<寄来る争端 4>




「良い、よく聞きなさいアンル=オゼット。無謀と言うものは、ある程度の実力と根性と精神を持ってして行なって、初めて生還可能な行為として成立されるものなのよ。幾ら全知全能の神であっても、今日という今日こそは、救い様の無い黒髪童顔の優男を見放したもうてジ・エンドよ」
「ええ、良く良く分かってますよ」
「分かってないから言ってるんでしょーが!」

ハルナは街のど真ん中、アンルのコートを引っ張りながら怒鳴り叫んだ。

空いた彼女の手の中には、銃に、手錠に、非常用のランドルフィン。
休日オフの彼女がこれを手にしているのは、他でも無い、アンルが「はいコレ、ハルナさんに」とバサバサ寄越してきたからに他ならない。
オフの日にまで無線を持つな、と先人は良く言ったものだ。
他の誰より、戦闘体制万全であったアンル=オゼットは、それらの手持ち道具を全てハルナの身に託して、じゃあガンダ・ローサをやっつけに行きましょう、いとも平然と言い放った。

「私はクラブがあるからまだ良いけれど、あんたはすっかり丸腰でしょうが!」
「僕はここがあれば良いんですよ」

己の頭をコツコツ叩くアンルの後頭部を、ハルナは勢い良く張り倒す。

「無理!幾らアンタだって絶対無理!いい、あんたの武器はあんたの物!そりゃ財産譲与はいつであっても大歓迎だけれど、今という今これを受け取るわけにはいかないわ!」
「ハルナさんは、本当にお優しい。そんなに僕の体が心配ですか」
「なっ、一体誰が、」
「――大丈夫」

アンルは、コートを掴む彼女の手を取ると、その甲に口付けを落とし、

「僕は、死にませんよ。貴方が、僕の存在をを望む限り」

そう微笑むと。
彼なりの宥めに呆気に取られたハルナを置いて、アンルは、ふっと、待ち行く人に溶け込むように消え去った。
はっ、と正気に戻ったときはもう遅い。
アンル、その名を呼ぶが彼はもう人の波に流されて、ハルナは制止の使用が無く、ただ、彼女は溜息付いて立ち尽くした。





++++++++++++++++++++++++++++++++++





「でもま、ここで悩んでもしゃーないってね」

先程までの意気消沈は何処へやら。

ハルナは頂いた武器をちゃっかり腰へ据えながら、五番街の裏路地をぶらぶら歩いた。
まぁ何だかんだ言ってあいつ強いから大丈夫よね、何て、根拠の無い納得をしつつ歩む路地は、昼過ぎにも関わらずじめっと暗い。ピチョリと垂れる水漏れの音、塵屑を漁る野良猫が唸る声。
足元の缶を蹴飛ばしながら、ハルナは意識を集中させて歩みを進めた。

ガンダ・ローサは、いつも中心街への最短距離を目指し、目立たぬようにこういう裏路地を通り抜けるもの。
(あんた等の行動なんてお見通しなのよ)、ハルナは一人ほくそ笑むが、彼女の分析を褒め称える他人は残念ながらここには居ない。

それにしても、私服で仕事っていうのはなかなか変な気分だ。彼女は変に顔を顰めた。動きづらい服装してないのは良かったけど、上着のこのヒラヒラとか、折角整えた髪形とか。別に、アンルと出かけるからって色めきたった訳じゃないけれど、何気に香水を軽くつけたりしてたりして。これからこの身が真っ赤に染まって、生臭い匂いを纏うかと考えると、アンルにコートを貸してしまったことをほんのちょっと後悔した。

「ま、潜入したのが五番街で良かったわね。私やシンディアはやさしーから、ほどほどに痛めつけて避けたい血は避けるに限るって――」

限るって話、

そう呟きかけ、空を仰いだハルナの視線にそれは映った。

「――ガンダ・ローサ!?」

燕の如く、白い衣服を身に纏った何者かが、軽やかに素早く、屋上伝いに天上を駆け抜けていく。

見つけた、見つけた――!

ハルナは口を引き結ぶと、それに負けず劣らぬ速さで、複数飛び交うそれらの後をつけていく。
ざっと見て、標的三人。
数的に不利、しかしながら先制権は此方にアリ。

地を跳ね、小石を飛ばし、冷たい風を切りながら、彼等は街を飛び交う羽虫となる。


こんな最中じゃ銃も撃てない、ハルナは彼等の歩みを止めるため、天に向かって発砲しながらすぅっと大きく息を吸った。

「止まりなさい!ガンダ・ローサ!」

刹那、振り向く彼等に、

「隙あり!」

ぐしゃり、と鈍い音を立てながら、一人の顔面に膝蹴りをお見舞いした。
咄嗟にクラブを抜き出して、その背中を一打ち、これで、コイツは暫く動けまい。

歩みを止めた残り二人、ハルナは彼等の相手をせんと、路地に一端降り立った。

「ガンダ・ローサのお二人ね?」
「――如何にも」
「こんなふざけた格好してるけど、私はこの街の街頭人。貴方達をこのまま、セントラル・ビルへ行かせる訳にはいかないのよ」

覚悟しなさい。
言われて、彼等は咽喉で笑った。
男二人、低い声で、ハルナの姿を一笑する。「街頭人も、色気づいたものだ。こんな小娘を前線へ送り込むなど」「やはりこの街は考えが下賤」「ローサ様が見たら、さぞお嘆きになる事だろう」

「成る程、下賤ね」

言って、ハルナは地を蹴った。

壁を蹴り出し、後方に回り込んで、「余計なお世話よ、偽善者さん」クラブを振る。

だが、その一振りは男の持つクラブで止められて、力を込めて跳ね返される。

「――女の割に、素早いな」
「当然よ」
「だが、分は此方にある」

何しろ、相手は二人組み。
弾かれたハルナの後ろに、即座に回りこんだもう一人が、すかさずクラブを構えて振り下ろす。
髪を躍らせその振りを避け、同時に足を回して後方の男に蹴りを飛ばすが、大した致命傷にもならない。

「この街を支配しても、意味は無いわ」

皮肉に笑って、クラブを振りながらハルナは言う。

「穢れた街に住む者達へ真の救済を」
「それが余計だっつってんのよ!」

ひらりと飛んで、クラブを交える。
軋んだ音、路地はその冷たい響きに共鳴した。

「己と異なる世に住む者を、汝蔑む事無かれ」ハルナは笑う。「あんた等から見たら最低でも、私にとっちゃ最高なのよ――このスラムは」

パン、と乾いた音がした。

ハルナが男の足に打ち込んで、一人の動きを何とか封じる。

「やるな、女」

男がクラブを振る。
ハルナが避け、代わりに後ろのビルの壁に深く鋭い爪痕が引かれた。

コンクリが砕ける音に顔を顰めながら、ハルナは、しかし、中々手こずった。

足を封じたといえ男は二人ともぴんぴんしている訳であるし、さっき殴った一人だって、いつ目を覚ますか分からない。三人とも元気になって襲われたら、それこそ彼女にとって惨事だけれど、それも、さっさと始末をつければ良いだけの事、そう思ってハルナは男等に止めを刺そうと動きを強める。

私服汚すのはゴメンだけど、仕方なし。

銃で打ち抜こうかと思い、一端男と距離を取ろうとした、その時――

不意打ち、ハルナの頬を弾丸が掠めた。

熱さに、退こうとした折、もう一発。今度は、左手から鮮血を飛ばす。

「……目覚めるの、早いっつーの…、」

苦々しくハルナは笑い、左手にしていたクラブを落とした。

倒れていたはずの一人が、ハルナ目掛けて二発発砲。銃の痛みに、熱さに、それを堪えるハルナは脂汗を浮かべた。
これで、地獄の三対一。

(だから、考えなしって言われるんですよ、)

菖蒲色の瞳に、笑われた気がした。

「我々も、ここで立ち止まっている暇は無いのでね――殺すに惜しい人材だが、ローサ様の為に眠って頂く」
「……勝手に決めないでよ」

あんた達はいつだってそう。
勝手に人の領土を汚らわしいとか何とか言って、勝手にここに忍び込んで。
私達の生き様をどうのこうの口出しして、何様だって話なのよ。

ハルナは三人に銃を向けた。
男三人も、それぞれがハルナに向かって銃を向ける。

――意地でも一人は絶対に殺る。

左腕に、生きてる実感を感じながら、ハルナはふっと目を細めた。
ぐちゃぐちゃに血に染まっていくカーディガンは、痛みと共に肌について不快感。
掠った頬は、生温い血を垂らして、彼女の白肌に線を引く。

やっぱり、コート、貸すんじゃなかった。

思いながら、ハルナはレボルバーを回した。白尽くめの男達を見据えて、その引き金に指をかければ、彼等三人も指をかける。


――五番街の裏路地で、野垂れ死ぬのも悪くは無い。


そう思い、ハルナは、瞬き一つせぬままに、引き金を思い切り引く。




そして、響いた一つの銃声。

あふれ出す、鮮血。
体中が、血に染まった。

――だが、それは、ハルナの身じゃない。そうではなかった。




目の前の、三人が。生命の根源たる紅の飛沫を失っていく、目の前の三人が。
天を仰ぎ、その咽喉元から弧を描く鮮血を噴出しながら、各々の白き衣をどす黒い赤に染めてゆく。
ぐらりと、彼等の体が舞った。


ハルナは、瞬き二回、その男等の最期を見る。

崩れ行くガンダ・ローサ。
断末魔も許されぬまま、この世に命を失う彼等。


その三体の中心に、鮮やかな紅を被り、蹲る男が居た。

男等の首を掻き裂いて、虹なる血の弧を祝福だと言わんばかりに、その口端を歪める男。
血海の中で産声をあげ、その紅を羊水の様に体中に浴びる男。

――嗚呼、彼女が見間違える筈も無い。
うざったい前髪の奥に、光る、底深い翡翠の瞳――

その彼こそは。


「――トリス……アーノルド……」



左手を握り締めるハルナの前に居るその人は、この世で最も会いたくない奴。










++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++











白い雲。青い空。灰色、無機質の雑居群。


鳴き声軽やかに飛び去る鳥を見上げながら、男は、何もせず、ただ、其処に居た。

漆黒の衣服は、聖職者を思わせるそれは、この街に不似合いだろう――だが、紛れもない、彼は蜃気楼に生きる住人だ。醜い地を踏みしめて生きる、麗人。流れるブロンドをかきあげて、溜息一つ漏らせば、彼の端整な横顔が一層際立つ。


男は、ただ其処に居た。
街を見下ろし、喧騒を見届け、何も知らぬ街人達を眺めゆく。



「――ヴァルトロメア」


呼ばれて、しかし尚、彼は振り返る事はしなかった。
声の主は分かっていた。知りたくなくとも熟知していた。

それを知っていたから、呼んだ彼も、そのまま言葉を続けていった。

「何年ぶりかな、君と、こうして話すのは」彼は微笑んだ。「最も、あの時の別れ以来だけれども」

「――アンル、」

ようやく、ヴァルトロメアが振り向いた。
退治するのは、街頭人の証たる灰色のコートを身に纏ったアンル=オゼット。

平生変わらぬ笑みを浮かべて、彼の瞳をしっかり捉える。

「変わらないね、ヴァルトロメア」
「お前もな」
「――この間、ソノラに会ったんだ」

アンルは懐かしげにそう言った。

「茶番だ」
「何故?」
「ソノラ=クロノイドはあの日死んだ。もう、あいつはここに居ない」

ヴァルトロメアは口端を歪めて笑う。

「お前が、何を生み出したのか知らない。第二のソノラか、奴の変わり身か。そこまでして、お前は、この五番街に英雄を生かし続けたいと願ったか」
「だけど、君も“彼女”を造り出した」

ヴァルトロメアの顔から笑みが消える。

「彼女は、造られた彼女であって、もうあの頃のあの人じゃない。生命に手を加えてまで、映身を造り出そうとしたのは、君も同じじゃないかい?」
「違うな」
「どこが違う?」
「あの人は生きている。まだ、彼の地で、この街を見下ろしている」
「それこそ、救いきれない倒錯だ」

アンルは掌を握り締め、言葉を続けた。

「子供達でさえ、今も尚苦しんだまま、」
「お前も進んだ道だ。同罪だろう?」
「だから、僕は今、この街に居る」
「一度逃げ出したお前が、街頭人ごっことは笑わせる」
「笑えば良い。僕は案外と不器用でね――君だって、同じだろう?」

冷たい風が吹いた。
アンルのコートもヴァルトロメアのコートも風にはためき、だが、互いは地をしっかりと踏みしめていた。

「……また、こういう日が来ると思っていた」

アンルは握り締めた掌をもう一度開いて、そうして、また、握り締めた。

「君に手をかけるのは気が引けるが」
「そうか?俺は愉快で仕方ない――あの頃のままでは、」

彼の言葉を聞きながら、アンルが地を蹴った。

「互いに、本気で闘り合えなかっただろう?」

キィン――……

ヴァルトロメアの銃が、アンルの素手を捕らえた。
まるで鋼鉄であるかのような音が、アンルの手から響き渡る。

ふっと微笑んで、アンルはひらりと距離を取った。

「そうだね。あの頃は、僕も、ソノラも、君も――互いに本気を出すことなんてしなかった」
「その通り」
「それも、遠い昔の話だけれど」

アンルが消える。
咄嗟に後ろに回りこまれて、ヴァルトロメアはひらりと身を翻しその蹴りを避けた。
代わりに、ビルから生えたアンテナが、綺麗に真っ二つに折れ落ちる。

「昔から、俺はお前が腹立たしい」
「そう?それは知らなかった――だけど、知ってたかい?」

アンルは笑う。

腰からナイフを抜いて腕を振るヴァルトロメア。
再び指先に力を込め、彼の腹を目掛けて差し込むアンル。


「僕は、案外と君が嫌いじゃないんだよ」



互いの体から、血飛沫が飛んだ。





→NEXT


Copy Right (C) 2004- @KIERKEGAARD−IZUMO.  All Right Reserved.