< 謡え、狂い世の理を 4 >



「――すっかり夜ね」

全くの余裕を見せない口調でハルナ・アカツキは呟いた。
それなりに古く年季を感じさせるモノレールの車内。当初混雑していたそこは、既に八番街の手前という事もあり、彼ら五番街街頭人第三班メンバー以外は誰も居なかった。 がらんとした車内で、彼等は出口付近に纏まって立ち、黙って外を見る。
流れ移り行く外の風景。
遠ざかっていった七番街のネオン、郊外の民家の明かり、まばらに照る群集アパートの数々。
一旦は廃墟と化したにも関わらず再び人間の熱を持つビル郡は、確かに気味悪く、しかしながら人間味ある雰囲気があった。

五番街を抜け、六番街、七番街――そして、八番街へ。
この展開を彼等の中の誰が予想したであろう。

この世の底辺と言われる旧工業都市蜃気楼。
その中でも最低最悪の治安と呼ばれる八番街。

余程の命知らずでない限り、出来心でその街へ向かうものは居ないだろう。
それか、いっその事永住するか。

彼らが乗り込むこのモノレールのように交通機関は通っているものの、実際見て分かるように、公共の交通機関で八番街へ行くものなど滅多に居ない。
ハルナは車のテールライトの様に目の前を走り行くネオンの光を静かに見つめながら、アンルに、

「八番街行ったの、何年前?」
「はっきり覚えてませんが結構前ですよ。今は大分様変わりしていると思います」
「――無傷で帰れる保障は無いわよ」
「分かってます。その覚悟で来ているんですから」

アンルの言葉に苦笑しながら、ハルナは、先程からじっと扉口に寄り掛かって視線の合わないシンディアを見た。
(考え込みすぎよ、馬鹿)
しかしその言葉は気休めに過ぎなかった。

事実、彼が己の命と等しく大事に思うレイチェル・フィーネは攫われた。
彼女は恐らくハルナ達より一足先に八番街へ入り込むだろう。誘拐犯と共に。

それが、如何に危険で如何に彼女の生命を脅かすか。
いや、生命を脅かされる方がまだマシかも知れない。
下手をすれば地獄の街で飼い殺し。
見世物の様にその力を曝しながら、最悪その身が朽ちるまで好き勝手に弄ばれるかも知れない。

考えられる全ての事態を思い浮かべれば浮かべるほど、シンディアは苦しむ。

表情に出さぬものの、平生と違うその態度こそ彼の心情を表していた。


「あーもう、しゃきっとしなさいシンディア坊ちゃん!」
「……痛っ」

ハルナはシンディアの服を掴んで引き寄せる。

「そろそろ着くわ。ボケっとしてたら乗り過ごすわよ」
「……うるさい」
「あんたがボケっとしてても彼女は帰ってこないのよ。オーケイ?絶対に、絶対にレイチェルが帰ってくるまで八番街から一歩も出ない、そう思って来てるんでしょ。アンタがそんなに考え込んでいたら困るのよ、私とアンルが血達磨になろうが骨と皮になろうが何だろうがアンタはレイチェルの手ぇ引っ張って五番街に帰る。そうじゃなきゃ、許さない」

シンディアの服を離すと、顔を背けて、

「分かったなら、下車に向けて銃弾でも込めときなさい」

自らのクラブと銃を手入れするハルナ。
シンディアは気抜けした顔で彼女を見た。

ああ、そうだった、この女は。
昔からそうだ、こういう時、ハルナはいつも――

シンディアはハルナに見えないよう僅かに苦笑すると、彼女の頭をぐしゃりとやった。

「痛い!……ったく何すんのよこのアホが!」
「言われなくても分かってるよ」

言って、銃に込められた弾を確認しながら外を見る。

(地獄だろうがどこだろうが、構うものか)

絶対に助け出す。
例え命を落としたとしても……レイチェル、君だけは。


シンディアの手に力が入る。

と同時に、車内に各駅到着を知らせるベルが鳴った。



――八番街だ。


三人は再び黙りこむと、その車窓から外の風景をじっと見やる。
全ての街で統一されている駅の形。五番街のそれと変わらぬ色や外観に、奇妙な安堵感を覚える。

一見すると、駅の向うに見える風景は、五番街やその他の街とさして変わらないように思えた。
ネオン街の光、雑居街から漏れるぼんやりとした灯り。

がたり、がたりと不器用に揺れながら車体は止まり、降車口の扉が乱暴に開いた。

「――行くわよ」

ハルナの言葉に二人は無言のまま、臆する事無く下車した彼女の後に続く。

駅は閑散としていて、彼女等の他には誰も居なかった。
ハルナは自動改札に使用済みの切符を押し込むと、振り向いてアンルに言った。

「あんた、八番街の街頭人支部の場所知ってる?」
「うろ覚えですが、ああいう施設は滅多に移動しませんから――記憶が正しければ繁華街から外れた第二雑居地にまだ現存していると思いますよ」
「街頭人のところへ行くのか?」
「暴れるなら、暴れるなりに許可取っとかないと。後でややこしくなっても面倒でしょ?」

言うと、彼女はアンル背をどんと押して笑った。「さ、その雑居地とやらに案内して!」


僕が先頭ですか?と愚痴るアンルの背をぐいぐい押しながら、先程までの沈黙はどこへやら――ハルナは馬鹿みたいに陽気に笑う。
シンディアはその後姿を見て溜息をついた。
(――強がるな、馬鹿が)

彼女にその自覚があるかどうかは分からないけれど。
























建物は、白く、どちらかと言えば清潔にも思えるような雰囲気があった。 所々皹が入っている壁もあるが、何というか予想していた廃頽振りは無い。


「ここ?」
「ええ、ここです」
「本当の本当に?」
「僕等と同じコート着た人がいっぱいいるでしょ」
「……何か、予想外れだわ」

ハルナは腰に手を当てるとそのビルをぐぐっと仰いだ。
繁華街に隣接する五番街の支部と違い、周囲は確かに雑居地だった。
こんな薄汚れた雑居ビルに紛れて、こんな綺麗な街頭人支部――

もっと、何か、こう。壁なんかは廃れ果てて窓は全壊、街頭人も仕事サボって酒なんか飲んでたり、辺りは浮浪者が集りに集って支部の金品強奪してたりなんかして……

あんな想像を鮮明に浮かべながらここまで足を運んだハルナは、何だか気が抜けそうになった。

「外見はともかく、問題は質だな」

シンディアが言う。

「ここの奴等が俺達の話を素直に聞いて協力すると思うか?」
「協力なんて要らないの。街で暴れる許可を欲しいだけよ」
「それを協力って言うんだと思いますけど……」

アンルの頭をぐりぐりやりながら、ハルナは続けた。「とにかく、レイチェル・フィーネが帰ってくるまで私達は八番街から一歩も出ない。その一点張りを主張すればどうにかなるでしょ」

「そう上手く行きますかね」
「どういう事?」
「シンディアさんの言うとおり、問題は質です。まともな街頭人も多いでしょうが――何しろこの八番街は『葬儀屋』がいますから」

アンルの言葉に、ハルナは目をぱちくりさせた。

「そうぎや?」
「ええ。葬儀屋」
「何それ」

振り向いて首を傾げるハルナに、シンディアは溜息をつく。「お前、何で肝心なところが抜けてるんだ?」

「あんた知ってるの」
「八番街街頭人の私服部隊、通称『葬儀屋』。高い戦闘能力を持ち容赦ない任務の遂行が目立つ残忍な部隊……数年前、侵入したガンダ・ローサを細切れにして丁寧に梱包した上、シャクドウに送り返そうとしたのが発覚。正式に登録されていない街頭人だが、故に何をしたってお咎め無しなんだな」
「その事件なら覚えてるけど――それ、祗庵は黙って目を瞑ってるわけ?」
「別に祗庵に歯向かうわけでも何でもないんだから、放置しているんだろうさ。いざとなったら、強い見方になるしな」

シンディアは辺りを見渡し、「気をつけろよ。私服部隊ゆえに、どこの誰が葬儀屋なんだか分からないんだ」

ハルナは顔を顰めると、自然と腰元の銃に手を添えた。
――やっぱり、最悪じゃないこの街。
ただでさえ治安が悪い蜃気楼で、更に治安が悪いってどういう事よ。

ハルナはそう言わんばかりの表情をするが、気を取り直したようにアンルの肩を掴んだ。

「ま、不安は不安。取りあえず支部に顔出ししに行きましょ!」
「また僕が先頭ですか?」
「あったり前でしょ年上なんだから!可愛い年下を庇護して守る!これぞ年上の責任ってもんよ」
「うわ、酷いなぁハルナさん……まぁそんな酷さも好」
「二人とも早く歩け!」

アンルの言葉に多いかぶせるようにシンディアが急かす。
――折角のアレだったのにと小声で愚痴るアンルを無視して、シンディアは一歩先を歩くと支部の扉へ向かった。


ロビーには、八番街の街頭人であろう、ハルナやシンディア達と同じ灰色に赤い縁取りのコートを着た者が疎らに居た。
自販機からコーヒーを買って飲むもの、ソファーに横たわって仮眠を取る者。

三人が入り口を通ったとき、皆が一斉にその視線を彼らに集中させたが――さして興味も無いのか、やがて各々の会話へ戻って行った。

(うわ、感じ悪!)
(睨むな睨むな。黙って受付へ行くぞ)
(取りあえず何て言えば良い?五番街から来ましたって?)
(――……)
(ああ、僕が交渉してきます。お二人は周囲の様子を見守ってて下さいね)
((え?))

お前が交渉かよ。二人は顔を見合わせてそう思うと、黙って彼を先に歩かせた。
アンルは左手の窓口に行くと、退屈そうに煙草を吹かしながら椅子に座って、電波受信の悪いテレビをバンバン叩く男に話しかける。
何処の支部も受付は暇なんだなぁとハルナは思った。

「ちょっとスミマセン」
「あぁ?何だアンタ……ったく、この馬鹿テレビが。誰だこんなポンコツ拾ってきやがって」
「此方の支部の責任者、いらっしゃいますか」

その言葉に、テレビに集中していた男は一瞬動きを止め、アンルの顔をまじまじと見る。

「何の用だ……っつーかあんた等、街頭人?」
「ええ。遥々五番街から来ました」

言葉に、ロビーにいた者が全員言葉を止めた。

先程まで雑談に賑わっていた男達も、ソファーで仮眠を取っていた男も――勿論、受付の男も。
男は無精髭を掻きながら、椅子に座りなおすと、口端を歪めながら笑った。

「冗談かい?」
「至って大真面目です」

アンルは胸元から証明書を取り出して男に見せる。

「……遥々五番街から、ガキが三人でご来場か。で、用件は」
「ですから責任者を」
「隊長は今居ない。用なら、副隊長の俺が聞くぜ」

なら、とアンルはにっこり微笑んだ。

「つい数時間前、五番街の街中で一人の少女が誘拐されました。彼女の名はレイチェル・フィーネ。ご存知で?」
「レイチェル?……そういや、先月号のヴァニッシュで特集されてたなぁ。えれぇ別嬪のガキだった」

ハルナがずっと腰脇に折り挟んでいたヴァニッシュを見て、シンディアは聞えないよう舌打ちをする。

「その彼女を誘拐したのは他でも無い、八番街の住人さんでしてね。僕達は彼女を取り戻す為にここまで追いかけてきたんです」
「……で?」
「街で犯人を見つけたら、勿論追いかけます。彼女を取り戻すまではね。下手をすれば、大きな騒ぎになる程暴れるかもしれない。それで、是非街を好き勝手暴れまわるご許可を頂きたいと思いまして」
「犯人の目星は」
「若い男二人組み。顔は見れば分かります。“彼女らしき物”を担いで八番街行きのモノレールに乗った事から、この街の住人であることは間違いないでしょう」
「――暴れる許可、ってのは出せない事もねぇが」

男は足を組んで溜息をついた。

「ただし条件がある。あんた等と共に、此方の街頭人も二人か三人連れ添わせていただくぜ。幾ら同業者でも、ご自由にって街に放す訳にもいかねぇ」
「良いでしょう」

アンルは、有難う御座いますと微笑む。
受付の男は面倒くさそうに首を掻くと、当番表を見て非番の奴を同行させるからと一旦奥へ引っ込んでいった。



「……すんなりいったわね」
「でしょう?」
「何というか、俺はお前の冷静さが気になるよ」

呆れた様にも聞える言葉だったが、アンルは褒め言葉と捉えたのか、それはどうもと肩を竦めて笑っている。

「それにしても、八番街の奴等と一緒に行動して大丈夫なのかしら」
「ハルナ。聞えるぞ」

不用意な発言をするな……とシンディアが忠告する。
が、時既に遅し。
先程までソファーに寝そべっていた男が、聞き逃せんとばかりに立ち上がり、ハルナの許まで歩いてきた。街頭人のコートを毛布がわりにしていた男はそれを肩にかけ、寝惚けたままの不機嫌面だ。勿論周りの街頭人がそれを止める訳も無い。

「お嬢さん、発言は時と場所と場合を考えな」

見下ろす男に、負けじとハルナも見上げてやる。

「煩いわね。そんなのいちいち考えてたら何もしゃべれないっつーの」
「……生意気なガキだ」

男がハルナの肩を掴もうとする――が、その腕は、音も無く制するアンルの手に掴まれた。
思っても居なかった、というより寧ろこの男と喧嘩する気満々だったハルナは、突然の事にきょとんとする。

「すみません。僕が言って聞かせますので」
「引っ込んでな」
「口喧嘩は構いませんが、ハルナさんに触るのはお止めなさい」

ぎゅっと強く腕を掴まれた男は、ムキになってその手を振りほどこうとする。
しかし、この女のような細い体のどこにこんな力が隠れているのだろう――アンルの手は外れるどころか、その締め付けを強めるだけだった。流石に焦った男は、今度はアンルの方に向き直ってその体を押しのけようとするが彼は微笑んだままビクともしなかった。

「折れますよ」
「――!」

男が目を見開いた瞬間、


「おぉい。喧嘩なら外でやってくれ」

先程引っ込んだ八番街副隊長が、奥の部屋から戻ってきた。
彼の言葉を境に、アンルは男の腕を解放し、男もまた唖然としながら一歩二歩後退りする。

命拾いをしましたね、と言わんばかりに一瞥をくれるアンルに、男は何も言い返さずその場を離れた。

「ったく、街頭人って奴はどこの街も血気盛んだなぁオイ」

俺は違うぞと言わんばかりにジト目で二人を見るシンディア。
残念ながら、副隊長殿にそれは伝わらない。

「今夜から明日にかけて非番の奴を二人。もしそれでレイチェルって女が見つからなかったら、交代でもう二人街頭人をつけていく。それで良いか」
「構いません」
「それでだな、今夜非番の街頭人が、アウディって奴と――」

副隊長が持ってきたリストを覗き込みながら、アンルがふむふむと相槌をうつ。
まあ、思っていたより、協力的な人間だったな、この副隊長殿は。
そう思ってハルナはロビーをぐるりと見渡す。

なんだ、五番街とさして変わらないじゃない。
あまり治安の悪い雑居通りを歩いて来なかったせいもあるかもしれないが、まだトラブルに巻き込まれていないだけラッキーなのかな、と彼女は思った。しかしまぁ、街頭人がこんなに穏やかじゃない奴等ばっかりなら、街の治安が悪いのも仕方ないかも知れないとも考えながら、ハルナはソファーの方を見る。
先程彼女に近寄って来た男は、そこにどっかり座ってまだ此方を睨んでいた。

まぁまぁ。嫌なことは忘れなさいとハルナはひらひら手を振る。
そんな彼女の笑顔に、男は舌打をして顔を逸らした。

愛想の無い人ね、とハルナが肩を竦める。

喧嘩を売ってきた女に愛想もクソもあるかと男は顔を背けたままだが――

「おい、セダ。ここに居たのかよ」

ソファーに座る彼の名は、セダと言うのだろう。
足音を立てながら支部の二階から下りてきた男がセダを呼ぶ。

ハルナは何の気なしに、二階から下りてきた男を見やった。
その男は、まだ若く、支部内でありながら私服で、白い短髪がよく映え――



「あ――!!」

突然大きな声をあげたハルナに、シンディアも、当番表を見ていたアンルも副隊長もセダも誰もが驚いた。
目を大きく見開いて、彼女が指差す先。そこには、

「レイチェルを攫った誘拐犯!」
「……あ?」

ふてぶてしく咥えた煙草。
そこから紫煙を浮かばせ顔を顰めながら、男は目を細めた。

「お前……!」

(街でトリスにぶつかった街頭人か!)
思い出したように、彼は目を見開くと瞬時に方向転換し、階段を上へ上って行った。

「こら待て!つーか何?何でここに誘拐犯が居るのよ!」

支部の中もロクに分からない癖に、ハルナは彼を追いかけた。
続いてシンディアも全速力で追いかける。

おいおいおい。
何が一体どうなってんだ?と首を傾げる副隊長に、アンルは、

「……どうやらこれは、大変な事になりましたねぇ」
「どういうこった。あいつ等が、誘拐犯?」
「聞いての通りです。えぇと……お名前」
「キースだ」
「キースさん。貴方方の身内に、誘拐犯がいらっしゃった様ですよ」

アンルは受付を離れた。

「どこへ」
「決まってます、彼らを捕獲する。というか、副隊長さんなんですから権限使えないんですか?」
「無理だな。あいつ等は俺の管轄に無いんだ」

キースはイラついた様に、煙草を取り出すと火をつけた。

「あいつ等を動かせるのは、隊長だけさ」
「何故」
「何故って、そういう奴等だからさ」

紫煙は、天井の通気口へ吸い込まれた。

「あの男は、葬儀屋さ」









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