ああ、まったく頭に来る……!

ハルナは、人気の無い裏路地を、むしゃくしゃしながらずんずん歩く。
歩きすぎて、歩いた後にしっかりと抉れが残っていくのにも気付かない。
ついでに、誰も見ていないのを良い事に過ぎ去る雑居ビルの壁をゴンゴンと殴りながら、思い出してはまた憤慨。 アンルの言葉一つ一つをそれで打ち消していくかのように大きく深呼吸しながら手の甲に無駄な擦り傷を作って行く行為は、完全に女を捨ててる。


ああ、でも、分かっている。
どうしていつもいつもアンルの言葉に振り回されてしまうのか。

それは、あの男の言葉が、いつも的を得ているから。
自分自身、有耶無耶にしようとしている事ばかり、実際彼に指摘されてしまうから。

掻き回すだけ掻き回して、一人笑って楽しんで、最期には甘い手を差し伸べる。
(アイツは絶対真性サドだ、)思ってハルナはげんなりした。

「あの男は、やはりどこか食うに食えない」、
そう常々シンディアが呟くその言葉に、疑う余地はもう無いだろう。
崩れる事無い温和な笑顔。お前は目が笑って無いんだとシンディアに諭されても尚、いやですねぇ傷つきますよと受け流すその態度。

新人ならば多少吐気を催しても良さそうなほど濃い鉄の匂いに、生臭い香り、肉の感触――
それらを平生の習慣の如く扱う彼は、恐らく、どこかで楽しんでいる。
自らに向かう敵意を死と化する、その行為自体を。



考え、ハルナはふと立ち止まる。

(あいつの猟奇的な所こそ、トリスそっくりなんじゃない?)

発狂したように目を輝かせて昂然と向かってくるあの葬儀屋さん。
躁状態の様に機嫌良く、ざくざく敵を切り刻んでいく街頭人さん。

――アレ。とすると、何だ。私がトリスに似て、トリスがアンルに似て……

「もしかして三人とも仲間ってことか!?同族!?イヤー、絶対やってらんない!」

ヤバイ、それこそ一生の恥だ!、思わず頭をかかえるハルナ。
壁殴りの次は錯乱に陥る、そんな彼女に、



「君、面白すぎ」

(――!?)

振り向きざまに避けたそれは地を抉った。
改めて確認する視界の端で、それが鉄パイプだったことにやっと気付く。

ちょっと待て一体ドコの暴走族だよ、
跳ね逃げながら振り返れば、いつの間にか、ざっと見て六、七人の男達。
明らかにガンダ・ローサなんかじゃない、十中八九、この街に住むならず者達。

しかし、さっき聞えた声は、明らかに頭上からで、

「初めまして、ハルナ・アカツキ」

再び降った声に上を見れば、やや向うの屋上から此方を見下ろす一つの影。逆光でその顔は良く見えずとも、おぼろげながら姿かたちは確認できる。

……あれ、ちょっと待て。
何であいつがここに居る。
今頃五番街支部で、医務室の天使レイチェル・フィーネといそいそ仕事に励んでいる筈の、あの、無精髭生やした無免許医。何であの男があんな所に突っ立ってんのよ、


「フロルド?……フロルド・コトブキ?」
「それは弟の名前。俺は、ノギシ」

彼は眼鏡をあげながら、気楽な笑いを空に上げる。「そういえばアイツ、この街でお医者さんしてるって言ってたっけ」

……あの薮医者の兄貴?

だがしかし、ハルナがそのことについて深く考える暇も無く。
わらわら囲む男達は、次から次へとハルナを甚振りにかかってくる。

「わ、つーか何!何なのよアンタ達!」
「んー君に様があるのは俺なんだけどさ、俺一人じゃ何とも仕事し辛いから、君に興味がある殿方達に協力してもらってます」
「だから誰!」
「見覚えあるっしょ?君が、この間の夜ぼっこぼこに倒したカレシ達ですよ。ん、まぁ、ちょっくら人数増えてるけど」

……あー、なるほど。
ハルナは引き攣り笑いを浮かべて舌打ち。

「そうかそうか、ちょっかい出したのに相手にされず蹴り倒されて、それに腹立てて今度はお仲間引き連れて輪姦ってワケ?」
「少なくとも彼らはね。僕は別の所に目的がある訳だけど――即ち君の観察だよ、ハルナ・アカツキ」

その台詞を封切りに男達の動きが強まった。
殺しにかかると言うより、まさに集団で甚振ろうとしているかのよう。
そんな攻撃を複数人に仕掛けられては、流石のハルナも余裕は無い。

思わず無線に手を伸ばそうとした瞬間、


「――!」

腰元の無線機を、銃弾が突き抜けた。
ノギシは笑いながらくるくると銃を弄んで、

「駄目でしょー。俺は君だけ観察したいんだから、仲間呼んじゃあ困るわけ。シンディア君も今頃観察されてるでしょーし。それじゃ皆さん、続きお願い」

なんてこった。
嘲笑うノギシの下で、ハルナは奥歯を噛締めた。
不可解な相手、殺意の無い敵。糞、こんなの初めてだ。手加減する訳にもどうにもいかない。

今の彼女に逃亡という手段は残されていない。
見下ろすノギシの手の上で踊るように、裏路地を飛び回り、攻撃を避け、繰り出して――


(絶対、やられてやるものか、)


その意地だけが、彼女を動かす原動力。















「レナード君♪」

聞きなれぬ声に立ち止まる。

シンディアは、端整な顔を顰めながら後ろを振り向いた。

人気なく薄汚い路地に似合わぬ、華やかな服装、小柄な少女。
一瞬その体型ブロンドをハルナのそれと見紛ってしまったのは彼の不覚だ。

「誰だ」
「わぉ、ビンゴ!あなたが、シンディア・レナードね!」

少女は、元気良く笑いながら唇に指を添える。「ラッキー!ラッキー!ラッキー!シンディア・レナードって美男子じゃない!これって役得ってやつ?」

……自分を差し置いて勝手にはしゃぐ少女に、シンディアは、

「誰だと聞いているんだ」

無表情で銃を向けた。

あ、ちょっと。ひっどーい、私まだ何もしてないのに!
彼女は髪先を指に巻きながら、拗ねたように顔を顰めた。

「リネン・マーシェ。貴方に用事があって遥々来ました」
「なんの用だ」
「“観・察”」

言うが早いか、少女が素早く手を振りかざす。
「――!」
シンディアが避ける間もなく、腰元を走る閃光。鋭利な刃物で貫かれたよう、彼のそのコートごと腰元の無線機が綺麗に割れた。「ダメよ、仲間なんか呼んじゃ。ま、どうせ 呼んだってハルナ・アカツキは来れないけれど」

「……何?」
「仲間のハルナちゃんも、今頃大変ってコト」

無邪気な笑い声を上げて、少女は跳んだ。「さ、暫く動き回って貰うわよ。大事な大事なマウスさん!」

ワケも分からず、しかし考える暇も無くシンディアも走る。

少女の動きは思うより俊敏で、時折その手からは鋭利な金属物が放たれる――しかし、それは彼の絶命を狙ってはおらず、

(ガンダ・ローサじゃない――?)

殺しにかかる訳でもなく、かといって見逃してくれる気は無いらしい。
初めて遭遇するタイプの敵に、シンディアは眉を顰めた。
まるで、シンディアに攻撃し続ける事、それ自体を目的としている様な――

咄嗟に脇の壁からパイプをもぎ取ると、少女目掛けて思い切り投げる。

「――わ!すっごい腕力!」彼女は避けながら驚嘆の声をあげた。「さっすが、ランドルフィンの効き目抜群ね!」

言葉に、シンディアは顔を顰める。何故、コイツがそれを知っている……?)


だが、考え込む時間はあらず。
彼は、今の状況で、少女の攻撃を避ける事で手一杯だった。




同時刻に離れた場所で、弄ばれるように飛び回るハルナとシンディア。
必死の攻防の中、彼らの中にある共通の思考は唯一つ。


((――こんな時に限って、アンルはどこに行ったんだ!))





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「――っくしゅ」

うわ、くしゃみなんて不吉だなぁ、誰かが僕の噂をしてるのかなぁ、
なんて気ままに鼻を啜りながら、アンルは一人肩を竦めた。

風が少し冷たい。
こんな晴天なのに、ともすれば、午後は雨でも降るのだろうか。今日は、鉛色の空などいらないのに。
でも、身体を濡らす雨も偶には悪くないかなとアンルは一人空を見上げた。


晴天下の雨。

お天気雨が、降れば良いなと微笑む彼は、第三班唯一暇な新人君。








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