< されど主公は諦観に嗤う 1 >
「傲岸だ」 八筋の青白い光が闇を切り込む空間。 真っ暗な舞台の如き暗中で、役者を照らし出す照明の様に、光は彼等を天から浮かばせる。 その中で、声は直接頭に響く。鼓膜を介入させないかの様、神経へ、直接繋がるように。 言葉を交わすのは、八人の者々。 誰も彼もが見に纏う黒き衣装は死神のようでありながら、神と地を繋ぐ神官の様でもあった。 一人が呟けば、それは七人の神経回路を直接巡る。 「全く、あの者達の為す事は我等の侮辱に過ぎん」 「同じく」 「同じく」 「同じく」 声は賛同を呼び更なる決意を促した。 「我等はただ黙ってこの島に居続けるしか無いのだよ」 「それこそ安息の地」 「唯一の、楽園」 「それを壊そうとする者が、この都市に紛れていく」 「貪り食い尽くす害虫めが」 「愚かだ」 「愚かだ」 「醜い」 「ああ、奴等は傲慢で愚かで醜い。我等と相容れん」 「もうすぐだ」 「もうすぐ」 「直に、奴等に裁きが下る」 「それこそが、我等を見守り続けるあの方からの哀れみなのだよ」 「見よ、あのお姿を」 「嗚呼、美しきかな、我等の守護」 「――エレイソン、それこそが!」 「時を待てば、あの御身が、」 急に訪れる沈黙。 皆が天を仰いだ。 底の見えぬ暗き穴を真逆様にしたように、何も見えぬ天上。 地上なのか、屋外なのかも判断がつかない。 その仰ぐ先にあるのは、其処に居るはずの御姿。 見下ろす、唯一の神。 「ラクリモーサ。我等に、安息を」 皆が息を止めた。 そうして、一つ一つ、闇から光の筋は消え――其処は唯の“空間”になっていく。 その中でたった一筋の光だけが灯火を消す事無く其処を照らし続けた。 肌に張り付き、また突き刺すよう己を差す光を見つめながら、彼は一人其処に居る。 「もうすぐだ」 彼は一人言葉を紡いだ。「あと少し、時が経てば裁きが下る」 エレイソン、哀れみたまえ。 貴方が裁きを下す日が、もう直、そこに、 「シーラ。貴方は、其処で見ていて下さい」 彼は皆が先程まで崇め拝んだ天上を仰いだ。 ――作り物の蝋の様に、生気を感じさせない表情。 嗚呼、彼は幾年も、こうして一人あの人を天に臨み続ける。 全てが終わるその日を、ただ暗闇で待ち望みながら―― ********************************************************************************* 「……っあー、頭痛…!」 ハルナは頭を抱えてテーブルに突っ伏した。 偏頭痛ですかと暢気に聞いてくる連れの言葉に睨み返しながら、口を開く。 「そんな」 「そんなお軽い話じゃないのよ、なんて言うんでしょう」 アンルはソファーに座って週刊雑誌をふむふむと読みながら、さらりとハルナの先取りをする。「ハルナさんの考える事なんてお見通しですよ」 「気味悪いわね……女に嫌われるわよ」 「ご心配なく。ハルナさんに嫌われなければ他はどうでも」 それが嫌われるっつってんのよ。 ハルナがこめかみを押さえながらジト眼で睨むが、アンルは平生通りおっとり笑うだけだった。 彼女は支部の談話室で紅茶を飲みながら、今だ頭痛に悩まされる。 ぬぉーとかぐぉーとか変な声をあげながら眉間に皺を寄せる彼女に、遠くでテレビを見ていたシンディアは振り向かないまま声をかける「医務室に行って薬でも貰って来い」 「それ、頭痛の原因知って言ってる?」 「勿論」 「うわ、最高の嫌味ね」 ハルナは力なくテーブルに項垂れたまま文句を垂れた。 「で、何だってそんな元気無いんですか。今日は非番だから良いでしょうけど」 やっと雑誌を読み終えたアンルが、ソファーの上に気だるく其れを投げながらハルナに問う。 唸りながら、ハルナは呟く「 アンルは興味ありげに眼を丸めて微笑んだ。 「ナーヴ・システム?この街を――蜃気楼全体を巡っていると言われる情報網へのダイヴィングですか」 「イエス」 「なる程。ハルナさん、昨晩から姿が見えないと思ったらずっと支部の地下で 「そういう訳ですよ」 「なら、頭痛も御尤も」 アンルは肩を竦めた。 「しかし、この街のナーヴも……街を貼り巡る電子回路も、そうとう古い物でしょうに」 「使えるうちは使うのよ」 「で、夜通し繋がって一体何を」 「……暇つぶし」 だからお前は馬鹿なんだとシンディアの野次が聞えるが、ハルナは反撃するだけの気力も無かった。 巨大スラム都市蜃気楼の全体を巡る電子の網。 かつて馬鹿みたいに、シャクドウがありったけの金を注ぎ込んだ工業都市の、残骸であった。 ――現実世界から意識をログアウトさせて、脳波を直接他人と通わせる仮想世界。 慣れない者は眩暈を、嘔吐を、慣れ過ぎる者はそれこそ中毒のようにその世界から抜け出せなくなる――そんな代物であると。 電波が悪く、ヨコシマの邪魔な線が絶えなく映るブラウン管の向うで、本土の学者様が言っていた。 ハルナはそれこそ幾度と無く意識を他人と繋いできたが、それでもまだ長時間のダイヴィングには慣れていない。あまり長く繋がりすぎると、こめかみがキリキリと痛んで止まなくなってくる。 気休めの紅茶も温くなり、仲間の言葉は素っ気無い。 いや、まぁ、夜更かしした自分が悪いんだけどさとハルナは欠伸をする。 丁度其処へ、 「ハルナ。お前さんに手紙」 仲間の一人が、ひらひらと封筒を持ってきた。 「手紙?私に?」 「おうよ。お前もなかなか隅に置けねぇなぁ」 「……何が?」 聞きなれないそんな冷やかしの言葉に、ハルナは呆気に取られたようにぽかんとしながら、その封筒を受け取った。 ただの茶封筒、住所はここの支部宛で、ハルナ・アカツキの名がしっかりと記されている。見慣れない字に首を傾げながら、封筒を裏返したハルナは「――何よコレ?」眉を顰めて首を傾げた。 「どうしたんです」 「意味分からない言葉が書いてある」不可思議な表情で、ハルナは「読める?」とアンルに封筒を手渡す。 彼は一旦眼を通すと、瞬時真顔になったものの直にいつもの笑みを浮かべた。 「これ、教養が無いと読めませんよね」 「何其れ暗に私が馬鹿って事かコラ」 「いえそうでは無くて」 飛んできそうな拳を制しながらアンルは続けた。「見慣れない文字でしょう。これ、古語ですよ」 「へぇ。で、なんて読むの」 「アモル・ヴィンクィット・オムニ……」 「あー意味は?」 「“愛は全てに打ち勝つ――我もまたそれに従うのみ”。素晴らしい、典型的な愛の言葉ですね」 ハルナはあんぐりと口を開けた。(一体誰がそんな馬鹿げた文章を!) アンルの手から封筒を引っ手繰って、その差出人を確認しようとするが残念ながら失礼にもその名は記されていなかった。換わりに、押されている印を確認する。薄いグリーンの、消えそうになりながらも辛うじて読み取れる程の押印、そこに記されていたのは、 (――八番街!) 「ノォ!!」 ハルナは溜息をつきながら、ボスンとソファーに倒れこんだ。 「どうしました」 「恐怖、恐怖を感じるわ」 ハルナは眩暈を覚えながらも封を切った。 八番街。八番街って。 いや、あんな辺境の地から個人的に手紙を送ってくる奴なんて考えるまでも無く一人しか居ないだろうと彼女の中の本能が騒ぎ立てるが、如何せん心は事実についていけていない。 いやいやビリッと汚く切った封筒の口を開け、さかさまにした。 汚く破られた封筒の端から、ぽろりと何かが彼女の掌へ転げ出る。 封筒の中に入っていたのは、手紙ではない。 出てきたのは、 「何ですかそれ」 アンルが身を乗り出してハルナの掌を覗き込む。眼を細めた後、彼は訝しげに、「……薬莢?」 薬莢である。 手紙でも写真でも何でもなく、封されたその中に入っていたのは小さな薬莢。 アンルは意味分からずにハルナの顔を見るが、彼女は沈黙したままそれを指でつまみマジマジと見つめた。 「……私の」 「何です?」 「私の、銃の――」 言って、彼女はちょっとだけ眼を見開き、すぐにふっと眼を細める。 その彼女の指の中で踊る金属片を眺めながら、 「ぐぁ、あの変態野郎!」 何て言葉吐くんだとシンディアが遠くで厭きれる。 致し方なし、彼女の気持ちを考えればそんな台詞が自ずと生じても責める事は出来ないだろう。 ほんの小さく、細かく、傷かと見紛うような薄く細い線でそれは薬莢に刻まれていた。 ――To dear honey―― 恋しい人、貴方の元へ。 「honeyって呪いの言葉だっけ」 「世間一般では恋人を表す単語ですが」 「恋人ってアレでしょ気に食わないとか殺したいとか」 「それは宿敵」 「蜃気楼では違うのよきっとコレって新種の単語か何かで」 「ハルナさん、諦めなさい」 アンルの言葉にハルナは頭を抱えた。 愛しい人って何だお前アレか脳味噌腐ったか。 一体その文字をあのインディゴ野郎が自分で彫ったのかはたまた他人に頼んだかどうかはいざ知らず、その彼の意図にほとほと頭痛を酷く悪化させて いく。 そして同時に感じる微妙な感情。 よみがえってくる、唇の感触。 「私の意志じゃないのよ……!」 あの日以来幾度と無く繰り返された台詞が再び口をついて出る。 アンルは悶えるハルナを眺めながら肩を竦めた。「仕方ありませんよ。好意は好意です」 「この身に迫る危機を回避する方法は!」 「ありませんねぇ」 「大体好意って何よ何なのよ私は全くそんな」 「ですが、ハルナさんだってソノラ・クロノイドに好意を抱いているではありませんか」 アンルの言葉に、ハルナはバッと身を起こした。 「私とアイツは違う!」 「表現の仕方は十人十色。確かに違いますが感情の根源は一緒ですよ」 「私は何、もっとこうプラトニックな」 「彼もプラトニックじゃありませんか」 「十分手ぇ出されてるっつの!」 頭を抱える少女は、初めて遭遇する事態に対策案を持っていない。 「ソノラ・クロノイドは憧れの人なのよ。憧れ。OK?」 「ではトリス・アーノルドも貴方に憧れを」 「憧れっていうか何ていうかそれ以前にアイツは人間じゃないって言うか」 「人間じゃない彼と接吻したのはハルナさんでしょ」 勢い良く投げられた紙コップ。 さらっと交わすアンルは、やはり詰まらなそうな表情であった。 ************************************************** 「ローサ様、本気ですか!」 青年は声を荒げた。 整えた黒髪が白の制服に映えるその若者は、目の前の、穏やかに微笑む少女から眼が離せずに居た。 彼女の部屋で声を荒げてしまったことを多少恥じながらも、それでも戸惑いを隠せない彼に、天上の女神の如く微笑を浮かべる少女は、「本気ですよ 、リーベル」 「お止め下さい、あの不浄の島に貴方自らが……」 「直接足を赴くわけではありませんわ」 「ですが!」 「静かにしろ。リーベル」 後方からの声に、青年は声を詰らせた。 音も無くローサ・ハーテムの完璧なまで白い一室に足を入れたのは、初老の側近のリード。 「父上」 「ローサ様の御前でみっともない声を出すな」 「……ですが!」 「ローサ様は、危険を承知で行くと申されているのだよ。その方の意思は鋼鉄より固い――分かっているだろう」 リーベルは黙った。 不安そうに少女を見つめながら、謝罪の言葉を口にする。 「良いのですよリーベル。有難う、いつも私の事を心配して下さって」 ローサ・ハーテムは瑠璃色の髪をふわりと耳にかけながら、笑みを絶やさず、 「大丈夫。私、やってみますわ――あの巨大な街を巡る |