<寄来る争端 2>





過ぎ行く人々は、此方を見ずに皆何処かへ去っていく。

雑居ビルに溶け込む人たち、薄汚れたアスファルトの上に座り込んで物言わずに空を仰ぎ見つめる者達。為す事思う事、全てが個々に違うけれど、皆、この街の住人だ。

朝も、昼も、夜も。
この街は眠りはしない。
それは、各人が、各人の時間を生きているから。
白んだ空を見慣れる者も、日の照る青空を仰ぐ者も、満天の星空を見つめる者も、全ての者が、この街で生きているから。晴天を平生とするものも居れば、闇を平生とする人間も、居るという事。それは、今も、昔も、これからも。


「変わらぬ日々ね」

冷たいミルクティーにストローをさしながら、ハルナが呟く。

「変則的なこの街こそが、僕等の不変。良いじゃないですか」
「嫌いじゃないわ。好きよ、私」

オープンカフェの一角で、オフを満喫する自警団二人組みは、暢気な昼食を優雅に楽しむ。
制服を拒否する事を許される休日は、気が楽だけれども、ハルナにとって落ち着かないといえば落ち着かない――こんな時でも、ちゃっかり無線を腰につけるのが流石彼女だ。チープな紙コップに入った紅茶を啜りながら、彼女は、やはり気を抜いたようにふっと静かに溜息をついた。

「仕事、仕事、仕事ですね。オフの日の昼食くらい、無線機置いてきたらどうですか」
「別に私、プライベートと仕事をきっぱり区別してる訳じゃないの。例えオフでも、動くときは勝手に動く。常日頃が、戦闘態勢よ」
「楽しいですか」
「何が」
「街頭人の、お仕事」

ハルナが、ポテトフライをつまみながら首を傾げた。

「アンルは、嫌いなの?」
「別に、好きも嫌いもありません。向かってくる火の粉は払い落とす、それだけは忠実に」
「あなた、何で街頭人になったの」
「――理由ですか?」

運ばれてきたフィッシュフライにフォークを刺しながら彼は微笑む。

「ハルナさんが教えて下さったら、教えますよ」

駆け引きが上手い。

「私の話なんて腹の足しにもならないわ」
「個人的興味です。嫌でしたら、無理にとは言いませんが、それでも僕は知りたいなぁ」
「……“街を守りたかったから”」

棒読みをして、ハルナは皮肉に笑った。「どう?街頭人の模範解答集に載せたいと思わない?」
微笑む彼女にアンルは拍手を送る。

「素晴らしい。でも、僕が採点者なら、三角ですね」
「嘘をついてるように見えるかしら」
「嘘では無いでしょう。ハルナさん、五番街大好きですからね。でも、本音はきっとそこじゃない」
「――と言うと?」
「僕は、貴方が、マグロに見えてね」
「……」
「あ、不感症って意味じゃないですよ」
「刺すわよ」
「じゃなくて、回遊魚っていう意味です。彼等は、泳ぎ続けないと死んでしまう。意味があって泳ぎ続けているんだけれど、本人はそれを意識せずに、本能的にとにかく二十四時間泳ぎ続けて、海を回る。ハルナさんもそうじゃないですか。ずっと、走り続けている。きっと貴方にとってそれは大事な事なんだろうけれど、貴方はそれを意識もせずに、闇雲に、力尽きるまで走り続ける――先日過労で倒れたのが良い例ですよ」

肘を突いて、ふっと溜息を吐いて笑った。「貴方は、街頭人を目指していたんじゃない。街頭人になる事で、何かを得ようとしていた――そんな風に、僕には見える」

ハルナは黙った。黙って、それが癪だったから、腕を組んで視線を大きく彼から逸らした。

「やってみたら、それこそ貴方の心情を満たすのに十分な職業だった。街は守れるし、大切な人も自分で守れる。お給料は貰えて宿舎も与えられれば、自分の帰る“家”が出来た。血を流し大層徒労する割に見返りは少ないけれども、それなりに自己満足が出来る職業なんですよね、街頭人って」
「アンルは、自己満足が出来るから街頭人に名乗り出たの?」
「僕ですか?僕は――」

そこまで言って、アンルは少し身を退いた。
何よ、他人の事を根掘り葉掘りつっついて自分は黙秘じゃ成り立たないわ、
そんな視線を向けられて、彼は頬をぽりぽりかいて気恥ずかしそうに笑った。

「僕は、大した理由じゃないですよ」

ハルナの皿に、自分のフライを取り分けてやりながら、アンルは、

「――贖罪です」

ハルナの首を傾げさせるのに十分だった。

「あんた、何か悪い事したの?」
「そう見えますか」
「年中悪いこと考えてそうね。完璧腹黒だもの」
「酷いなぁ。僕、意外と繊細な人間なんですよ?」
「じゃあ、自分を色に例えてみて」
「ムラサキ」

微妙に腹黒だ。

「ハルナさんは、黄金って感じがします」
「それって髪と目の色じゃない」
「さながら、“血塗れの女神”ですよ」

真っ赤なソノラとお似合いですね、言われてハルナは複雑な気がした。
彼に相応しいと言われることは嫌じゃないけれど、血塗れで女神というのも気分が良くない。

「褒めてる?」
「それはもう」

やはり、良い気はしなかった。






















銀糸の髪をかき上げて、青年は、溜息をついた。

同じパーティーの二人が休日を謳歌しているこの最中に、自分一人が人手不足で仕事漬け。
暴走の反動で寝込んだ相棒を心残りにしつつも、低血圧の体を朝からフルに活動させて、周囲を警戒して回る男一人、華やかしさも糞もあったもんじゃない。最も、そんなものを求めてこの仕事をしているわけでは無かったけれども。

そんなこんなで、シンディア・レナードは一人街路地を歩いていた。

過ぎ去る人々に軽く視線を配りながら、無線に気を配りながら、それでいて、少しの空腹に悩まされ。何を食べよう、何を飲もう、そんな事を考える最中にも、頭の隅には街の治安を気にかける。

最近は、レイチェルの所へ顔を出す暇もめっきり減ったな、思いながら、同時に彼女の柔らかな笑顔を頭の中から振り払う。彼女に関する思考は弱み。弱みは即ち隙へと繋がり、隙は即ち死を招く。

彼は思考を全て己の周囲へ細かく配らせ、そうして、ふっと神経を研ぎ澄ませた。

そうして、一つの気配に彼は気付く。
つまり、自分へ向けられる注視。

気付かれぬよう沈めているのか、それとも微弱に伝わるように弱めているのか、若干抑えられた不自然なその気配は、確かにシンディアの後ろをついて来る。

ガンダ・ローサか?
いや、違う。
あの組織の目的は街頭人の殺害ではない。祗庵セントラル・ビルの制圧だ。

シンディアは、すっと自然に脇道に反れると、わざと暗がりの道を歩いた。
昼間なのに人気も無く、音も少なく、遠くで繁華街のざわめきが聞えるような裏路地へと足を進める。

暫くして足を止めると、すっと静かに振り返る。
後ろには、誰の姿も見当たらない。
だが、気配は確かにあった。

「――誰だ」

反応は、思いのほか、高い位置から降り注ぐ。

「さすがね、シンディア・レナード」

聞き覚えのある調子の声。
その声に顔をあげれば、雑居ビルのベランダに、見覚えのある姿が一つ。

「お前は、」
「お久しぶり。って言っても、まだ数日しか経ってないけど」
「リネン・マーシェ」

即座に銃へ運ばれる彼の手に、リネンは、手を大げさに振りながら「ストーップ!何よもう、せっかちね。別に私、今日は貴方のお相手をしに来たんじゃないんだから!」
拗ねた様に制するリネンにシンディアは顔を顰めたまま、訝しげに銃を向けた。

「目的は何だ」
「べっつに。今日は私の独断よ。ノギシも居ないし、任務でも調査でも無し。ただ、貴方に会いに来ただけ」
「――ふざけるな」

リボルバーを回す音。
困ったように彼女は首を傾げて言った。

「貴方、気にならないの?」
「何を」
「何で私達がこの間あなたとハルナちゃんを狙ったか。そんでもって、いつまでそれが続くのか」
「知りたいのは山々だ。だが、お前はどうも信用が置けない」
「信用があってもなくても良いわ。ただ、私、あなたに興味があるだけよ。何にも知らないまんまだと、幾ら“実験体のマウス君”でも可哀想じゃない?」
「――どういう事だ」
「だから、それを教えてあげようっていう訳」

束ねた毛先をくるっと指に絡めながら、小悪魔はにっこり無邪気に微笑んだ。


「さて、どうする?シンディア・レナード。何も知らぬ無知のまま、争いの渦に飲み込まれるか。はたまた、己の立場を弁えた上で、あえて自分から戦に身を投じるか――全てはあなたの選択次第よ」








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