< 謡え、狂い世の理を 5 >




(アイツ等、街頭人だったのね……!)

ハルナは走った。
見ず知らずの支部の中を。

全速力で走る彼女の勢いを脅威の目で見る八番街の街頭人達。
ハルナはそんなギャラリーの視線をものともせず、目の先を走っていく白髪の男を追いかけた。

間違いない、絶対アイツだ。
連れの男の姿は無いが、支部のどこか――恐らくは彼等の部屋かどこかに、レイチェルを隠しているに違いない。ハルナは加速をかけようとするが、後ろから追いかけてきた シンディアに叫び止められた。「お前は、もう一人の方を探せ!」

「何でよ!」
「素直に考えて、お前はもう一人の方がやりやすい!」

――なる程ね、とハルナは舌打ちする。
見た所、あの白髪の男の方が背も大きくガタイも良い。
常識的に、シンディアがあっちを仕留めてハルナがもう一人を探し出す――そちらの方が割が合うだろう。

オーケイ、とハルナは呟いた。「任せたわよシンディア!」

ハルナはその場で足を止めると180度方向転換し、廊下に疎らに居た街頭人に掴みかかった。

「あの男の相方はどこ!」
「え、あ、……俺?」
「他に誰が居んのよ!」
「シドの相方って、トリスの事か?」
「良くわかんないけど髪ぼっさぼさで鬱蒼としてて限りなくローテンションな若い男!」

ああそりゃトリスだと男は頷く。

「アイツはこの支部にいねぇよ。自分の部屋じゃないか?」
「だからどこ!」
「第二宿舎」

掴みかかられたままの男は、指で廊下の窓を指差した。
窓の向うに見えたのは、この支部の建物に隣接して建てられたもう一つの宿舎棟。

あそこか、とハルナは目を細めた。

「部屋番は?」
「知らねぇよ、入り口の割り当て表で確認しな――俺ァあんまり関わりたくないんだ、あの棟と」

言うと、男は自らのコートの襟を正してやる気無く去っていった。

(……街頭人と宿舎が別……)

ハルナは首を傾げながらも、今来た道を戻り出した。
おいあの女戻ってきたよと街頭人がざわざわするが、勿論それもお構いなしでフル速度で走り続ける。

途中、暢気に廊下を歩くアンルに会った。

「アンタ、私の援護について来なさい!」
「どこへ行くんです」
「隣の第二宿舎とかってやつ!多分そこにもう一人とレイチェルがいる!」

走りを止めないハルナについて、アンルも駆け出した。
この支部は、二階からの渡り廊下で第二宿舎へ繋がっているらしい。

脇目も振らず、ハルナは渡り廊下を勢い良く渡った。

「――っと、ストップ」

もう一歩で渡り終えるという時、途端にアンルが彼女の肩を掴んだ。
おっと、とハルナが転びそうになるのをアンルが支える。
危ないじゃないと言いそうになるが、彼女の唇に指を添えてアンルは宥めた「静かに。バレますよ」

「……バレるって、何がよ」
「この第二宿舎の方々はこの騒ぎを知らない筈です。もう一人の誘拐犯も、僕達の到着に気付いて無いでしょう」

ハルナは黙った。

「ここは一度落ち着いて――寧ろ八番街の街頭人を装って宿舎を探し回った方がやりやすい。此方の建物に居る方々は、ただでさえ血気盛んでしょうから」

アンルは一息つくと、渡り廊下からひょこっと第二宿舎を覗いて言った。「恐らく、ここは“葬儀屋”専用の宿舎です」

ハルナは思わず目を見開いた。
しかし、すぐさま合点が行く――なる程、あのシドとかいう男が私服で支部歩き回ってるのはそういう事か。面倒なことになったとハルナは苦虫を潰したような表情になるが 、アンルの表情は不安など何処へやらである。

堂々としていればバレませんよ、とアンルはしれっと第二宿舎にあっさり潜入。
ハルナは腰元のクラブに手を添えながらも、用心深く足を踏み入れた。

一般街頭人が居座る先程までの建物とは違い、物寂しく、温度が無かった。
壁は白く塗られ清潔印象を受けても良い筈なのに――逆に殺風景で、人間味が感じられない。

ハルナは、適当に歩き進めるアンルに背を向ける。「二手に分かれましょ」

「お一人で大丈夫ですか?」
「馬鹿にするなっつの」

ハルナはひらひら手を振ると、アンルと逆方向に歩き出した。

――シドとかいう白髪の相方。名は、トリスだと言うことが分かっている。
さっきのように適当に一人捕まえて締め上げれば、彼の居場所くらい教えてくれても良い筈だが――生憎、廊下のそこらをぷらぷら歩いている奴が居ないのだ。

(まさか、一つ一つ部屋を回るって訳にもね……)

さっきの街頭人の言葉。「関わりたくない」――八番街の街頭人ですらそう思うほどの非公式部隊。先刻絡んできたセダとかいう男と違い、迂闊に喧嘩を売って良い奴等でも あるまい。さてこれは面倒だと首を捻っていると、曲がり角にさしかかる。
奥に行けば、ふらついてる葬儀屋の一人や二人いるかもしれないと思いながらハルナが歩みを進めると――

角の向うに、足音が聞えた。

(……葬儀屋?)

ハルナは足音を忍ばせ壁に張り付くと、そっと、ものすごく慎重に、角から向うの廊下を覗き込む。

――いた。確かに、一人いた。
ハルナが見ている先を、後ろ姿で歩き進む私服の男が一人。
(葬儀屋?)、そうハルナが思って目を細める。

「……っ!」

ハルナは息を飲んだ。
(トリス、)

間違い無かった。
蛍光灯に照らされるその姿、インディゴの髪に、だらしなく着た服、やる気のない歩き方!
彼こそ、もう一人の誘拐犯――葬儀屋トリス。

ハルナは彼に気付かれないよう、後をつけた。
そっと、慎重に(これは彼女にとって苦手となる行為であったが)、トリスが振り向かないことを願いながら。


暫く歩き進めると、トリスはある部屋の前で立ち止まる。
咄嗟にハルナも足を止め、近くから見守った。

ジーンズのポケットを何やらごそごそ探すトリス。
手こずりながらも小さなキーを取り出すと、あくびをしながら扉の穴に差し入れた。

「……眠ー…」
「だったら寝てな!」

声にトリスが振り向いた途端、彼の頭に衝撃が走る。
両手いっぱい握り締めたハルナのクラブ。本土の警官が使う警棒よりやや強化されたそれは、渾身の力を込められトリスの頭を激しく打つ。

何をされたか分からぬまま、彼は廊下に吹っ飛ばされた。
力なく突っ伏した後は――呻く訳でもなく、そのまま動く気配すらない。

「気、やっちゃったかしら?」

まぁそのつもりだったから良いんだけど。
ハルナは腰元にクラブを仕舞うと、彼が半端に差し込みかけた鍵を更に奥まで押し込んだ。、
ピピ、と軽い電子音がし、“219”と記された扉がカチャリと開いた。(無駄にハイテクしてやがる!)

ハルナはブツブツ言いながら、その部屋へ入った。
サイドの電源を入れると部屋が白く照らされる。

ハルナやシンディアに割り当てられる部屋より、やや広め。
それもその筈、ここは二人部屋だった。

両サイドにベッドがあり、床にはジュース缶やら注射針やら割れたCDが散乱。
何というか……男の部屋という感じだ。
ハルナは他人の部屋だろうが何だろうがとお構いなしにずんずん入る。

ぐるりと見渡し、失礼、と呟きながらクローゼットの扉を開けたりベッドの下を覗き込む。
が。肝心の探し物は見当たらない。
(はずれ、か)

ハルナは溜息をつきながら、腰元の無線機の電源を入れた。

「アンル、聞える?」
『――どうしました』
「犯人の部屋を発見。ええと、二階の……219号室。たった今、トリスって奴を倒して部屋の中に入ったけど何も無しよ。悪いけど、シンディアの所に行って頂戴。シドって奴 の口を割らせて、レイチェルの場所を聞き出すの」
『分かりました。ハルナさんも早く合流してくださいね』
「はいよ。それじゃあ」

言って、電源を切った

一つ不安が消えれば、また新たな不安は生まれるものだ。
トリスとやらを仕留めたのは良いものの、レイチェルが居ない。変なやつ等の所に連れて行かれて居なければ良いけれど――と、ハルナは髪を掻き毟る。
厄介だ。全く、厄介だ。

「ああ、ったく!シドだかトリスだか知らないけど、何だってこんな」
「俺の名前知ってんの?」
「――!」

ほんの一瞬。
その僅かな一時で、振り向きながら咄嗟にハルナは身を引いた。

「はじめまして――さようなら」

目の前を横切る切先。
仕方無しに刃が掠った、右の頬。走る熱。

ハルナは不安定な体制を立て直そうとする――が、腹を蹴られ勢い良く後ろへ倒れこんだ。
腰の銃もクラブもシースナイフも手に出来ず、固い床に背と肘を打つ。

無意識で、咄嗟に防御をするハルナの両腕。
交差されたその腕に、重い衝撃が圧し掛かった。

ハルナの体に馬乗りになる男――葬儀屋、トリス。
ナイフを両手で握り締め、ハルナの腕と互角、いや、それ以上の力で首を狙って振り下ろしている。

ハルナの目には、先程の攻撃が微塵も響いていないかのように目を輝かせ口端を歪め嘲笑う彼の姿が明瞭に映し出された。
下になる彼女には、平生鬱蒼とした前髪に隠れる彼の瞳が良く見える。
――ヒスイだ。美しき、翡翠の双眸。
宝珠の如き翡翠の瞳を快楽に光らせながら、彼はハルナを見下ろしていた。

「……っ…あんた…」
「いきなり喰らわせてくれちゃってさァ。ムカつくんだけど」

咽喉で笑いながら、トリスは、ハルナの防御と押し問答のようになっていた両腕を瞬時引くと今度は片手で彼女の両腕を封じ、胸に向かってナイフを振り下ろした。

(――やばい!)

咄嗟にハルナは足を振り上げ、トリスの背中に激しい膝蹴りをお見舞いする。
衝撃で彼の力が怯んだ隙に、彼女はすかさず鳩尾に拳を入れると、後ろへ退いたトリスの体を一気に押し返す。
形勢逆転とまでは行かないが、寝た状態から体を起こすとハルナは素早く銃を抜く。

「私を押し倒すなんて百年早い!」

トリスの右腕に、一発。

命までは奪わずとも、痛みでナイフを握ることは出来ないだろう――
そう、ハルナが確信した次の瞬間。

まるで、腕になんの傷も無いかのように。
彼の腕に、何の異常も無いかのように。

素早く抜かれた腰の銃。

トリスの腕は、ハルナに銃口を向けていた。


















「参りましたねぇ」

アンルは首を傾げる。
ハルナから、シンディアと合流しろとの命令が来たのは良いものの――何も考えなしに歩いていたせいで、幾つ角を曲がったか覚えてもおらず、だからといってハルナをここ まで呼ぶわけにもいかず――

つまり、アンル・オゼットは迷っていた。

「大体、宿舎なんて二つ造るからですよ」他人の所為にする。「こんな所うろついてたら、流石に怪しまれますね」

アンルは仕方無しと笑って頭をかいた。
こつ、こつ、と彼の足音だけが廊下に響く。

きょろきょろ辺りを見回したり。
ついでに鼻歌も歌ったりなんかして。

これでレイチェルさんに何かあったら殺されますねなどと暢気なことを考えている彼だったが――
不意に足を止めて、

「……で、さっきから気になってたんですが」

振り向きもせずに言った。「出て来てくださって結構ですよ」

「――八番街の人間じゃねぇな」
「おや、分かります?」
「見慣れない顔だしな。かといって、新人はこの棟に近付くはずもねぇ」

仕方ないといったように、アンルは溜息をついて振り返った。
――足音はしなかった。ただ、気配だけ。しかし、彼らの殺気は明瞭だった。
アンルから少し離れたその場所に、男が二人。
恐らく……というか十中八九、葬儀屋。

何か用事でも?とアンルが首を傾げると、男達は笑った。「暇なんだ。遊ぼうぜ、坊ちゃん」

「――良いでしょう、と言いたいですが。僕、今仕事中でして」

遊びたくても遊べないんですよねぇと苦笑する。「知るか」と言ってくる彼らに、アンルは暫く考え込むと、「なら“巻き込んで”下さい」と言った。「僕が災難に巻き込ま れた事になれば、仲間も納得してくれるでしょうから」

「いい度胸じゃねぇか。なかなか最近血に餓えててね。手前みたいな若いヤツの」
「やめてください、年寄りですよ」

アンルが笑うと男は腰元からナイフを取り出した。

「この白い壁を汚す気ですか?」
「だから良いんだよ。鮮血は、土台が綺麗なほど良く映える、ってな」
「――分かっていらっしゃる」

アンルが目を細めた。

「良いでしょう。さ、僕で遊んで下さい」


お手柔らかにという彼の両手は、何も持たず無防備なまま。













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