<寄来る争端 1>




ハルナ・アカツキは不機嫌だ。

医務室のど真ん中、凛とした態度で脚を組み、腕まで組んで、それでいて一時たりとも外そうとしない真っ直ぐな視線に捕らえられてしまえば、男は頭をガシガシ掻きながら 首を傾げて、ハァと頷く他しかない。

「姫さんは、ご機嫌斜めって奴ですか」
「そうよ」

負傷患者の腕に包帯を巻いてやりながらも、その男、蜃気楼五番街に勤める街頭人達の医療担当員であるフロルド・コトブキは煙草を口に噛んで「三日間もずーっと部屋に篭 っていたって聞いてたけど、起きた途端にこれだもんなぁ」呆れて笑った。

「茶化さないで、こっちはこっちで訳が判んなくてテンパってる真っ最中なの」
「へーへー、それでお嬢さんは一体何をお求めで?」

きゅっと包帯を巻いた腕も持ち主に、ほい、後はもう良いよと軽く言って、フロルドは無精髭を生やしたその口元をにんまり歪めた。

医務室から退室していく同僚に挨拶しながら、ハルナは、自分とフロルド以外誰も居なくなった医務室で、ちょっとだけ溜息をつく。

「フロルド、あんた、兄弟いたのね」

その言葉に、医療箱を整理していた男は、一瞬だけその手を止めた。

「別に貴方に兄弟がいようと何だろうと構わないわ。でもね、その兄弟さんに、間接的暴力行為をされたとなれば話は別よね」
「――ノギシが」

フロルドは言った。「ノギシが、ハルナの所へ?」

成る程なぁと煙を吐きながらフロルドは言う。

「あいつ、本土に居たんじゃ無かったのかね」
「本土って……じゃあ、わざわざ私とシンディアに会いに、蜃気楼に潜入したって事なの」
「ん。元々俺の出身も本土だから」

まぁ、ちっさい頃にすぐ蜃気楼に入ったけど。
目を逸らすフロルドに眉を顰めるハルナに、

「どうよ、俺に似て良い男だった?」
「集団暴行計画した上屋上から高笑いする人間を良い男と定義するならそう言えるわね」

溜息をつく彼女は、思い出したように「……デイシス」、呟いた。

「デイシス。アンタの兄貴、デイシスに勤めてるって言ってたわ」
「あ?……あー…、そう。医薬関係やってるって知ってたけど、まぁ、……デイシスとはねぇ……それは、俺も知らなんだ」

頭をガシガシ掻いた彼に、ハルナはむっとする。

「嘘つき」
「うん?」
「アンタのその仕草と外した視線。困ったときか、嘘ついてる時だもの」

あー、ハルナ、そりゃすまんね、
フロルドは愛想笑いをやらかすしか無い。

「別にアンタの兄貴が――ノギシ・コトブキがデイシスに勤めて様と何してようとこっちは構わないんだけれど、何で製薬会社デイシスの研究員が私とシンディアを狙って戦 いを挑んできたか、そこが全く腑に落ちないのよ。デイシスの製品使いすぎて、懸賞にでも当たったとでも思う?」
「うーん、ランドルフィン使ってる人間なんてそこら中にいるでしょ」
「そうよね。だから、意味も分からず悩んでるのよ」

首を傾げるハルナだけれど、

「あいつとはめっきり音信不通でねぇ。何年か前に一度、顔を合わせたっきりだ。正直俺も何が何だかさっぱり分からんって感じなのよ」

そう苦笑されてしまえば、これ以上フロルドを追及するのは無意味と流石のハルナも分かる。
何だか訳の分かんない敵を相手にして、一人幻と奮闘しているようで、無駄に疲れてしかも病み上がり的な体調のハルナは、溜息一つ残して医務室を去ろうとする。

「――あ、ハルナ」
「何?」

ドアノブに手をかけながら振り向く彼女に、

「折角の班制度なんだから、これから単独行動は控えなさい。またいつ気ィ失うか分からないんだ。偶にはシンディアとアンル君の言う事も聞くよーに」
「私が、そんな良い子ちゃんになれると思う?」


ハルナは悪戯めいた笑みを浮かべて、その場を去る。

フロルドは、誰も居ないベッドに腰をかけながら、煙草を吹かして、

「……そろそろ、時期か」

だるそうにそう呟いた。

















「あ、ハルナさん。お早うです」

朝っぱらから談話室で痛快・鬼姑騒動たる再現ドラマに興じるアンルは、目の下にクマを作りながらだるそうに歩いてきたハルナに笑いかけた。

「今日はオフだから、まだ寝てても良かったのに」
「目を覚ましたらカレンダーが3日も進んでた衝撃、あんたに分かる?」

欠伸をしながらセルフのコーヒーを入れてハルナは苦笑した。

「私が寝てる間に事件は」
「街中のならず者が起す騒ぎを事件と言うなら、四六時中起こってますが」
「ガンダ・ローサの目立った攻撃も無いわけね」

ほんと寝ても覚めても仕事ですねぇ、アンルは笑った。

「ああ、一つ、小さなニュースが」
「何?」
「五年ぶりに、本土の……シャクドウの政府が、蜃気楼の地底調査の正式な依頼を」

聞いて、ハルナはコーヒーに砂糖とミルクを混ぜながら、

「地底の調査――てことは、例の遺跡?」
「恐らく」

アンルはブラウン管を見つめながら、顔を顰めた。あれハルナさんのせいでもう姑が嫁と直接紛争しちゃってますよ大事なところ見逃しました、言われてもハルナにその責任 は全くない。

「世界七不思議!蜃気楼の地底に眠る、古代民族の大遺跡。どこぞの俗番組が前にも特集してたわね。生態も文化も殆ど謎の先人達が残した遺跡……調査して何か得があると は思えないけど。狙いは、遺跡じゃなくて、この島の奪還じゃない?あからさまな裏を感じるわね」
「単なる考古学者の好奇心じゃないですか」
「冷戦状態の相手に、わざわざ申し込んでまで行なう調査だとでも思う?」

なるほど、アンルは頷いた。

「そもそも遺跡なんて本当にあるのかって話」
「廃頽する前のここはは、先進溢れる最先端都市でしたけれど、そのビルやら何やらを乱立する前にちゃーんと調査した筈ですよ」
「その時にちゃんと調書取っとけって感じよね」

ハルナは笑う。「しかも、アレでしょ?その遺跡やら地下の空洞があるやら、その場所って、祗庵のセントラルビルが建ってる真下だって言うじゃない?庵主が今更あの高層 ビルを崩してまで地下の調査を許可するなんて思えないわ」

「でも僕は、個人的に気になるんですよね。地下の大遺跡」
「迷信かも知れないのに?」
「でも、蜃気楼は結構磁場やら何やら本土とは違った異質な土地でしょう?いわく、島に住んでれば傷の治りが早い。いわく、蜃気楼で暮らせば知らずの内に脳をやられる。 どれもこれも迷信かも知れないけど、ずっと住んでる僕等に判断はし難いですよ。麻痺ですね、麻痺」
「いいわ別に。傷が早く治れば儲けもんだし今更脳がやられたってどうってこと無いしね」

お気楽主義、ハルナはあっけらかんと笑って背伸びをした。


「そういや、シンディアは?」
「人手が足りなくて仕事ですよ。そういえば、ハルナさんの事大分心配してましたよ」
「気苦労が耐えない男ね」
「貴方が全ての根源なんですけどねぇ」

アンルは呆れたように言う。
結構彼の世界って、貴方を中心に回ってる時もあるんですよ?
言われてもハルナは全くぴんと来ず。

「今日、どこか出かけましょうか?」
「何でそうなる」
「天気も良いですしオフですし。ハルナさんの体調が良かったらの話ですけど――ご飯もちゃんと奢りますよ」
「行く。行きます」

食べ物をくれる人イコール良い人。
そんな単純な図式をモットーに持ってるハルナはにんまり笑って食いついた。

まって今着替えてくるから、
Tシャツにハーフパンツ姿という寝巻きのままだったハルナは、パタパタ走りながら談話室を去っていった。

「――お前さんも物好きだなぁ」

同じく談話室で嫁姑論争番組を眺めていた同僚の笑い声に、

「八番街の彼には負けます」

アンルは肩を竦めて苦笑した。





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「テメェ、本当に物好きだな」
「あ?」
「いいや、何でも無ェ」

火のついた煙草をぶらぶら咥えた唇から、男は気だるそうに相方をあしらった。
白の短髪をぐしゃぐしゃ掻きながら、彼はふぅと息を吐く。

彼等が住まう、支部の、屋上。呼び出された時間も時間である、辺りが白み、新たな朝を告げる薄明かりの空の下、紫煙はゆらりと空へ溶けた。

「お前は世界一の阿呆だっつったんだよ」

言葉に、先程から手持ちの銃の手入れを続けていた相方は、鬱蒼としたそのインディゴめいた髪の合間から、尋常ならぬ翡翠の瞳を覗かせた。

「は、何だよそれ。お前、そろそろ死にたいの?」
「遠慮しとくぜ。テメェに殺された日にゃ、死にたくても死に切れねぇ」


そう言ったが早いか、双方の腰元から放たれ、振り下ろされる刃と刃。
男は、互いに、ナイフと視線を交わしながら口端を歪めて笑う。

「……痛くされたい?」
「テメェもな」

互いに譲らぬ、力の相克。
もう一息、二人が、その腕に力を込める、その時、

「――やめろ」

声に、二人は咄嗟に弾き退いた。
顔から笑みを消し、詰まらぬ様にむすくれるその二人の男を制し、歩み寄るのは、一人の男性。

漆黒の包衣、冷たいブロンド。
ふっと細められた碧眼は、まるで、作り物のように美しく、深い。

「仲間を殺す為に、それを支給しているんじゃあない」
「「仲間じゃねぇよ」」

重なる声と声に、男は、仕方が無い赤子を見るよう溜息をついた。
つまんねぇの――まるで子供の様に愚痴るインディゴの青年を見下ろしながら、

「暴れる場所は用意してやる。そう、焦るな」
「――暴れる場所、ねぇ」
「不満か?シド」

言われて、白髪は、「――不満と言っちゃ不満だな、隊長殿」

彼等の長たる“隊長殿”を見据え、肩を竦めた。理由を問えば、そりゃあ、「場所が場所だ」、そう返す。

「一体何処に遠足に行く所為で、この阿呆がこんなに色めきたってると思ってんだよ」
「阿呆って、俺?」
「テメェ以外に誰が居る……あのな、俺は、面倒なのは嫌いなんだ」

シドは苦々しそうに言った。

「五番街なんて、二度と行かねぇと思ってたのによ」

その名、
その街を、ああ、思い浮かべ、言われた青年は肩で笑った。

五番街。五番街。
彼は、幾度あの街を心に待ち望んだ事だろう。

「ヴァル。俺、すげぇ楽しみだよ」

名を呼ばれ、隊長は彼を一瞥した。
八番街私服隊葬儀屋隊員、中でも、最たる異常者、トリス・アーノルド。
インディゴの髪をくしゃりと掴みながら愉快そうに笑う彼を見て、男は――彼もまた微笑ましそうに目を細めた。

ヴァルトロメア・ディ・オーギスト。

彼こそ、その、異常な街の異常な者達を統べるべく生きる男。
我等が蜃気楼至上最悪最低と呼ばれる葬儀屋の、頂点に立つ男。


「――好きなだけ、暴れれば良い。お前達の、気が済むまでな」


これから起こる、全ての喧騒を見守るべく。
ヴァルトロメアは、八番街を見下ろしながらそう呟いた。










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