< 謡え、狂い世の理を 3 >





(――やられた!)

奥歯を噛締めながらハルナは悔しそうに舌打ちする。「ファック!」
何て事だ!先程自分等が目をつけた奴等が、怪しいどころか誘拐犯そのものだったとは!

不審人物としてメリッサに報告するだけでなく、実際に追跡すれば良かったのだ。
傷つきそうな程握られた拳は震え、怒りはやり場も糞も無い。
普段なら勢いでシンディアと口論でもする所だが、今回ばかりは場合が違った。
即ち、今誰よりやり切れぬ怒りを感じているのは――ハルナでなくシンディア。

彼にとって、ある意味命よりも大切なもの。命すら、捧げても構わないと誓うもの。
それを、ハルナは知っている。



幸い三人が居た場から彼女の誘拐現場まで然程距離は無く、彼等は現場へ辿り着くや否や、目撃者の言うがままに狭い路地へ走り込んで行った。
ハルナは場に落ちていたヴァニッシュを拾い上げると、犯人に突き返すと言わんばかりに強く握り締めて走り続けた。

狭く暗い路地。既に日は落ち、辺りを闇が支配する時間帯。
ただ遠くに煌くネオンのみを頼りに、三人は狭い道をただ走る。

「目的は、」ハルナが走りながら言う「目的は何だと思う?」

「身代金ですか」
「レイチェルは一人娘だが、大した財産は持っていない」

シンディアが呟く。その口調は、心なしか普段の調子と変わっている。

「なら、暴行?」
「それも有り得るけど、だとしたら人前で掻っ攫ったりしないはずよ。もっと人目につかないようにするだろうし」

言いながら、ハルナは手元の雑誌を横目で見る。
暗がりではっきりとは見えないが、表紙には何やら見知らぬアーティストの写真(恐らく八番街で流行しているバンドだろう)に重ね、ヴァニッシュと大きく印刷された青い文字、そしてその下には見出しが細かくついていた。


「シンディアさん」
「……何だ」
「呼吸、乱れてます」

アンルの言葉にシンディアは振り向きもせず、落ち着いていられるかと呟いた。

「――しっかりなさい」

まるで、上司のように。
そう言い諭すアンルに流石に違和感を感じたのか、シンディアは振り返る。
からかうな、と言うつもりだった。
が、――思う他真剣な顔をしてシンディアを見据えるアンルに、彼は何も言わずに押し黙る。

「大事な人なんでしょう」と、アンルは続けた。

「相手の行動に熱を持っては、隙を与えかねない。彼女を無事に取り返すには、貴方が冷静で居てもらわないと」

お前――
シンディアが思わず口を開きかけた、その時、


「ああ、あの馬鹿男達!」

ハルナの叫びが耳に入る。

「何だいきなり……」
「なんとなく分かったわ、あいつ等の動機!」

ハルナはバサリと乱暴に雑誌を手渡す。
全速で走りながら投げつけられた雑誌はシンディアの胸に強く当たり、あやうく彼は取りこぼしそうになった。

「何なんだ一体」
「特集!見てみなさい!……あー、クソ!だから私はこの雑誌が嫌いなのよ!」

見ろ、と言われても。
暗がりの中視界が定かでないシンディアは、腰からペンライトを取り出すと表紙を照らす。
走りながら、真横からアンルも興味ありげに顔を覗かせた。


人気バンドのインタビューに加え、ポルノの特集、連載の武具コラム――

様々な見出しに紛れて、一つだけ目を惹くそれ。
慌ててシンディアはページを開き、風で捲れそうになるなかその記事に目を通した。


特集、「他街の著名人」。

様々な人物の写真、紹介がずらりと並ぶ中にそれはあった。


『――レイチェル・フィーネ。十八歳。
五番街の街頭人支部に勤務する、現役の看護師。
類稀なるその力、「治癒能力」を持ち合わせる、容姿実力共に認められる五番街の天使。
嫌いな食べ物:特にナシ 好きな食べ物:シフォンケーキ

彼女に頼めばどんな怪我も元通り!一家に一人置いておきたいアイドルだ!』



「……」

シンディアは気が遠くなった。
誰だ。誰だこの記事書いたの。
頭痛覚えるシンディアを差し置き、アンルは「へぇ、」と納得すると雑誌を彼から取り上げた。

「これは確かに可愛いですね。で、動機は――まさか」
「“好奇心”。彼女の力を見世物の様に思って、ね」

ハルナの口調は紛れも無い怒りが篭る。

「だからヴァニッシュなんて嫌いなのよ!一年前どこの誰が密告したんだか知らないけど私も特集されましてね!えぇ、それはもう酷い扱いでしたよ『傍若無人、暴走行為、喧嘩上等後先考えず突っ走るイカれた少女!この子の勢いを止めるのは一体誰だ!嫌いな食べ物:種ありスイカ』なんて書かれたもんだから次の週にどこかの農家から腐った種有りスイカがどっさり送られてね!わざわざ八番街から私の事見に来る阿呆が数人!何故か決闘を挑んでくる!」
「……レイチェルさんより人気ですが」

遠い目をするアンルを他所に、ハルナは目を細めて路地の先を見た。

同時に腰の無線機を取り、ボタンを押す。

「メリッサ、聞える?」
『見つけたか』
「残念、まだよ。ただ、犯行は外部の者の可能性が多い――逃走経路を絶つ為に、六番街へ繋がる交通機関に街頭人を置いて頂戴。車で逃げられたら厄介だわ!」

八番街なんかに逃げられたら、此方も無事では居られない。とはいえ六番街なんて半端なトコで捕まえたら逆に面倒だ。
出来る限り、五番街の中で始末をつけるのがベストである。

慎重を要する事態に、ハルナの掌には嫌な汗が滲んた。












「大丈夫かねぇ」

ふぅー、と唇の合間から紫煙を吐き出し、男は無精髭を掻いて言った。
街頭人の五番街支部、その一室で彼は落ち着かなさそうに煙草を吸う。

「無事帰って来れそうか?」
「無事に帰す。少なくともそれを願え」

すっかり闇に包まれ始めた街を窓から見、メリッサは答えた。
ハルナ達から追跡の報告が入り、既に数十分。音沙汰もなく、かと言って街境の警備班から情報がある訳でもない。不安過ぎる状況である。
もしこのまま街の外へ逃げられたら、手段は一つ。
つまりは、ハルナ達に街の外まで追って貰うほか無いという事だ。

メリッサは溜息をついた。
ソファーに寄り掛かりながら薄汚れの白衣を脱ぎ、男もまた溜息を付く。

「焦るな、フロルド」
「……焦っちゃいませんよ副隊長殿」

メリッサの言葉に、彼は苦笑する。

「責任なら感じてるけどね」
「起こってしまった事だ。ハルナ達も追跡を続けているようだし、何とかする」
「優しいねぇアンタは。やっぱ良い女だわ」

メリッサは顔を顰めた。
仕事柄か性格のせいか、彼女は男性から女扱いされる事に抵抗を感じるのだ。

「誘拐ってのは」フロルドが話題を変える。「本当に八番街の連中が?」

「……その可能性が大きいだろうな」
「気に食わないのか」
「気に食う食わない以前に、あまり関わりたくない街だ」

メリッサは整った顔を顰めた。

「八番街へ入った他街の者が行方不明になったりな。暴行被害、数え切れぬ犯罪の数々――蜃気楼の中でも治安は最悪だ」
「街頭人は何をしてんだかねぇ」
「あそこに街頭人はいるも居ないも同然だ。そういう奴等が任を背負っているもんだから、確かに侵入者を始末するとしても手が悪い。数年前、どこをどうやって潜入したのか八番街にガンダ・ローサが紛れ込んだ事があってな。言葉に出来ない様な仕打ちをした上、箱詰めにして関所へ送り返すときたもんだ」

血に慣れすぎた連中なのだ、と言われ、フロルドは溜息をついた。

――レイチェル。頼むから、無事に帰ってきてくれよ。

そう願うフロルドの思いを打ち消すかのように、突然、メリッサの無線に呼び出し音が鳴った。

「メリッサだ」
『あー、こちら街境の警備班。聞えますか』
「聞える。どうした、検査網は張ったか」
『張れたっちゃ張れたんですがね。ちょいと気になる情報が入りまして』
「何だ」
『どうやら誘拐犯の奴等――車や二輪じゃなくて、モノレールに乗り込んだんじゃないかって』
「――……!」

メリッサは目を見開いた。

『いや、女は連れてなかったんですが、それらしき容貌の二人組みを見たって情報がありましたんで。何やら“でっかい荷物”抱えていたらしいんで、ひょっとして……あの、副隊長。聞いてます?』
「――ご苦労だった……そのまま検査網を張ってくれ」

してやられた。
メリッサは心底悔しそうに舌打ちをする。

誘拐した女を連れたまま、公衆の面前に出る訳が無い――
そう「常識」に当てはめてしまったのが間違いだったのだ。

嘗て工業都市だったこの島には、全ての街に通じるモノレールがぐるりと環状に通っている。
二十四時間休む事無く動くそれは、逃走手段として安易かつ迅速。
荷物の検閲なんぞも無い為に、万が一“その荷物が人間だったとしても”疑われることなく乗り込むことは出来るはず。

考えてみれば、誘拐現場からモノレールの駅までそれ程距離は無い。

ハルナ達が追いつく前に、素早く移動すれば乗り込む事だって可能だったのだ。


メリッサはフロルドに背を向けたまま、拳を握り、もう一度無線機のボタンを押した。


「――こちら、メリッサ」
『……此方、第三班、…どうぞ』
「悪い知らせだ」

メリッサは一息おいて、ハルナに告げる。

「犯人は、レイチェル・フィーネを連れたままモノレールで街の外へ出たと思われる。繰り返す。犯人は、モノレールで街の外に逃走」


無線機の向うで、暫しの無言。
息を切らす音、そして我武者羅に走る音。

ほんの数秒――メリッサには数分にも感じられたが、――間を置いた後、ハルナの声がした。

『……、残業手当、…出してくれるんでしょうね…っ』
「――」
『八番街だろうが地獄の果てだろうが何だろうが追いかけるわよ!私達はレイチェルを取り返す、ただそれだけ!』


八番街だろうがどこだろうが乗り込んでやる、と。
彼女らしいと言えば、彼女らしい言葉を聞いて……フロルドが苦笑する声が後ろで聞えた。

「すまない」
『馬鹿!謝る暇があったら今のうちに手当ての用意でもしておいて!』

それを最後に、ハルナは電源を切った。



限りなく平穏だった今日の午後。

一転し、彼女等の任務は必定最悪のものになりそうである。











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