しだけ涙ぐんで、滲む視界の向こうに浮かび輝く夜を見た。






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