<寄来る争端 3>





口笛を吹きながら歩くリネンは、暢気だった。
比べて、後ろをついて歩く青年は、打って変わって仏頂面。
訝しげに顔を顰め手は腰に当てたまま、こんな天気のいい昼間にも関わらず気分の欠片も緩める気配は全く見せない。折角の良い男が台無しだ、通り過ぎる者達は、誰もがそう思っただろう。

「そんなに警戒しなくたって、いーじゃない」

案の定、先を歩く少女は振り返りながら唇を尖らせた。
折角のお昼だし、折角の二人きりだし?
言われて、青年は――シンディアは溜息をついて、

「この間は俺を切り付けといて、警戒するなは矛盾している」

正論を言う。

人ごみを掻き分け掻き分け、彼等は、何処かへ向かっていた。
一体何処へ?それはシンディアには解らない。
ただ一つ理解しているのは、目の前の少女――(自称)製薬会社デイシスに勤める、リネン=マーシェたる人物が、彼を誘導して、これから“真実の一端”を垣間見せてくれるのだという、ただ、その事だけだった。

真実って、一体何だ。
製薬会社風情が、一体何だって言うんだ。

咽喉まででかかる文句を飲み込みつつ、シンディアは、取りあえず常に彼女からの攻撃を警戒しつつも、取りあえずは黙って後ろをついて歩く事にした。不自然な動きを見せたら、即、取締り。五番街を駆け抜け中心街へ向かう素振りを見せても、即、取締り。
しかし、そんな彼の警戒心を見抜いてか、リネンは、

「あのね、私達は、ガンダ・ローサじゃなくてデイシスの人間なんだってば。任務は、この間、貴方達二人の様子を観察する事、ただそれだけ!だからね、この街を、蜃気楼を乗っ取ろーとか、セントラルビルに潜入してデーターを書き換えよーとか、そんな事はアウト・オブ・眼中なの!もう、分からずやね!」
「だが、ローサ=ハーテムの名を口にしていた」
「それは、ただ、私が彼女の思想に陶酔しているだけの話。そりゃあね。私達の会社デイシスは、実の所、ガンダ・ローサの支配下にあるのは事実。そこら辺分かってないと、ややこしい話だけど」
「それと、俺とハルナだけ狙う理由も不可解だ」
「何故って、ねぇ」

リネンは意地悪く微笑んで、「貴方とハルナちゃん。二人は、“特別に優秀”な子なのよ」

足取り軽やかに、リネンは、ふと、角を曲がり、通りの先を指差した。

シンディアは、思わず立ち止まる。

やや繁華街からそれた其処に、ひっそりと立つ、灰色と白の簡素な建物。

その場に彼は、見覚えがあった。

見覚えがあると言うよりは、懐かしい。そう言った方が正しいだろう。

――フィーネ孤児院、五番街支部。

彼と、幼馴染たるハルナが、幼少の折に入所した施設が、そこにあった。

「覚えてる?シンディア=レナード。貴方とハルナちゃんは、幼い頃、街を放浪していた所を確保され、この施設へ辿りついた」
「……どうして、」

シンディアはリネンを睨みつた。

「どうして、俺とハルナの過去を知っている」
「この施設で、貴方達二人は育った。街頭人と言う仕事を知ったのも、そして、ランドルフィンの味を覚えたのも、全てが、この施設で暮らしている時」

シンディアの問いを無視し、リネンは孤児院へ向かって歩みを進め言葉を紡ぐ。

門のフェンス越しから中を見れば、簡素な敷地、庭の向こうで、走り回る幼い子供達。
ボールを蹴って戯れる少年、花を摘んで微笑む少女。
シンディアは目を細めた。

「知ってる?シンディア。私達の会社デイシスは、元々、シャクドウという国から薬品開発の任務を依頼された、公的な機関であったことを。そして、ガンダ・ローサの前身となる“快層都市創造機関”の支配の下で任務を遂行していたことを――何より、この島が、街が、スラムと化する以前。この島一体に建てられた工場や研究所の半数以上が、私たちデイシスの関連施設であった事を――」

シンディアは立ち止まった。

「この街全体が、元は、デイシスの研究地帯?」
「そのとーり。先進国シャクドウが、あらゆる技術の最先端を詰め込んだのが、後に巨大スラム“蜃気楼”と化するこの都市だった。けれど、運命の日、――かの大惨事が勃発。公的には、この島から人員が撤退した理由が、各工場からの汚染物質の漏洩だとか言われているけれど、真相は、全くもってそこにあらずよ」
「――報道操作?なら、真相は一体何だ」
「先日、シャクドウが祗庵に申請した、セントラルビル地下遺跡の調査をご存知?あれこそが、デイシスがこの街を一度捨て去り逃げていった原因よ」

何が何だか、解らない。
シンディアは、そう思って続きを促そうとするが、

「――ヒントはここまで。ま、後は自分で調べて見ること。でもね、折角だから、もう一つ教えてあげる……実は、貴方達が育ったこのフィーネ孤児院は、元々、デイシスの研究機関と繋がってました」
「どういう事だ」
「あなた、幼い頃の、記憶、ある?まだほんの4、5歳頃の幼い記憶――無いわよね?もう、全て消えてるはず。記憶が無ければ、記録を探れ。これは社会の常識よ。見えない事は、自分の力で見つけなきゃ!」

リネンは髪を揺らしながら、フェンスに指を絡めながら、意味深に笑い上げた。

シンディアは、彼女の顔を見つめたまま、「なぜ、お前は、それを俺に教えに来た?」当然の疑問を投げかける。

「なぜ?なぜって、……それは」
「それは?」
「あなたが、イイ男だったから」

言うと、リネンは、さっとシンディアの頬に、唇を掠めて、咄嗟に身を引いた。

「――な、」

何をする。シンディアがそういう前に、ひらり、と、彼女はフェンスの上へ飛び乗ったかと思えば、そのまま足持ち軽やかに、ビルのベランダ伝いに飛び交っていく。

「そうそう、最後に一つ」

シンディアを見下ろしながら、

「もう、事態は動いているわ。地下の大遺跡調査に、ガンダ・ローサ、祗庵、デイシス……きっと、争いは止められない。気が向いたら、貴方、ローサ様の所で働かない?私が就職斡旋してあげるわよ」

「そうなるくらいなら、とっくに死んでいる」
「あら残念!」

キャッキャと笑い、彼女は、最後に投げキス一つ落としていって、

「バイバイ、シンディア=レナード。また会う日まで」

そのまま、ビルの狭間に消えていった。

呆然と、立ち尽くすシンディア。

聞えるのは、最早、孤児院に暮らす子供の戯れる声と駆け回る音。
そして、彼の背後からかけられた一つの声――


「……シンディア?」


その声に、彼は完全に思考を途切る。
柔らかな子守唄の様に甘い声。耳を掠める、心地よい響き。

その、聞きなれた声は、間違えるはずも無い――レイチェル=フィーネ、その人のもの。
手に抱えた紙袋、着替えぬままの白衣姿。きっと、フロルドに言われて買出しだろう、全く持って都合の悪いときにご対面だ。


「あら、シンディア、今日はお仕事じゃ」
「――ええ、そうです。今日はオフではなく、仕事です」

平生を取り繕うが、

「さっきのは、お友達?」

その一言に動揺を隠せない。

「いえ、違います、友達という訳ではなく、」
「なら、……えぇっと、……恋人?」
「――違う!」

怒鳴って、ああしまったとシンディアは口を噤んだ。

頬に口付け、去り際にも愛情の証。
あんな姿を見られ、恋人じゃない色恋沙汰じゃないと、喚く方がきっと怪しい。

レイチェルは、平生のおっとりとした空気を乱す事無く、驚きも怒りも喚きもせず、にっこりと微笑んで、「そう、わかったわ。私、フロルドが待っているから、帰るわね。シンディアも、任務、気をつけて――」

いつもと全く変わらぬ笑顔でそう言って、身を翻して去って行った。

シンディア=レナード、朴念仁の代名詞たるその男は、それ以上何も取り繕えず。
額に手を当て、悩ましいこの状況に閉口しながら、ただただ、深い溜息をつく他無かった。


折角のオフに、休日出勤。デイシスからの訳の解らぬアドバイスに、レイチェルへの痛々しい誤解のミス。

休息も安息も糞もない一日の奮闘に、シンディアは、いつもと変わらぬ底辺すれすれテンションのまま、具合悪そうに空を仰いだ。



















「あー、お腹満足ですね」
「ホント、いやーごっちそうさまアンル君!あそこなかなか美味しかったわ」

一方、かわって、休日満喫。

にんまり笑いながら街道を歩き抜けるハルナとアンルは、満腹感という幸せにどっぷり浸かりながら、お日様の下で背伸びをした。
制服と違って、柔らかな、着慣れた私服で街を闊歩。これほど気持ちが良いものはない、ハルナは、欠伸をしながら通りを眺めた。

蹲る猫、猫と共に蹲って寝る浮浪者。
小奇麗にディスプレイされた古着屋の硝子ケースに、胡散臭い占い師の営業案内。
どれもこれもが廃れているように見えるけれど、どれもこれもが彼らの平生。
その商店街の一角、割れたディスプレイケースの奥に、砂嵐が混じったブラウン管のテレビを見かけて、ハルナはちょっと立ち止まる。

「本土の、ニュースだわ」

国土全域のニュース報道。
ぎこちなく途切れる音声を必死に拾いながら、ハルナはその映像に食い入るように目を凝らす。

「何か、やってます?」
「しっ……本土からの、遺跡調査要請の続報よ」

乱れ歪むキャスターを眺めつつ、テロップを必死に読み取る。


『…シャク…ウ政府……蜃気ろ……の、……二……ガ、遺憾と、発ぴょ…………』


途切れ途切れの言葉を拾って、ハルナは、顔を顰める。

「シャクドウが、遺憾表明ね。って、そんな事言われても、祗庵が断るのなんてあったりまえじゃない。いきなりお宅のビルの地下を掘らせてくれって言ったって、どこの誰が許可するのよ」
「でも、これは新たな火種ですねぇ。あっさり彼等が引き下がるとは思えませんが」
「かかってきなさいって話よ。いつ何処から攻めて来たって、返り討ちにしてあげる――」

ハルナが、意気揚々と拳を握り締めた、その時。

腰元の無線機が、彼女を呼んだ。

「あ、ハイハイこちらハルナ=アカツキ。どうぞ」
『ハルナか。こちらメリッサ、五番街支部本部より通達』
「何、一体どうしたの」

アンルに目配せしながらハルナが問う。

『先程、祗庵本部セントラル・ビルより通達があった。ガンダ・ローサの部隊と思しき人間が、非公式に蜃気楼五番街に侵入、セントラル・ビルへ侵攻中。繰り返す、ガンダ・ローサの部隊と思しき人間が、五番街に潜入、セントラル・ビルへ侵攻中』
「何だって、いきなりそんな事態になってんのよ!」

噂をすれば、このザマだ。
オフにも関わらず、武器を携帯していて良かった――
ハルナは腰に手をかけながら、街をぐるりと見渡した。

「……怪しい奴見つけたら、生かしておく自信、無いわよ」
『自分の身の安全確保第一だ。始末の方法を問いはしない』
「了解。私、今、アンルといるの。彼も出動させるけど、OK?」
『勿論だ、彼がいるに越した事は無い――それと、もう一つ。この侵入に関しては、祗庵に事前に情報が入っていたらしく、本部より五番街に応援が既に派遣されている。例え他街の者であっても、街頭人同士のトラブルが無い様気をつけろ』
「了解。なかなか祗庵も準備が良いわね」

言って、ハルナは無線を切った。

「――ていうワケ。聞えてたでしょ?」
「了解ですけど、血が飛び散ったら、私服が汚れちゃいますネ。僕、制服取りに一端戻りたいんですが」
「あーもう女々しい!しょうがない、私の貸してあげるから、そのままアンタも一緒に出勤よ!それで良いわね!」

ハルナはバックをごそっと探り、灰色のフードコートを取り出すと、アンルの胸元に投げ渡した。

「何で持参……」
「こういう事もあろうかと、私は常に持ち歩くのが癖なのよ!」

にんまり笑って、誇らしげに指差すハルナに、アンルは困ったように苦笑い。

けれど、仕事人間たる彼女の事、此処で断って支部に戻ると言い張るもんなら本気で張り倒されないとも限らない。
良い?行くわよ?準備はOK?

急かし、ずんずん街を進み行く彼女の背中を見つめながら、アンルはふっと溜息をついて、彼女のコートを身に纏った。



(……他街からの応援、か)


何だか、不吉な予感がしますねぇ、

だがその言葉はアンルの胸奥に仕舞われたまま、ハルナに投げかけられる事は無かった。





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