声は、方々から響き、青白い光は八筋の柱を為していた。

そこに立つ八人が八人、奇妙な空間を共有する。
互いの声が、感覚が、思考が、そららは個人のものであって全員のものでもある。
これは箱舟だ。
果て無い暗闇で構成される箱舟。ノアの如き使命を持った、蜃気楼の住人を導く彼らの。


「――神経回路ナーヴ・システムが侵された」
「極めて不快だ」
「同じく」
「だが、ノウシェルが彼らに仕返しを」
「ノウシェル……影で、蜃気楼の神経回路ナーヴ・システムを統べる者か」
「謎だ。極めて、謎の人物だよ、彼は」
「けれど、もう一人、その様な男がここに」

その空間で
瞬時、声が止まる。

「蜃気楼五番街、」
「その地を統べる者」
「その、隊長たる地位にある者」
「――だが、活躍は極めて不定期」
「何故に、庵主はその様な者を隊長に任じているのか」
「彼女がお決めになっている事だ、文句は言わん」
「私達も、貴方を責める気は無いのだよ――ソノラ・クロノイド」


意識は、一人の男に集中された。

七つの意思が瞬間彼を貫くよう、重く、あつく圧し掛かる。

「実に久しい」
「流石の事態に、貴方が直にお出ましですか」
「珍しい。ソノラ・クロノイド」
「今回の件の対処、君はどう考える」

その問いかけに、

「――報復は、ノウシェルがした」

そう静かに呟いた。「これ以上は、無駄な事だ」

「無駄!無駄と言うか、君は、」
「この島にバグが流されたのだ。恐らくは、ガンダ・ローサの手により」
「私はソノラに同意を」
「俺もだ」
「更なる報復は、必要無いと?ソノラ、その考えは何処から」
「――20年前、」

ソノラたる人物が呟く。

「20年前、過剰な干渉により彼の様な事態が起こった」

「……それを、繰り返したくは無いと言うのか」
「あれは、確か事実上君が殉職をした事件だな、ソノラ」
「亡霊たる君が、」
「ああ、死人が説くとは、何とも説得力があるものだ」
「確かにな。しかし、ソノラ。本土は、調子づいている。これ以上放っておけば、後が痛いぞ」

「対抗はする。だが、過度の干渉は危険だと言っている」

ソノラ・クロノイドは揺ぎ無かった。

普段姿も見せない君が、この街で生きる者として意思を述べる権利があるのか、

そんなソノラへの非難があがりつつあるその中で、彼の声に応えるような言葉が一つ。

「大変貴重な意見だ。ソノラ」

その声の主こそ、ヴァルトロメア・ディ・オーギスト。
八番街隊長、葬儀屋達を統べる男。

「――ヴァルトロメア、貴方までが…!」
「亡霊の言う事も役に立つ。先人に学ぶに越した事は無いだろう」
「しかし……」
「約束の時は、必ず来る」

その言葉に、咎めるような声が消えた。
ソノラ本人それ以上は何も言わず、ヴァルトロメアの言葉にもさして興味を示して居ない。
最早、彼の興味はその会合に無かった。
唯一言独白とも忠告とも分からぬ言付けを七人に残し、ソノラ・クロノイドは沈黙を身に纏う。


やがて訪れる黙祷の時。


真っ暗な、天上を見上げる八人。
その永久の暗闇の上、彼らを見下ろし見守っている唯一の存在。


「それを、彼女も臨んでいる。庵主たる、彼女こそが」
「……シーラ」
「シーラ様」
「その時は、もうじき」
「決戦は、避け様とも必ずや来る。だから、」



ヴァルトロメアは静かに言った。


「だからこそ、その時を待て。未来は、我等の方にあるのだから」













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いつもの見張り場、見晴らしの良いビルの屋上。
ハルナは大きく欠伸をしてフェンスに寄り掛かりながら、晴天の下でのんびり見張りを行っていた。
いつもながら彼女の横には、幼馴染のシンディアと、新人アンル、足元に転がる紅茶の缶。

「夜勤の後の一眠りって、良いわよね」
「お前は寝すぎだろ」
「ハルナさん、どのくらい寝てたんですか」
「朝七時に夜勤からあがって飯を食って朝九時に寝て、そこから夜の九時まで寝て起きて飯食ってまた寝て起きたのが朝の五時。通算、18時間くらい寝ているぞ」
「健気ですねぇ」

いや違うだろ。

お前は過眠症だ、シンディアからそんな風に言われて尚も、彼女は機嫌が良いらしく、へらっと笑ってやり過ごした。

ああ、何て平和なお昼時間。正直な所、三人は暇だ。
暇、暇。暇も暇。それこそ今ならあの気狂い葬儀屋の相手をしてやるのも悪くは無いかも、そんな凶行が頭を過ぎってしまうほど暇だった。

本土のシャクドウ(だと思う)からバグを流されて以来、ここ最近は、ガンダ・ローサも、本土の隣国たるシャクドウもめっきりだんまりを決め込んでいる。
蜃気楼からしてみれば有難い事この上ないが、この静けさがずっと続くかと思うと気味が悪い。
加えてハルナもあれ以来、ノウシェルなる回路システム上の友人と会えておらず。
騒々しいこの島での生活だが、日常的習慣が崩されるのは変な気分だ。
それでもハルナは、懲りずに定期的にシステムへダイヴしノウシェルとの邂逅を夢見ているのであるが。

「そういえば私が寝てる間に、祗庵が各街の隊長を呼び出したって聞いたけど」
神経回路ナーヴ・システムの中で、だけどな……だけど、ハルナ、」

シンディアは哀れむような目で、「お前、本当にタイミング悪いな」

「何でよ」
「今回の召集――いつもみたいにメリッサじゃなく、ソノラ・クロノイドが出席したらしいぞ」
「なっ、……!」

――なんてこった!
寄りによって、またもや彼が活躍している時に寝過ごすとは!
……うん、いや、まぁ、起きてたからってソノラに会えた訳じゃ無いだろうけどさ。
だけど、彼が会合に出ている間くらい起きていて、リアルタイムでそわそわ会合終了を待っているっていうのもなかなかスリルがあったんじゃないかと思うわけよ。

「ハルナさん、似てますねぇ」

彼女の熱弁的妄想を打ち破るのはアンル・オゼット。
一体誰によ、そう顔を顰める彼女に、

「――トリス・アーノルド」

嗚呼、それは、禁句だろ。
やらかしたと溜息をつくシンディアを余所目に、案の定ハルナは顔を引き攣らせてアンルの胸倉に飛び掛る。

「ちょちょちょちょっと待った!撤回してよ今すぐここで!」
「似てるから似てると言っただけですが」
「私が何処の誰と似てるって」
「トリス・アーノルド」
「一体どこが!」

心底嫌そうに叫ぶハルナに、「そうですねぇ」アンルは考え込むよう顎に手をやると、「まず、その懸命さ。健気なほどの一途な思いと、それに伴う実行力。想い人の名を聞くだけで明らかに顔色を変え、一度そっちに気を取られると最早心はそこにあらず、仕事もまるで手につかず。寧ろその真心を仕事へのエネルギーに転換できている非常に素晴らしい所ですかね」

よくまぁ次から次へと出てくる出てくる、アンルは一通り言い終えると、ハルナの肩にポン、と手をやり、耳元で囁いた。「貴方のその心からの憤慨。“同属嫌悪”っていうんですよ」

呆気に取られ、衝撃のあまり言葉一つも出てこないハルナに、アンルはにこにこと満面の笑みを投げかけた。胸倉を掴む腕を外させ、頑張ってくださいと応援の言葉を送ると、魂抜けるハルナをよそに今度はシンディアに向き直る。

「それにしても、祗庵も聊か焦ったようですね」
「そうかな」
「以前、本土からナーヴ・システムに流されたバグ――ハルナさんが偶然居合わせた例の事件ですが、流石の祗庵も放っておけまいと思ったんでしょう。普段沈黙を続け僕等を放し飼いにしている庵主も、黙っていられない状況になったんじゃないですか」
「――庵主、か」

“庵主”。
それは、祗庵のセントラルビルに存在すると言われる、他でもない「祗庵」の首領。

「普段音沙汰ないばかりか、その姿を見る事すら稀な人だ」

そんな人物の下で不満も疑問も無く街頭人らが働いているのも、規律や規範にお構いなく生きている蜃気楼だからだろう。

「でも、庵主って、一度だけセントラルビルで見た事があるけど」

いつの間にか気を取り戻したハルナが言った。「シーラだっけか。綺麗よね、あんな女性見た事無い」

就任したての数年前、メリッサに率いられて連れて行かれたのは蜃気楼の中心街、その真中に聳えるセントラルタワー。どの街からもおぼろげに見えるほど高く高く、もっともこの島で天に近いその建物の上階。

青白い光が差し込むその部屋で、静かに此方を見据えていたのは、他でもない、我等が祗庵の庵主たる者。

一目見たその時、ハルナは、生まれて初めて心から「綺麗だ」、そう思える女性に出会った。

この世のものとは思えぬ、透明な雰囲気。
ある意味彼女から出るそのカリスマ性は、ローサ・ハーテムに通じる物があるのだろうか。
長い白髪を肩に流し、紫色たるその瞳で、此方を黙って見つめる彼女は、蝋人形では無いだろうか、そう思えるほど浮世離れをしていたのだ。

「シンディアなんか、五番街に戻ってきてからもぼーっとしてたわよね」
「馬鹿、お前……あれは、雰囲気に飲まれただけだ」

苦々しくいうシンディアも、庵主のその美しさ自体否定をせず。
全てを見据えるような彼女の存在は、直接自分たちに命ずる事無くとも、十分影響を及ぼしていると言えるだろう。

「きっとね、」ハルナは言う。「何も分かって無くてミステリアスだから良いのよ。まぁどんな奴が庵主だろうと良いんだけど、不明瞭な部分があると惹かれるじゃない」

「それってソノラと同じ理屈ですか」
「そう言えるかも」
「僕も、ミステリアスになりましょうかねぇ……」
「アンタは十分ミステリアスよ。でも、中身が違うのよね。もっと知りたいと思うって言うより、寧ろ知るのが怖いミステリアスさって言うか」

失礼だが、十分に的を得た表現だ。

「でも、その不明瞭さ。表裏一体で、大変な事になりかねませんよ」
「何其れ」
「例えばね。ハルナさん、ソノラ・クロノイドにあってから何年も経ってるでしょう。人は年月が経つと記憶の美化が進みますし、それ以前に隊長殿は謎で構成されてるようなお人ですから……実際次にご対面されたとき、ハルナさんがショックを受けるんじゃないかって」

ムムっと言葉を詰らせるハルナに、更に追い討ちをかけるアンル。

「どうします?理想のソノラ・クロノイドが一瞬にして崩れるんですよ。いや、そもそも貴方が会ったのは隊長じゃないかもしれない。朦朧としていた貴方の妄想かもしれないし、ひょっとしたら――」
「あーもうストップ!!」

ハルナは大げさに耳をふさいで、アンルにしかめっ面をした。「それ以上はノーサンキュー!あんた、本当、他人を動揺させるのは天才ね!」

「あの、フェンスに飛び乗って一体何処へ」
「見張り!ちょっくら出かけてきます!」

口喧嘩では、シンディアに勝ててもアンルには到底敵わない。
それを最近ようやく知ってか、ハルナはもう満腹ですと言わんばかりの表情で、颯爽とそのビルから飛び降りた。もとい、壁伝いに蹴り飛んで路地へ下りた。

そのままどこかへ風の如く走っていくハルナを見ながら、「――素晴らしい着地!流石は我等が第三班のリーダーだ」ハルナ離脱の根源であるアンルは嬉しそうに笑っていた。

「お前な……アイツをからかうのも程ほどにしとけよ。俺にとばっちりが来るんだ」
「いやぁ、ハルナさんの色んな表情見るのが楽しくて、つい悪戯したくなってしまうんですね。何ていうんでしょう、きっと、あの子の天然要素だ」

変態じみた台詞を吐きながら、やはりアンルは楽しそうだ。

「暫くしたら、怒りも冷める。そうしたらまた無線で集合しましょう、僕も散歩行ってきますから」

好きにしろというシンディアの表情に甘え、アンルもまたひらりと消える。

(まったく、あの気まぐれペアが)

第三班で一番まともなのは絶対自分だ、最近そう信じて止まないシンディアは、今日とてまたその確信を強めるのだった。









そんな第三班を単眼鏡で眺めながら、満足げに笑う少女が一人。


「オッケー。マウスが散らばったわ」
『はいよ、ごくろーさん』

無線で伝える先は、先回りして待機するお仲間のノギシ。
遠くの廃屋から三班を観察していたリネン・マーシェは、欠伸をしながら背伸びした。「で、私はシンディア・レナードを追えば良いんだっけ」

『そーそー、ハルナ・アカツキは俺がこっちで観察するから』
「でもノギシ、一つ問題があってぇ」

リネンは首を傾げながら呟いた。「シンディア・レナードって、黒髪?銀髪?どっちの男?」

『何、男が二人いんの』
「うーん、性格には男一匹、女か男かわかんない奴が一匹ってカンジ」
『そりゃ困った』

ノギシは頭をかいて笑いながら、『いーよ、リネンが好きなほう追ってみて。で、シンディア・レナードか聞いてみて。違かったら即効逃げてもう一人を追いかける。良いね?』

「はーい了解!」

リネンは元気良く答えて無線を切った。


(待ってなさいよ、シンディア・レナード)

“デイシス”の、貴重なマウス。絶対逃がしてやらないんだから。









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