< 謡え、狂い世の理を 2 >
「めっきり平和ねぇ」 それは、この上無い皮肉。 しかしそれを皮肉と受け止めるには、気候はあまりにも穏やか過ぎた。 ハルナの言葉を、あぁ、とか、えぇ、とかでやり過ごすお仲間二人も随分アレだ。病んでいる。 この街の何処をどう突いても掘っても「平和」の文字は見つからない。 しかし、確かにこうも天気が良く、暑過ぎず寒過ぎずの適温で、尚且つ三人そろって昼食後とあれば溶ける様な気分に浸るのも致し方ないことだった。 非番などという時間の浪費は瞬く間に過ぎ、三人は今日もまた街路地を見回り中。 今日は昼前から夕方の六時まで、という比較的体内時計に反しないサイクルでの見張り番。 ガンダ・ローサ云々に限らず、この繁華街で一番犯罪率があがるのはその六時過ぎから深夜にかけてなので、暇といえば暇な時間を彼等は弄んでいる。 それにしたって、ガンダ・ローサのガの字も見えないというのは多少気抜けするものであった。 彼らとて馬鹿ではなく、一時集中して奇襲をかけて無駄と分かれば面白いように黙り込む。 かと思えば、分散してまちまちに襲ってきたり。一貫性が無いからこそやり辛いのだ、あの団体は。 ハルナは手持ち無沙汰に腰元の無線機を取ると、ガーガーならしながら支部に電波を飛ばした。 「あー、こちらハルナ。ハルナ・アカツキ」極めてダルそうに声を出す。「メリッサ、そこにいる?どうぞ」 『こちら五番街支部メリッサ。どうした、何かあったか』 「暇すぎて死にそうです。あと数分だから帰って良い?」 『帰ってきたら扱いてやる。ちゃんと手を抜かずに最後まで見回りをしろ』 いつもの事だと分かっていながら、メリッサはそう言うとさっさと電源を切ってしまう。 「あーもう!うん、いや、仕事だけどさ。これでオマンマ食ってるって分かってるけど」 「まぁクビになったら僕が食わせて」 「そう言えばシンディア、あんた今週ランドルフィン貰った?」 「俺は取ってきた。そう言えば、ハルナが来ないってフロルドがぼやいてたな」 「無視……」 「あー、あと少しで無くなるのよね。ちゃんと忘れないで取りに行かなきゃ」 ハルナは顔を顰めて首をコキコキと鳴らした。 「お二人とも使って長いんですか?」 「私もシンディアも、15の時からだから……三年くらい?」 「レベルは」 「二人ともΒ。あまり強いと、癖が残っちゃうらしいしね」 確かに、健康な体を態々中毒者に変えるのは気が引ける。 だからこそ、いつでも手が引けて尚且つ後遺症の残りにくいレベルΒを、五番街支部医務室の専属医師であるフロルド(勿論モグリだ)から処方してもらっているのだ。 「アンルは?」ハルナが問う。「あんた良い足してるんだから、ランドルフィンの一つや二つ打ってるでしょ」 「残念。僕は一切使用しておりません」 「嘘!」 「嘘だろ」 「大真面目です。ただし、今は、ですが」 アンルの言葉に、ハルナは、 「じゃあ昔は?」 「出来心で、強いのを少し。まぁアレは死ぬかと思いましたけどね」 「……レベルは」 「そうですねぇ。アレは確か、Εでしたかね」 「「イプシロン!?」」 ハルナとシンディアは思わず声をハモらせる。 アホか!馬鹿というよりアホだこいつは! Βのワンランク上、γですら使用者は異常を来すというのに、更にツーランク上を使用するなんて! しかも単なる出来心で! 「こ、後遺症は?」 「入院しました。で、暫くして全快しました」 にっこりと毒気無い笑顔で微笑むアンル。 (……俺、アンルをナメてた) (右に同じく) 普段大人しいオジさんの背中に般若の刺青が!の勢いで背筋に寒気が走った二人は、そのままアンルの方を振り向こうともせずひそひそ小声で囁きあう。 「あのお二人さん」 「はい!」 何故に敬語。 「宜しければ、支部に戻る前夕食を取って行きたいんですが。どうでしょう?」 「さ、賛成!ね、シンディア良いわよね」 「あ…、ああ…」 ハルナは引き攣り笑みを浮かべてアンルに賛同する。 そうと決まれば。あと数分見回りが残っているが、オープンカフェでも入れば見張りにもなるだろうという(適当な)理由をこじつけながら、ハルナは適当な店を見渡し、指差した「あそこで良いでしょ」。 確かに、そこは歩道に大きく迫出し、繁華街の中央に位置する場所。 あそこに座って三人仲良く食事を取っても、通りに異常があれば直にでも分かるだろう。 丁度空腹だったこともあり、ハルナは軽快な足取りでその店に向かって歩き出す。 ――と、 「あ、痛!」 「――…、」 シンディアやアンルの方を振り返りながら歩いていたハルナは、どん、と誰かにぶつかった。 バサリ、と雑誌か何かが落ちる音と、たたらを踏む音。 「――っと。ごめんなさい!余所見して」 「……あー…」 ハルナが慌てて顔をあげると其処には、うざったそうに伸びた前髪で不機嫌なんだか何なんだから分からぬ表情の男と、黙って彼女を睨む男の二人組みが突っ立っていた。インディゴの髪をかきながら、ぶつかった男は道路に落ちた雑誌を見下ろす。 「ああ、本当申し訳ない……」 ハルナが身を屈めて雑誌を拾い上げる。 が、体を起こすハルナは、瞬時動きを止めた。 (――これ、) 「……ちょっと」 「え?あ、ごめんなさい」 ハルナの手から乱暴に引っ手繰る様、男は雑誌を受け取ると、連れの白髪と共にハルナ達の横を過ぎていった。ハルナは雑誌を返した手を下ろさないまま、考え耽る様に二人組みの背中を見つめる。 「お前なぁ、不用心だぞ」 「あいつ等」 シンディアの言葉が耳に届いてないよう、ハルナは呟いた。 「今の奴等が落とした雑誌」 「……それが何か?」 「地方雑誌よ。見覚えがあるわ」 「どこの」 「――八番街」 その言葉に、シンディアとアンルは歩みを止める。 思わず振り返るが先程の二人の姿はもう無かった。 人ごみに紛れて、一体何処へ消えたのか――ハルナは顔を顰める。 「この街で手に入らないことも無いけど、滅多に庶民は持ち歩かないし第一欲しいとも思わない」 「八番街の住人か?」 「可能性はある。ただの観光……だと良いんだけど」 「でなければ?」 アンルの問いに、ハルナは、 「――祭り事ね」 ハルナは腰元の無線機を取った。 「ガーゼが二箱に、消毒剤のボトルが三つ……」 同じく夕刻の繁華街。 紙袋を腕に抱えながら、レイチェルは中身を覗きつつその確認を行った。 歩くたびに背でふわふわ揺れるシルバーピンクの髪が可愛らしい。 医師のフロルドに頼まれた薬品その他を近くの店まで買いに出た彼女は、可愛らしい水色のワンピースで――傍から見れば、とても血生臭い医務に立ち会っている姿なんて想像できない雰囲気を身に纏っている。 “夜で歩くのは七時まで”。 親でもないのに、親以上に過保護な誰かさんの言葉を思い出した。 夕暮れ時、赤く染まる空を見ながらレイチェルは溜息をつく。 私、子供じゃないのよ? そう言い返すと彼は決まって、貴方は世間に顔が知られているからと付け足してくる。 レイチェル・フィーネはかの大孤児院創設長一人娘という肩書きだけでなく、稀有・類稀な能力――世間で言う、治癒能力なるものを持っている。彼女自身が意識して開発した能力でも何でもない。物心がついた時には、そういう力があると自覚しただけなのだ。 蜃気楼全域とまではいかないが、少なくとも五番街の住人で彼女の名を知らないものは居ないだろう。 度々雑誌に取り上げられる事もあるし(あまりにもアレなメディアはシンディアが手を廻して断りを入れてくれるが)、彼女自身自覚は無くともその愛らしい容姿は見る者を惹き付けるに十分な魅力を持っている。 加えて優しい声、人当たりのよさ、性格云々ひっくるめて他人から愛される人柄をしているのだが―― 声に出さずともシンディアにとってそれは悩みの種でもあった。 「まだ六時前だから、良いわね」 腕時計を確認して、レイチェルは足取り軽く支部へと歩く。 今頃シンディアとハルナは見回りだろうか? レイチェルはふと心配に思う。彼女は二人のように体力も無ければ、侵入者や暴漢へ立ち向かう度胸も無いし器量も無い。彼女は今まで常に彼らを“待つ”立場であり、血を流せば止めてやり怪我をすれば消毒してやりの作業を幾度も無く繰り返してきた。そのポジションは、思いのほか辛いもの。彼らを守るのではなく、無事に帰ってきた彼らを迎えることしか出来ない、この現状―― 以前それをうっかりハルナに話したら、彼女は無邪気に笑って、待っていてくれる人が欲しいのだ、と呟いた。 私達には家族が居ないから。 だから、待ってくれる人が居ればそれに越したことはないのだと。 「家族――……」 レイチェルには家族が居る。 いや、正確には“居た”。 物心ついた時に母親は病で居なく、幼少を可愛がってもらった父親も数年前に他界した。 現在孤児院を経営しているのは当時の幹部であり、彼女はその事務に携わっていない。 身内も無く。 頼るものは自分に与えられた稀有な能力で、それもいつ消えてしまうか分からない。 レイチェル・フィーネもまた、この街に“残された”子供の一人だった。 確固たる明日の寄代も無く――ただ、常に傍に居てくれる友人達の存在こそが彼女に残された光。 レイチェルは紙袋をぎゅっと抱きなおすと、苦笑した。 「……シンディアも家族、ね」 そう自分に言い聞かせる。 彼もまた、家族。それ以上でもそれ以下でもなく―― 「――あれ」 不意に前方からかけられた声に、レイチェルは我に返った。 見れば、彼女の顔をまじまじと見る男性が二人。 「お前、レイチェル・フィーネ?」 やや背が高く白髪の男が尋ねた。 「え?ええ、はい。そうですけれど」 隣の男は、手にした雑誌とレイチェルを見比べ、突然「ビンゴ!」と叫ぶ。 「何だ、案外簡単だな」 「支部に突撃しなくて済んだじゃん」 「……テメェ本当にやる気だったのかよ」 「当たり前。まぁそっちの方が楽しかったけど」 愉快に肩で笑う男はインディゴの髪を揺らし、手にしていた雑誌をぐしゃっと丸めた。 「“ヴァニッシュ”も捨てたもんじゃないね」 その雑誌名を聞いた時。レイチェルの顔が少しだけ緊張した。 ヴァニッシュ。 どこかで耳にしたことのある、地方雑誌――確か、それは、 「……八番街……の?」 レイチェルは首をかしげながら、二人の顔を覗き込んだ。 「私、用事が」 「用事は後回し。俺達と来てもらうよ」 「え?」 「――ガラ空き」 ズン、という鈍い衝撃。 レイチェルの鳩尾に、男の容赦ない拳が入った。 一瞬目を見開くが、すぐ痛みと呼吸の苦しさに意識を飛ばす彼女を、男は――トリスは軽々肩に担ぐ。 突然の暴行、歩道に散らばる医療具。 当然道行く人々はその様子に立ち止まり、遠くでは誰かが「街頭人を呼べ!」などと叫んでいるのが聞えてきた。 「馬鹿かテメェは!」 シドは言いながら、トリスの襟首を掴んで小脇の路地に走りこんだ。 「……重い」 「気ィ失った奴は重くなるんだよ」 やる気なく、しかも担いだレイチェルの重さを主張しながらトリスは唸る。 本当に誘拐する気あるのかと問い詰めたいほど遅い足取りに、シドは舌打ちをすると、取りあえずバイクを止めた場所まで走れと促す。 「――隊長に返せよ、ヴァニッシュ」 「え?あー、落とした」 「……」 もう突っ込む気力すら湧いて来ない。 シドは狭暗い路地を走りながら、付き合い損だ、などと今更思った。 口元へ運んだフライドポテトは、その唇の合間に挟まる間もなく寸での処で止められた。 ポテトが刺されたフォークを握り締め、ハルナ・アカツキは突如腰元から鳴り出した警報に顔を顰める。 オープンテラスでのんびりした夕食を楽しんでいた三人は、その音に皆手を止めていた。 無線機からの警報音。赤ランプがついた時のこの音は、即ち「緊急連絡」。 滅多に鳴らないその音が2、3コールなったところでハルナはようやく無線機を手に取った。 「はい、こちら第三班」 『ハルナか!今、何処に居る?』 慌しいメリッサの声。アンルとシンディアもその声に耳を傾ける。 「中央通に面したカフェ。三人一緒よ。何かあった?」 『なら然程遠くないな……今、市民から通報があった。落ち着いて聞け』 「何よいきなり」 『レイチェル・フィーネが誘拐された』 聞くが早いか、シンディアはがたんと席を立つ。 弾みで、テーブルの上のグラスが倒れそうになるのをアンルが支えた。 「いつ!」 『ついさっきだ。それ程遠くまで逃走はされているまい』 「今すぐ追うわ。正確な位置と、情報お願い」 ハルナはテーブルに手持ちの現金をまとめて置くと、目で二人を促し走り出す。 『つい先刻、第二商店街の前でレイチェル・フィーネと思われる女性を二人組みの男が連れ去ったとの報告。女性が手持ちで医薬品を抱えていた事、彼女が医務室に戻っていないことから9割方間違い無いだろう。通行人の目前で突然彼女を連れ去ったらしい』 「度胸が良いわね。犯人の風貌は?」 『その事だが、ハルナ。よく聞け。犯人は、若い男二人組。聞くところによると――彼等が現場に落とて行った雑誌が一冊』 ハルナは息を飲んだ。 『――“ヴァニッシュ”だ』 ヴァニッシュ。 ハルナ・アカツキがこの世で最も忌み嫌う、八番街の名雑誌。 |