<寄来る争端 5>




ハルナは、息を切らしながら、無意識の内に体を強張らせた。

三死体は、痙攣を起し、不気味に震えながらその地に横たわり、その輪の中で、男は、不気味な笑みを浮かべている。
沈黙、そして静寂。
不意に、合った視線に、彼女は息を呑んだ。

(ヤバイ、)

思って、ハルナが少し、ほんの少し足を後ろに退いた時――

瞬時にして、彼は、死体を足蹴にして、彼女の目前へ跳ねると、その弾痕で抉られた腕を掴んで、咄嗟に、ビルの壁に押し当てた。

「痛……っ」
「久しぶり」

懐かしい声。
耳に響いたテノールに、ハルナは、無意識に眉を顰めた。

「……こんな所で、会うとは思って無かったわ。トリス・アーノルド」

掴まれた左腕が、痛い。
それでもトリスは力を緩める事せず、彼女をビルと己に挟んだまま言葉を続けた。

「素っ気無い。感謝の言葉一つも無いの?」
「……一体どういう風の吹き回し?あんた、八番街の住人でしょうが」
「“緊急応援”。ガンダ・ローサが来るからって、本部から指令が下りて、遠足に来た」

――ああ、成る程。
応援って、そういう事か。

(これじゃあ、応援じゃなくて、追い討ちよ)

ハルナは祗庵本部を恨んだ。

「だとしたら、シーラ様も……庵主も飛んだ計算違いね。ここは、八番街とは違うのよ。貴方達が来るトコじゃないわ」
「は、命知らずもイイ加減にしろよ。腕に一発、顔に一発、銃でヤられて……俺が殺らなきゃ、三人の野郎にイかされそうになってた癖に」
「卑猥な言葉で貶さないで」

嫌がらせよ――そう、文句を言おうとしたハルナの。その頭上から。

途端、笑い声と、断末魔。

突然降って来たそれを見上げた途端、ぐちゃりと地に落つ死体と、男。
両腕と、片足を失ったその物言わぬ、人であった物の上に降り立って、肩で笑うその彼もまた、ハルナが見知った人物の一人。

「……シド・マーティン……」
「よう、ハルナ・アカツキ」

血飛沫を顔に浴びて尚表情を快楽に歪め、手持ちのナイフの紅を振り払う白髪の男は、トリスに押さえつけられた彼女の姿を見て、目を細めた。

「まさか、……葬儀屋さんが全員揃って五番街に出張って訳?」
「そのまさか、だ」

シドは笑う。

「最近めっきり暴れてなかったモンで、皆血気盛んに張り切ってるぜ?ホトケさんバラバラに分解して、本土に送り付けたいって笑い上げてたハイな奴も居たっけなぁ――俺は、まぁ、適当に嬲れればそれで不満は無ェけどよ」
「なっ……ちょっと、好き勝手な事しないでよ!」

ハルナは声を荒げた。

「蜃気楼の中で暴れるのはまだ良いわ。けれど、本土にそれを曝したら、ガンダ・ローサや、シャクドウの国民を無駄に刺激するじゃない!」
「知るかよ――俺等はただ、隊長の許可の下で、ご命令に従ってるだけさ」

シドはトリスを見やって、

「お前もくだらねぇ事してないで、楽しんで殺れよ」
「煩い。俺はこっちの方が楽しいんだよ」
「――好きにしやがれ」

言って、シドは、笑いながら、再び血の饗宴を行なわんと、路地の奥へ姿を消した。

それを、追いかけようとするハルナ。
しかしながら、左腕に走る鋭い激痛に、彼女は呻いて動きを止めた。

ぎり、と、遠慮なしにその傷口を掴むトリスは、彼女の顔を覗き込んで、

「――痛い?」

当たり前のことを聞く。

「放して、」
「痛いんだ。ハルナ、これから、この傷口見る度にきっと俺の事思い出すんだね。きっとそうだ。俺、スゲェ嬉しい――なぁ、ハルナ。俺がハルナに会えない間、一体どんだけガマンしてきたと思ってんの?」
「……知らないわよ、」
「俺が頭ン中でハルナの事どうしていたか、本当に思い知らせてやろうか?」

細められた翡翠に、ハルナは顔を顰めた。

「そんなの、考えたくも無いわ」
「教えて欲しくないんだ?」
「死んでも、嫌」
「死んでも……?」

更に、左腕に力を入れるトリス。

「だから――あんたは、サイコーにイイんだよ」

ハルナの頬から流れる紅の細い糸を、つぅ、と、舐めた。

彼女は黙って、彼の唇を頬に受ける。恐怖か、我慢か、屈辱か――ハルナの体は、わずかに震えた。
その、彼女の白い肌を、そっと、味わいながら、「……ソノラ・クロノイド、」男は、呟いた。

「ソノラ・クロノイドの話、聞いた」
「――……」
「隊長に聞いたよ。この街に出てくる、ユーレイだってね。ねぇ、本気で信じてんの?本気で、そいつ追いかけてんの?あんた、俺の事、馬鹿とか狂ってるとか言うけれど、それってハルナも同じじゃない?」
「……違う」
「何処が違うの」
「私は、アンタと違って見返りは求めない。恋や愛を、執着と混同させていないもの」
「じゃあ、俺は執着なんだ。でも、執着の何処が駄目?」
「執着される私の気分がすこぶる悪いわ」
「――本当は、嬉しいくせに」


トリスは笑って。そのまま、ハルナの唇を塞いだ。


彼女の目の前に、インディゴが広がる。それと、感じる熱。
リアルなそれに、ハルナは、きつく男に噛み付いた。

けれど、男も、彼女の唇を噛み返す。

きついそれに、二人の口に、鉄の味が広がって――


どのくらい経っただろう。数分だろうか、はたまた数秒の長さだろうか。

やっと、ゆっくり唇を離した男は、表情一つ変えずに、

「……不味い……」

せっかくの口付けに、不満を言った。
ハルナは不躾なそいつに、顔を歪めながら、

「アンタが痛み感じないの、忘れてたわ……、」

言って、唇の痛みを苦く思った。

「……噛まれて、噛み返す男が、一体何処に…――…っ、ん、…ぅ、」

再び貪られる唇に、ハルナは、耐える様に目をぎゅっと瞑った。
一度目は、不意打ちで。二度目のそれは、血の味で。
三度目のその口付けは、彼女にとって、優しかった。
ゆっくり、慈しむように、これ以上に無く大事な物を労わる様に。
柔らかなその、唇を、思う存分味わったトリスは、再びそっと解放すると、――そのまま、疲れたように、甘えるように、ハルナの首筋に顔を埋めた。

「――ハルナ、」

ハルナは目を開く。

その声は。
今まで聞いたどれよりも、弱く。
今まで感じたどれよりも、優しく、甘く、聞えた。

ハルナ、もう一度呟いて、


「好きなんだよ……あんたが、」



唇と、頬と、腕からは、今も尚、血が滲む。
徒労した少女の体は、情思に狂う男の体を黙って支えた。




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